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57.延命の儀式

 地平線に向かって入ろうとしてる西陽が室内を眩しく照らす。

「あの時も、こうやって二人で眺めたわね……」

 ベッドに横たわるクリスティーヌは、懐かしそうに窓にいるエルに向かって呟いた。

「ああ。ほんの数日前に、ここへ来たよう気がするよ」


 彼らは新婚旅行の時に訪れていた"小さな家"に来ていた。前回は従者を連れていたので、正確には二人きりではなかったが、今回は正真正銘の二人きりだ。

「クリスティーヌの体力があるうちに、二人きりで旅行をしたい」

 それに、彼女はもうコルセットも重いドレスも着ないのだし、着替えから食事の準備まで全て自分が行うと言って、エルたちはこの旅行に出かけたのだ。

 もちろん、彼の切実な願いに、反対するものなど誰も居なかった。


 そして、これはラウルからの約束でもあった。

「いいかい。エル。これはとてもデリケートな方法なんだ。だから、誰かの邪魔が入ったら失敗してしまうかもしれない」

 確実に成功したいなら、君たち二人だけになれる所に来るんだと彼は言った。さらに、こうも付け加えた。

「この前も言ったけど、父上やミカエルたちには黙っておいてね」

 然るべきときに僕は戻ってくるから、くれぐれも内密にとラウルは唇に人差し指を立てた。


 ……ラウルはクリスティーヌにどんな事をするんだろう。まあ、あいつがやってくる時間まで待つしかないか……

 そう思いながら、エルは黙って沈みゆく夕日を眺めるのだった。


◆◆◆


 日はどっぷりと暮れ、寝静まる人も出始めた頃。突然、家のドアをコンコンと鳴らすものがいた。

 エルは叩いた人物をこっちだと言って招き入れる。そして、その人物をクリスティーヌの部屋へと連れて行った。


「やあ、クリスティーヌ。久しぶりだね」

 そう言って、彼は被っていた黒いマントのフードを手にとり、さっと降ろした。

「……ラウル!」

 彼女は思いもよらない人物の登場に、目を見開いてかなり驚いている様子だ。エルに向かって、どういう事だと言いたげに視線を移す。

「実は、君の病気を治すために、ラウルをここへ連れてきたんだ」

 エルがそう彼女に説明すると、行方不明だったはずの彼が見つかったことに加え、自分の病気を?! と彼女はますます目を丸くしている。

 経緯を説明するため、エルはラウルと教会で再会したときの事を彼女に話した。



「そんな……信じられないわ」

 彼女は不安そうに二人を見つめた。

「ふふっ。そうだね、僕は神でも聖人でもないのだから、信じられなくて当たり前だ」

 でも神から、苦しむものを救済せよとの命を受けたものだとしたら……? とラウルは天使のように、優しい声でそう言った。

「俺だって、信じられなかった。でも、ラウルの奇跡を間近でみたんだ! 一か八かかもしれないけど……どうか、俺のため、いや、シェリルのためにも、彼の奇跡を受けて欲しい」

 エルは跪いて、彼女の手を握ると必死に懇願した。


 クリスティーヌは、何やら少し考えこんでいるようだった。しかし、

「シェリルのため……」

と彼女は一言呟くと、エルの目を見つめながら、わかったわと言うようにコクリと頷いた。

 

「よし、交渉成立だ」

 ラウルは後は自分に任せるようエルに言い、部屋から出て行くように促した。

「エル。ネズミと違って、人にはとても神経を使うんだ。大丈夫。外で成功を祈っていてくれ」

 エルは無言で頷く。だが、どうか成功してほしいと言う表情で彼女の部屋を出て行った。

 ラウルは彼の背中を見送り、パタンと扉を閉めると、クリスティーヌのいるベッドまで行ってこう言った。

「さあ、僕の目を見て。そして、僕の言うことをよく聞き、従うんだ」


◆◆◆


 次の日の夜も、ラウルは同じようにして現れた。そして、クリスティーヌと二人きりになると、一時間程度の時を過ごした。

 彼は帰り際、

「エル。昨晩と同様、今晩も明日の朝まで、彼女の部屋に入っちゃダメだよ? いいね」

と言って、軽く鼻歌を歌いながら家を出て行った。気分が良いのか、顔も少し紅潮しているようだった。


 ……一体、何をあいつはしているんだろう……

 エルはそう思いながら、翌朝、クリスティーヌに朝食を持って行った。

「クリスティーヌ。朝ごはんの時間だよ」

 彼は彼女のベッドにテーブルをセットし、パンやスープ、その他彼女の好きなものを並べた。

「……食べたくないわ」

 だが、クリスティーヌは調子が良くないのか微笑む事もなくブランケットを体に巻きつけると、彼から顔を背けた。

「ダメだよ! 昨日だって、ろくに食事を摂らなかったんだから。さあ、起きて、せめてスープだけでも飲んで!」

 エルに無理やり起こされた彼女は、だるそうに座ると、虫にでも刺されたのか、首の根元をポリポリとかいた。

 そんな彼女に、エルはスプーンでスープを掬って飲ませるが、三口程度飲んだだけで、彼女はもう要らないと言って横になってしまった。


 ……体調は大丈夫、気分もいいと言っているけど、明らかに顔色が悪い……

 明日もこんな調子なら、やっぱりミカエルかモリスに診てもらった方が良いかもな、とエルは独り言を言った。

 すると、彼女はブランケットをばっと剥いで、目をカッと見開きながら、素早くエルの方へ向くと、誰も連れてこないで! と、さっきまでの怠さが嘘の様に叫んだ。

 彼女らしくない、あまりの剣幕にエルも驚く。わかったよ、呼ばないよと言うと、彼女は安心したのか目を閉じ、ブランケットに再び包まるのだった。


◆◆◆


 バタンと扉が閉まる音が、クリスティーヌの耳に入る。


 ……お願いよ、エル! どうか行かないで!……

 だが、その願いは虚しく、彼に届かない。

そして同時に、彼女の意思とは裏腹に、体が言う事を効かなかった。


 ……エル、どうか、あの人がまた恐ろしい事をする前に、私を此処から連れ出して。あの人は天からの御使なんかじゃない。邪悪な化け物よ!……

 彼女はせめてそれが唯一の抵抗であるかのように、つぅっと一筋の涙を流した。


◆◆◆


 とうとう三日目の晩。

 またしても夜中にやってきたラウルに、エルは朝に気になった事を彼にぶつけた。

「大丈夫だよ、エル。今日で儀式は終わるんだ」

 にこりとラウルは微笑んだ。そして、一昨日と昨日と同様、部屋に入ってきてはダメだよと言って、扉を静かに閉めた。


 振り返ったラウルは、クリスティーヌの方に近づいて、ベッドの脇に腰を掛けた。すると、彼女は寝ていた態勢からゆっくりと腰を上げ、彼の横に座った。

 そして、虚ろな目で無言のまま長い髪を手で横に流すと、彼の前に白い首筋を露わにした。

「いい子だ、クリスティーヌ。君は、これで

痛みからも、老いからも、そして、寿命からも免れられる。さあ、僕の元へおいで……」

 ラウルはクリスティーヌを片腕で抱きしめると、彼女の首元に口づけをした。二本の鋭い歯が、肌に食い込むのを彼女は感じたが、不思議とそれは痛みを伴っていなかった。

 

 目の前の怪物に為すがされるまま、だんだんと彼女の視界はぼやけていく。

 ……あぁ、神よ、どうか私をお救いください……

 彼女は必死に、反対側の壁に掛けられた鏡に映る、無抵抗な自分に向かってそう祈るが、否が応でも瞼は自然と閉じていく。そして、彼女も知らないうちに深い闇へと落ちていった。


◆◆◆


 ガタン。一瞬だけだが、エルは何かの物音を聞きとった。

 クリスティーヌの部屋の外にいた彼は、彼女に頼まれてラウルが窓を開けたのだろうか? と思った。


 ……それにしても、一昨日、昨日よりも随分と今日は時間が掛かるな……

 それに、まだ雪は降っていないとは言え、夜は寒いのに。もし、窓を開けっ放しにしているなら、彼女の体調が悪化したら大変じゃないかと思った彼は、ラウルの注意を気にしつつも、心配になって扉をノックした。

 しかし、返事がない。もう一度、ノックをするも、辺りは静寂に包まれたままだ。


「入るぞ」

 思い切ってエルはクリスティーヌの部屋のドアノブを回した。ガチャリという音が聞こえる。鍵はかかっていないようだ。

 エルは彼女の部屋へと足を踏み入れた。すると、明るいはずの室内は、なぜか蝋燭の灯りが消えて真っ暗な状態になっていた。

 目を凝らしてみてみると、案の定、窓は開け放たれている。ビュービューという音を立てた冷たい風が室内に入り込んでいた。


 不審に思い、クリスティーヌ? ラウル? と声を掛けながら、エルはきょろきょろしながら彼女たちを探すが、この中に二人がいる気配はない。

 ……窓が開いているし、こんな寒い夜中にまさか外へ? なぜ?……

とエルは焦り始めた。どこだ! どこへいった! そう叫んでみても、何も変わらなかった。

 そして、今までずっと忘れていた、ある記憶がエルの頭の中で蘇った。


「……目撃者によると、彼は黒い服を着ていた金髪の男に声をかけていたと……」

 警察が言っていた、ユリエルが殺害される前の目撃者の証言。

 家族ではないものが見かけたら、見間違えてもおかしくない。なぜなら、自分とそっくりな顔をしているのだから。

 諸事情でとは言っていたが、実は警察から逃げ回っていたとしたら……


「なんてことだ!」

 エルは信じられないとでも言うように、口元を押さえた。

 まさか、ラウルがユリエルを殺したのか? だとしたら、クリスティーヌの命は……



 その考えに支配されたエルは、皆に知らせなければ! と血相を変えて家に帰ろうとした。

 しかし、背後から甘ったるい女物の香水が漂ったのと同時に、何者かが彼の頭に袋を被せた。

 必死に袋を外そうともがき、抵抗するが、その何者かは彼の首を掴むと、人とは思えない力で壁へと押し付けた。

 そして、その何者かから思い切りみぞおちを殴られると、エルはうっ……と一声上げ、床に崩れて意識を失った。

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