51.ma chérie
「ええっ?!」
エルを除き、その場にいた全員が驚きの声をあげた。
アーロンやおじたちは目を大きく見開き、クリスティーヌの母親は口を押さえ、キースは口を開けたままポカンとした表情をしている。
エルからのプロポーズを受けた、当の本人であるクリスティーヌさえも目をパチクリしている状態だ。
そして、彼女は思わずこう口走った。
「エル……あなた正気なの?!」
と。
「ああ、正気だとも! 家に居られる理由がないなら、作ればいいじゃないか。だったら、俺と結婚すればいい」
地面から立ち上がりながら彼はそう言うと、次の言葉を続けた。
「それに俺は、体質的に普通の食事が取れない……正直、こんな変わった俺の所に来てくれる嫁なんて、見つかりっこないと思う。でも、クリスティーヌはそれを知っている!」
「……それで?」
いつの間にか冷静さを取り戻したアーロンが、また息子が変な事を言い出したと、遠くを見るような目をしながらエルに向かって尋ねる。
「つまり、こんな変わった俺を唯一、クリスティーヌは普通に受け入れてくれた女性だ。だから逃したくないんだ!」
どうだ! これが証拠だ! とでも言う様子で、エルは父親に対して胸を張って理由を述べた。
だが、自信ありげな彼に向かって、アーロンは目を閉じながら、やれやれと深いため息をつく。
「エル、お前の理由はわかった。しかしそれは、自分に対してのメリットがあるというだけの事だ」
さらに、彼はこう続けた。
「逆に言うと、お前の体質を受け入れてくれる女性が奇跡的に見つかったならば……クリスティーヌ以外でも別に良いという事だろう?」
確かにアーロンのツテを使い、この家の財力を誇示すれば、金目当ての女なら、夫となる男が奇妙な体質であっても簡単に受け入れるかもしれない。
父親の的確な指摘に対して、うっ……とエルは言葉を詰まらせた。クリスティーヌも彼のそんな様子を伺いながら
「大丈夫よ、エル。あなたの体質を受け入れてくれる女性なんて……きっと他にも見つかるわよ」
まるで慰めるかのようにそう言って、彼から離れようとした。
「そっ、そうじゃない」
思わず挙動不審な声を出して、エルは彼女を引き止める。
「ほう。『そうじゃない』……では、クリスティーヌを妻として迎えたい決め手はなんだ?」
アーロンは一瞬驚くような表情をした後、ぜひ教えて欲しいねと言わんばかりに、わざとらしくニヤリと微笑んだ。
それは……それは……とエルがしどろもどろしていると、クリスティーヌは今度は無理をしなくていいのよとでも言いたげに
「エル。絶対に相手は見つかるはず。自分にもっと自信を持ってちょうだい。大丈夫だから、ね?」
と優しい声でそう言って、また離れようとした。
今度こそきちんと理由を言えないと、彼女は修道院へ行ってしまうだろう。切羽詰まったエルはなお食い下ろうとして、本当に違うんだ! と大きな声で叫んだ。
しかし、次に彼が言った言葉は、とても小さな声だったため
「……くない」
としか皆は聞き取れなかった。朝を告げる小鳥のさえずりの方がまだ大きいくらいだ。
そんな不甲斐ないエルに対して
「何を言っているのか聞こえない。皆にも聞こえるよう、もっとハッキリ言いなさい!」
とアーロンは少し語気を強め、彼にしっかりするよう言った。そして、それでも男か! とさらに彼の尻を叩いた。
すると、彼は覚悟したようにこう叫んだ。
「失いたくないんだ! クリスティーヌを!」
エルは堰を切ったようにこう述べる。
「単純に失いたくないんだ! もうこれ以上、自分から誰かが離れていくのは……もし、居なくなってしまったらって考えると、心臓が痛いっていうかなんていうか……それに、クリスティーヌの笑顔が見れるのは、不思議なくらい嬉しく感じるんだ!」
そして、決まりが悪そうに顔を伏せて頭をボリボリとかいた。
その叫びに対し、なるほど。ふふん。とアーロンは一瞬納得したような顔をしつつも
「失いたくないのはわかる。ただ……私にはその理由があくまでも、友人として失いたくないと言う風にしか聞こえないのだが」
さらに、そうであるならば、別に彼女を妻として迎えなくても……と少し大げさに手を広げながら、エルを小バカにするように言った。
「だが! 友人としてではなく、どうしても彼女を妻にしたいと言うならば……その違いを是非教えていただけないだろうか? 私はお前の父親だ。聞く権利がある。その違いを聞かない限り、結婚の許可は出せんぞ!」
ニヤリと意地悪い笑みを浮かべながら、彼は言葉に緩急をつけた。
アーロンの容赦ない追撃に対し、えっ……! とエルは面食らった。
またしても、しどろもどろになりそうにしている。そんな彼に対して
「エル。クリスティーヌ様に素直な気持ちを伝えて!」
とキースが背中を押した。
エルの側にいるクリスティーヌも、不安そうな目で彼のことを見つめてくる。
すると、ええい! もうどうにでもなれ! と思ったのか、エルは観念したように顔を真っ赤にしながらこう言った。
「Je t'adore」
今まで生きてきた中で、エルにとってこの言葉を発言するには、一番勇気の要ることだった。
しかし。
違う、そうじゃないだろう言いたげに、はぁーと大きくため息をつくと、アーロンは首を横に振った。
「エル。それが本当に大切な人に向かって言う言葉か。もっと他にあるだろう」
腕を組んで首を振りながら、全くもって情けない! という顔を彼はしている。
思いもよらない父のダメ出しに、エルは泣き出しそうな気分だった。
だが、彼のことを真っ直ぐに見つめてくるクリスティーヌの視線を感じると、そんな事は言ってられないと彼は思い直し、彼女の目をしっかりと見つめた。
そして、今度は “本当に大事な時にしか使わない言葉“ を言った。
「Je t'aime,ma chérie」
「……!」
彼の発言に対して周囲は一瞬沈黙したあと、すぐに、おぉ! と、どよめきを起こした。
「まさかその言葉が出るとは!」
「やれば出来るじゃないか!」
「上出来、上出来!」
と口笛を鳴らしたりして三人のおじたちは肩を組んではしゃぎ、キースもよくやったね! とエルに声をかける。
一方、エルにはその声が届いていないようだ。
肉親の前で愛の告白をさせられるという恥ずかしい行為に、彼はまるで酒に酔ったかのように顔を赤くしている。
更に、その顔すら見られるのも恥ずかしいのか、その場にしゃがみ込んで両手を頭にやると、束ねていた髪の毛をくしゃくしゃにした。
そんな息子に対し、全く最初から素直にそう言えばいいものを……と呟いたあと、アーロンはクリスティーヌの母親に向かって
「このように、うちの愚息が申しているのですが、このお話いかがでしょうかな?」
とエルとクリスティーヌの結婚を提案をした。
「ええ、ええ。願ってもないことです。でも、この子がなんと言うか……」
彼女の母親は、嬉しそうにしつつも少し心配そうな顔をしながら、クリスティーヌに対して目線を送る。
クリスティーヌはアーロンと母親に向かって軽く微笑むと、自分の前でしゃがみ込んでいる求婚者に対し、立ち上がるように促した。
そして……
「謹んでお受けいたします」
そう言って、エルのことを優しく抱きしめた。
◆◆◆
……そういえば、この件は一体誰が教えてくれたんだろうか……
幸せムードの中、キースが手元の手紙を見ながらそう思っていると、突然強い風がピューっと吹いて彼の手元から手紙を奪った。
手紙は、枯葉のようにはらはらと空中に舞うと、三人のおじたちの足元にパタッと静かに落ちた。それに気がついたミカエルが手紙を拾いあげる。
そして
「あっ、この筆跡は……」
と声を上げた。ほかの二人も何だ何だと手紙を覗き込む。
三人が視線を上げた先には、はて? 何のことだろうか? と、とぼけた顔をするアーロンがいるのだった。




