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50.二人の結論

 ……バタバタバタ! バンッ!!

 ゼエハアと息を切らしながら、キースは扉を勢いよく開けると、エルの許可を得るよりも前に彼の部屋に飛び込んだ。


 その様子にエルは目を丸くする。

「おいおい、そんなに慌ててどうしたんだよ、キース。何事だ?」

 机に向かって書き物をしていた手を止めると、尋常じゃない様子のキースに、まずは息を整えるようエルは促した。

「……ゼェゼェ……エ、エル、た、大変だ! クリスティーヌ様が修道院に入ることになったって!」

 額に浮いた汗を拭いながら、キースはまくし立てるようにそう報告すると、エルはますます大きく目を見開いた。

「はぁ?! なんでまた修道院に?! そんな話、今まで聞いたことないぞ! 一体、どういうことだ? 説明しろ!!」


 キースによると、ユリエルが亡くなったため、クリスティーヌはあの家にいる理由がなくなった。

 そのため、アーロンが彼女に今後はどうしたいのか希望を聞くと、修道院に入ることを希望したという。

「僕も今さっき、屋敷の使いの人から手紙を渡されて。それで知って飛んできたんだけど……」

 キースが言葉を終わらせる前に、エルはクローゼットの扉を開くと、急いで上着を取った。

 そして、狼狽えているキースに向かってパリの屋敷に行くぞ! と叫ぶと、馬に飛び乗り走り出て行った。


◆◆◆


「では、お義父さま、おじさま、そして皆様。今までどうもありがとうございました!」

 馬車に荷物を詰め込み終わると、彼女は皆に向かって、微笑みながらそのように挨拶をした。

 馬車の中には、彼女の付き添いで来た彼女の母親がすでに座っている。

「うぅ、うわーーん!!」

 またしても大げさだという風に、ばあやはハンカチで目を押さえながら泣き出した。私にとって実の孫同然のお嬢様だったのにとかなんとか言っている。


「お嬢様……どうかお元気で」

 目を潤ませながらジャンヌが別れの挨拶をする。

「えぇ。あなたもどうかお元気で。これからはお義父さま達のためにしっかり尽くしてね。本当に、どうもありがとう……!」

 クリスティーヌはジャンヌの事を抱きしめた。

 結婚したときもジャンヌはクリスティーヌに付いてきてくれたのだが、修道院には付いて行くわけにはいかないので、彼女はここに残ることになったのだ。

 主従関係ではあったが、クリスティーヌにとってジャンヌは実の姉のような存在だった。しかし、彼女たちはついに別れることになった。

 決して泣くまいと笑みを作っていたクリスティーヌだが、悲しむジャンヌを見て我慢できなくなったのだろう。お互いに涙が止まらなくなっている。



 ……私にはどの選択肢が相応しいのだろうか……

 クリスティーヌは、アーロンから身の振り方を決めて欲しいと言われた時、そう脳裏に浮かんだ。

 さらに、アーロンはあの時こうも話をしていた。

「もし、修道院に入るならば、それ相応の所を私の方で用意をする。それに、君の心配している実家の支援も継続して行うつもりだ」

 もしくは……と彼は続ける。

「もちろん、私たちといっしょに残る事だってかまわない。家族となった身なのだから」


 一緒に居てもいい……なんてありがたい申し出なのだろうと彼女は思った。

 だが、それと同時にその好意に甘えると、自分はこの家でどのような立ち位置になるのだろうかと彼女は思案した。

 子供もいるわけでもなく、仕事をするわけでもなく、ただ、亡き夫の妻の肩書きで趣味を楽しんでいるだけ。


 それに、次の当主はエルになる事が確定している。

 もちろん、彼だってずっと独身でいる筈がない。いつか、妻を娶り子供もできるだろう。

 ……そうなったら、ますますこの家にいる意味が見当たらなくなるではないか。




 それに、もしエルが妻を娶ったら……


 あの美しい青い目で彼女を見つめ、愛おしそうに彼女の名を呼ぶのだろうか。


 いつのまにか逞しくなった彼の腕で、彼女をそっと優しく抱きしめるのだろうか。


 そして、愛してると囁き、彼女にキスをするのだろうか。




 ……そんなの嫌!!


 彼が他の女性を愛している姿を、間近で見せられるなんて耐えられる訳がない!


 彼女はその時、初めてエルの事を愛しているのだと気がついた。

 今までは単なる友達と思っていた。

 いや、思うようにしていたのだ。

 いつも彼女の事を気にかけ、そして楽しませてくれる彼は、いつの間にか彼女にとってかけがえの存在になっていた。


「バカなクリスティーヌ……また、恋をしてはいけない人に恋をしてしまった。そうなったら、道は一つしかないじゃない」

 彼女は自分自身にそう話しかけると、窓辺に座ってさめざめと泣いた。



 そんな事を回想していると、馬車の扉がバタンと閉じられ、ハッと彼女は我に返った。

 ……いよいよ、これで本当にお別れだわ……

 彼女はそう思うと、馬車の窓から屋敷の事をじっくりと見回した。

 実家よりも遥かに大きい白亜の屋敷。陽当たりの良い位置に配置された自分の部屋。皆が集まるサロン、華やかな舞踏会が開催されるとより映える美しいホール……

 もう五年も経つというのに、改めて馬車から眺めてみると、初めてこの屋敷に来た日のことがつい先日のように感じられた。


 見送る人たちが彼女に向かって手を振っているなか

「では、出発します!」

そう言って御者がムチを勢いよく馬に叩いた。

 馬のいななき声と共に、馬車はゆっくりと動きだす。クリスティーヌは窓から顔をだして、皆に向かって手を振った。


◆◆◆


 カタカタと軽快な音を立てながら、順調に馬車は走り出していた。見送ってくれた人々も、誰が誰だかわからないくらいすでに小さくなっている。


 しかし、門へと続く並木道に差し掛かった時だった。

 突然、うわぁ! と御者が声をあげ馬車を急に止めた。そのせいで車体は大きく揺れ、キャッ! っとクリスティーヌは悲鳴をあげた。彼女の母親も驚いた顔をしている。

 外からは、よしよしと少し興奮した馬を鎮める御者の声が続く。

「どうしたのですか? 大丈夫ですか?!」

 彼女が彼に向かってそう声をかけると、彼はこう言った。

「マダム、驚かせてしまってすみませんね。急に馬に乗った人たちが現れて、前の道を塞いだんです!」


「ん? なんかクリスティーヌの乗った馬車の様子がおかしくないか?」

 皆が屋敷に戻っているなか、ふと馬車の方に振り返ったザラキエルが異変に気付く。

「本当だ……止まっているようだな。故障かもしれない。見に行こう」

 アーロンはそう言うと、ザラキエルたちと共に様子を確認しに馬車へと向かった。



「その馬車……はぁはぁ。ちょっと待ったぁ!!」

 息を切らしながら、馬から降りると彼は馬車を止めた。乗って来た馬も、飛ばして来たせいかその場でバテてしまっている。

 聞き慣れた声だ。クリスティーヌがその声の主の正体を確認しようと窓から顔をだすと……

「エルじゃない! どうしてここに?!」

 思いもよらない人物の登場に、彼女は驚いて口元を両手で押さえた。


「キースから聞いたんだけど、修道院に行くって本当か!?」

 その言葉に彼女はますます驚いていた。

 エルに知られてしまえば、決意が揺らいでしまうかもしれない。それに、本人に教えていなくても、多くの使用人が事前に知っていれば、そのうち彼の耳に届いていただろう。

 そのため、極一部の人しか前もって教えていなかったのだ。だが、事情を知らないはずの彼らがなぜここに現れたのだろうか。

 彼女がその疑問をぶつけるよりも前に

「はぁはぁ。クリスティーヌ様。じ、実は修道院へ行かれるという匿名の通報があったんです……」

キースがその答えを述べた。疲れのせいでプルプルと震えている彼の手には、確かに手紙が握られている。


 彼女はキースの手からエルに目線を移すと

「ええ、本当よ! もう夫もいないのに、いつまでもこちらでお世話になる訳にはいかないもの」

そう言って精一杯の笑顔を彼に向けた。

「俺に何の別れの挨拶もなしでかよ! しかも、ずっと前に離れる方が辛いって言ってたじゃないか。あれは嘘だったのか!?」

 エルは彼女の言葉には納得せず、怒りとも取れるような険しい表情で大声で叫んだ。

「それは……」

 クリスティーヌは何か言いかけたが、それを拭い去るように首を横に振った。

「だって、あなたに正直に話しても、状況が変わるわけではないでしょう。それに、別れはいつかくるもの。それが少し早まっただけよ」


「だけど……!」

 彼女に対して、エルはなおも食い下がろうとした。しかし

「エル!」

と駆けつけたアーロンが彼に向かって声を掛けた。

「エルよ。これは彼女が熟慮して決めた事なのだ。私も本当にいいのかと聞いたが、彼女の決断は固かった」

 いつのまにか降りてきた彼女の母親も、アーロンの言葉にコクコクと頷き、ここまで来たエルの事を哀れむ目で見ている。


「せっかく来てもらったのに、申し訳ないけど私の意思は変わらないわ」

「そんな……」

 いつの間にか笑顔を辞め、真剣な眼差しでクリスティーヌはエルのことを見つめている。

 彼女は本気なのだと悟ったエルは、信じられないと言う様子で、がっくりと肩を落とした。

 そんな彼を慰めるかのように、彼女は彼に近づくと手を握ってこう言った。

「ごめんなさい。エル。でも最後にあなたに会えてよかった」

 彼女の目には涙が滲んでいる。だが、その目から涙が溢れる前にサッとエルの手を離すと、馬車の方へと振り返った。

 彼に泣いてる姿を見せまいと、彼女は目の下で指を押さえながら乗車口に向かう。



 だが、冷たい手すりに手をかけ、ステップを踏もうとした瞬間だった。

 ……えっ?……

 少し痛いと思うくらいのとても強い力で、彼女はその場に押し止められた。

 そして、背後に心地の良い温もりを感じた。


「だめだ、行かないでくれ」

 低い声で彼女を押し止めた人物はそう囁いた。目線を落とすと、自分とは異なるゴツゴツとした手と少し日に焼けた肌の色が見える。

「お願いだから……」

 エルはそう言って、華奢なクリスティーヌの身体を後ろから更に強く抱きしめた。



 驚きのあまり何も言えず、立ち尽くしている彼女に対して、エルは膝まづくと次の言葉を投げた。




「クリスティーヌ。俺と結婚しよう」

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