49.身の振り方
ユリエルの事件があってから数ヶ月後。エルはパリの屋敷ではなく、田舎の家に戻っていた。
椅子に座りながら、日が暮れゆく様を窓ごしにぼうっと見つめていると、何を見てるの? とでも言うようにニャーウと甲高い声を上げて、すっかり大きくなったエテが彼の膝の上に乗ってきた。
相変わらず、プランタンとエテは仲良しだ。
だが、人と少し距離を取りたがる性格のために、外にいる事が多いプランタンに比べて、エテは猫だとは思えないほどの甘ったれな性格で、常に誰かの側に居たいらしく、家の中で過ごす事の方が多かった。
エテはエルの顔に自分の顔を近づける。これはエテ恒例の挨拶だ。そして、ぐるぐるという声を上げて、エルに構ってとお願いをした。
それに対してエルは、お前は俺を受け入れてくれるんだなと愛おしく思い、抱き上げると優しく頭を撫でてやるのだった。
◆◆◆
なぜ、エルが田舎の家に戻ったのか。いや、正確にいうと戻されたという方が正しかった。
原因はやはり、ユリエルの事件で犯人として疑われたことだ。
エルはもちろん無実だったし、彼を知る人間は彼がそんなことするはずがないと思っていた。
だが、世間はそれほど甘くなかった。
特にユリエルを愛していた女たちは、警察から疑われているという話を聞いて、絶対にエルが犯人だと決めつけ、彼のことを誹謗中傷をした。
また、そうでないただの噂好きの人々もこう囁きあった。
あの家で、もしユリエルが居なくなれば、今一番誰が得をするのか。それに、二人が恋仲というのであれば、二人で手を組んで犯行に及んだのではないかと。
そのため、警察もエルの事をもう一度疑った。しかし、彼が犯人だと決定づける証拠はでてこなかった。
この様な事が背景にあり、エルとクリスティーヌは二人で出かけると、コソコソ言われたり、心無いものからは罵声を浴びせられた。
そのため、自然と二人で出歩くことは控えるようになった。
また、エルが田舎に戻る決定打になったのは、アーロンによる判断だった。
「どうして、田舎に戻らなければいけないんだ! ここで俺を戻したら、ますます怪しいと思われるだろ!」
エルは自分は何もやっていないのだから、戻る必要はないとアーロンに反論した。
「もちろん、私だってお前を疑っている訳ではない……だが、彼らは違うのだ」
興奮する息子に対して、落ち着くようアーロンは諭した。
「彼らって?」
「この屋敷で働く者たちや、私の商会で働いている者たちだ」
アーロンによると、一部の者達はエルの事を恐れているという。殺人者だと疑いのある者の下で働くのは嫌だと。
また、噂を耳にした事で、取引先との影響も出始めたことも伝えた。
それを聞いたエルは、理不尽さと共にとても悲しい気持ちになった。どうして、犯人は自分ではないのに、この様な扱いをされなければならないのかと。
「まぁ、人の噂なんて三カ月もすれば直ぐに忘れ去られる。それに、その頃にはもう真犯人が見つかっているかもしれない。だから、しばらくの間、田舎の方でこの嵐が過ぎるのを耐えてくれ」
がっくりと肩を落とすエルを見つめ、慰める言葉をアーロンはかけた。
だが、恐れられているという事実のほうがショックで、彼の言葉はエルの耳には全く入っていなかった。
◆◆◆
一方、エルが田舎に戻った後、クリスティーヌは彼が来る前の時のように、一人で過ごすようになっていた。
今日は雨が降っているので部屋にこもって刺繍をしていると、コンコンと女中が彼女の部屋のドアをノックした。
「どうぞ」
刺繍していた手を止め、彼女はドア越しの女中に向かってそう声を掛けた。
「旦那様がお呼びでございます。サロンまでお越しください」
「……お義父さまが?」
一体何の用だろうか。
彼が彼女を呼び出すのはとても珍しい。これは、何かあるなと彼女は緊張しながらサロンに向かうのだった。
「呼び立ててすまなかった」
先にサロンへ来ていたアーロンは、彼女に
着席する様に促すと、女中ではなく自らの手でポットを手に取り、彼女に紅茶を差し出した。
彼によると、とても質のいい茶葉が手に入ったので、ぜひ彼女に飲んで貰いたかったとのことだった。
「それで……最近、どうだろうか?」
彼も着席すると、彼女の事を心配そうに聞いた。エルがいなくなったため、また、一人で引きこもっていることが気になったようだ。
クリスティーヌは言葉が嫌味にならないよう、気をつけながらこう言った。
「以前と特に変わりはありません。読書をしたり、刺繍をして過ごしています」
そうか……と彼はいうと、一息つき、以前より少し深くなったシワをより深くして、真剣な表情でこう言った。
「実は、前々からクリスティーヌには謝りたかったのだ」
彼の思いもよらない発言に、彼女はキョトンとした表情を浮かべる。
「ちょうど良い機会だから話そう……私はあの子、ユリエルに幸せになって貰いたかった」
彼の話によるとこうだ。
ユリエルはクリスティーヌと婚約するより前、ある女性に激しい恋をした。だが、相手が悪く彼の心はズタズタにされた。
そのため、別の女を好きになるよう、恋をした女とは全く違うタイプの女性たちを彼に縁談の相手として選ばせたのだが……
「思いの外、心の傷が深かったようで、結果として君のことも傷つける事になってしまった。申し訳ない」
目を閉じながら、本当にすまなそうに彼は謝った。
「いえ、そんな……その事はもう大丈夫ですから。どうぞ気になさらないでください!」
クリスティーヌはアーロンの事をじっと見つめた。
そして、あのユリエルが以前そんな恋をしていたなんて……と驚いたと同時に、彼のことが不思議と哀れに思えた。
「しかし、今日の話はこれだけではないのだ」
彼はまた真剣な顔をした。きっとここからが彼の本当に話したかったことなのだろう。
クリスティーヌもいよいよだと覚悟をした。
「クリスティーヌもうすうす気がついているかもしれないが、パリの食糧事情は日に日に悪くなっている」
確かに豪華さは変わらないものの、以前に比べて、食事のレパートリーが少し減った気がすると彼女は思った。
「それに、貴族出身の君にこう言うのはなんだが……王や王妃、いや、特に王妃に対しての批判がそれに比例してどんどん強まっている。自分たちは次の日のパンにも困っているのに、王妃は宮殿で毎日優雅に菓子を摘んでいると」
そしてさらに、アーロンは言葉を慎重に選びながらこう言った。
「私は仕事柄、長い間様々な国を渡り、そして見てきた。そのため、このような状態が続くとどうなるかを知っている。もし、このような状態が続けば……いずれこの国の王による支配制度は崩壊する」
「そんな……」
今まで当たり前だった環境が崩れ去る。そんな事は到底信じられないと、彼女は言葉を失い顔色を青くした。
「だが、話はこれだけではない。というより、この話を一番したかったのだが……実は新規事業立ち上げのためと、この国の情勢不安を鑑みて、私は新大陸に移動しようかと思っている」
もちろん、今すぐではないと彼は言った。
「それで、クリスティーヌにとっては酷な選択となるのだが……今後の身の振り方を考えて欲しいのだ」
身の振り方……やはりそうかと彼女は思った。子を成した間であれば母として残る道理はあるが、彼女とユリエルの間に子供はいない。
「エルとの関係も、あれはあの警察の者たちを誤魔化すための嘘だったんだろう?」
年長者として、家族として、私は君がそんな不埒な女ではないと見抜いている。それに、君はまだ若いからやり直しも効くだろうとアーロンは言った。
「結論は急がなくてかまわない。じっくり考えて、君が最も納得する答えを出してくれ」
そう言って、彼は彼女を部屋まで見送った。




