40.過去の懺悔
クリスティーヌはあの時のように応接間へと通された。そして、同じくキースは彼女にはショコラを、エルには例の飲み物を出した。
「本当に懐かしいわ。もう、何年顔を合わせてなかったのかしら」
湯気の立つカップに一口つけると、ホッとしたような表情をクリスティーヌは浮かべた。
「そうだなぁ……四年ぶりくらいじゃないかな」
エルもグラスを片手に持つと、じっと赤い液体を見つめてクルクルと回した。
二人は初めて出会った時の事をお互いに思い出していた。パリの屋敷で一緒に過ごした楽しかった記憶も。
「ところで今日はどうしてそんな格好を?」
全身黒の衣装を身に纏ったクリスティーヌと侍女のジャンヌをエルは不思議そうに見つめた。
「もしかして……」
「ええ、ご想像の通りよ。お祖母様がとうとうお亡くなりになったの」
そうか……とエルは顔を下に向けて気の毒そうにした。彼は彼女が祖母の事が大好きだったという事を知っていた。
パリから距離がある事に加え、祖母の体が不自由なぶん会うことで気疲れをさせてしまうため、彼女たちが普段は手紙でやり取りをしているということも。
そして、彼女の話によると先日届いたのは祖母からの返信ではなく、訃報だったとのことだった。
また、エルはもう一点、彼女の奇妙な所に気がついた。
「ところでユリエルは? 先に帰ったの?」
初めて出会った時は兄のユリエルが一緒にいた。当然、今は夫婦なのだから彼女の側にいるはずだ。だが、彼はここにはいない。
何も知らないエルは、純粋な質問を彼女にぶつけた。ジャンヌが気まずそうな顔をしながら、クリスティーヌの顔色を伺う。
するとクリスティーヌは、今までにこにこしていた表情を急に氷で冷ましたようにピタリとやめると、エルと視線を合わせず真顔でこう言った。
「私とユリエルの関係は、すでに終わっているの」
彼女の思いもよらぬ回答に、はあ?! とエルは大声を上げた。
というのも彼が記憶しているクリスティーヌとユリエルは、これから幸せになろうとしている周囲も羨む眩いカップルだったからだ。
「……という訳よ」
彼女はあたかも自分は当事者ではないとでも言うように、とても冷静な声で話した。浮気現場の目撃、彼から複数の愛人がいることの告白、それ以降の自分たちの関係を。
「お義父様は心配してくださっていたけれど……お互いにもう心が離れてしまっているから、今は特別な用事でもない限り顔すら会わせなくなったわ」
「そんな……それでクリスティーヌは寂しくないの?」
人の気持ちというのは、たったの数年でこんなにも変わってしまうものなのか。あんなにも彼の事を好きそうにしていたじゃないか、と心配そうな目でエルが彼女を見つめる。
「正直言って、はじめのうちは悲しいし、悔しいし、気持ちの面はグチャグチャだったわ。でも、慣れって怖いわね。ある時、もうどうでもいいって思えてしまって」
皮肉交じりとでも言うのか、軽く笑みを浮かべつつ彼女は顔を天へと向けた。
「だから、二人きりになる事なんて全然無いの。でも、時間が空いたお陰で、趣味の刺繍と読書と絵画に勤しめているわ。それらが今は私の夫みたいなものね」
ふふっと声を上げて彼女は笑ったが、エルにはどこか彼女が無理しているように見えた。
まずい事に触れてしまったと思ったのか、頭を軽くポリポリとかきながらエルは話題を変える事にした。
「それにしたってラウルのやつも何処か行っちまうし。そう言えば、今だから言えるけど、あいつ好きな人がいたみたい。出てった理由も、その人となんかあったせいだったりして」
ハハハとエルは笑う。彼にとってはほんの冗談のつもりだった。しかし、目の前に座っていたクリスティーヌは、突如、目に涙を浮かべ始めた。
「……ごめんなさい」
彼女が謝罪してきたことにエルは驚いた。なぜクリスティーヌが謝るのだと。
「彼が出て行ってしまったのは私のせいよ」
彼女はずっと隠していた秘密をエルに打ち明けた。重い空気が辺りに流れる。
「今思うと、彼の気持ちにきちんと向き合えば、こんな大ごとにならなかったんじゃ無いかと思うの。でも、当時の私は自分のことで精一杯だった」
彼女はとめどなく出る涙をレースのハンカチで拭う。そして、顔を下にした。
話を聞いていたエルも、いつの間にか笑顔をやめ、真剣な表情をしていた。
「……そっか。でも、行方不明になったのはクリスティーヌのせいじゃない。向き合わなかったのは俺も同じだ」
彼女は俯いていた顔を上げると、えっとした表情で彼の目を見つめる。
「キースが確認をしに、屋敷に行ったから知ってるかもしれないけど……あの日、実はラウルはここに来たんだ。俺に会いたいって。でも、俺があいつに会う事を拒否した。だからもし、俺があいつに会ってさえいたら、こんな事にはならなかったと思う」
そう言って、エルはクリスティーヌに向かって目を瞬せた。そして、本当に悔しそうに唇を噛み締めた。
「だから、あんまり背負いこむのは止めてほしい。それに、失恋くらいで凹むなんてラウルらしいっていうか、なんていうか……俺なんて、村の女の子にしょっちゅうビンタされてるのになぁ!」
ああ、痛かったとでも言うように、エルは自分の頬を押さえて見せた。
でも、エルの場合は違う意味ででしょ、とキースは彼の事をジロリと見つめて、心の中でそう指摘した。
と言うのも、エルは自分が “男” だというのを認識してから、村のあちこちの女の子にちょっかいを出していていたのだ。
そのせいで、娘を持つ村の男に一度怒鳴り込まれた事もある。それ以降はさすがに懲りたようだが。
呆れたミカエルからは、遊ぶなら村の女の子ではなく、それ専門の女にしろと言われる始末だった。
彼のおどけた様子に、表情の暗かったクリスティーヌも、いつしか笑みが溢れていた。
その他のお互いの近況を語り合っていると、ジャンヌがそろそろお時間ですよと合図を出した。
「じゃあ、そろそろおいとまするわね。あなたに会えてよかったわ。こんなに笑顔になれたのは久しぶりよ」
そう言って彼女は馬車に乗り込むと、エルの家から去っていった。
「口ぶりだけでは、大丈夫と言っていたけど、クリスティーヌ様、寂しそうだったね」
小さくなる馬車を見送りながら、エルの隣にいたキースがポツリと呟く。
「エルには敢えて話さなかったんだけど……彼女がユリエル様と不仲なのは、パリの屋敷の者ならみんな知ってるんだ。だんな様も、お互いに熱望して結婚した訳じゃないから、結局、こうなってしまうのは仕方ない事だったのかって、ばあやさんに漏らしてみたいだけど」
へえ。そんな事をあの父上が漏らすのかとエルは意外そうな顔をした。
「それにさ、ユリエル様もここ最近は、周囲の目を気にせず愛人だと思われる女性と堂々としてるんだって。僕は雇われの身だからとやかく言う筋合いはないけど……酷い話だ」
キースはふぅっとため息のように鼻を鳴らすと、片付けがあるからと言ってその場を去っていった。
エルはしばらくその場に佇んでいた。最後、彼女がこんなに笑顔になれたのは久しぶりと言ったのが、変に引っかかっていたのだ。
大人の女性らしくなった事に加え、喪服を着ていたのもあるかもしれないが、以前の彼女の顔に比べて、少しやつれているようにも見えたことも。
果たして、クリスティーヌはこのまま一生あの屋敷で過ごすのだろうか、とエルは彼女の今後が気になった。




