39.旧友
周りは畑や木々だらけの退屈な田舎道を、一台の豪華な馬車が通る。
カタカタと揺れる振動に身を任せながら黒い喪服を身にまとった彼女は、憂いを帯びた目で窓越しにその光景をぼんやりと見つめていた。
19歳になったクリスティーヌは、祖母の葬儀を終えてパリへと帰っている途中だった。そしてその道中、同じように祖母の家から帰路につく、まだ何も知らない純粋無垢な14歳の頃の自分を思い出していた。
当時はこの馬車に、自分とまだ婚約者だったユリエルが乗っていた。数ヶ月後に控えた結婚式が楽しみで、無邪気にはしゃいでいたな……と。
しかし、今、この馬車の中に夫である彼はいない。
ユリエルが彼女に裏切り行為を告白した日以降、彼女たちの関係は修復不可能な域にまで達していたのだ。
彼はそれ以来、彼女の部屋に一切寄り付かなくなった。もちろん、共同の寝室にも。
朝のサロンにすら、顔を出さなくなった。というより、彼はほぼ別邸に入り浸るようになったのだ。
アーロンも、また更に彼らの様子がおかしくなった事に気付いたので、ユリエルを咎めたが、クリスティーヌが私たちのことは気にしないで、どうか放っておいてください! と強く言うので、それ以上は何も言わなくなった。
また、それと同時に、彼女はラウルがいなくなった日の事も思い出していた。
◆◆◆
その日は朝からバタバタと屋敷のものたちが動き回っていた。普段は落ち着いているアーロンやおじたちも血相を変えている。
「あの子の行くと思われる所を、本当に全部探し回ったか?!」
「はい、だんな様! ありとあらゆる所を探し回りました!」
特に、彼を最後に見たという執事は慌てふためいている。
昨日、馬で街に行くと言ったきり、翌朝になってもラウルが帰ってこなかったのだ。
ラウルに限って、無断外泊などするはずがない。そもそも、あの子に行く宛てなんてあるのだろうか。いや、もし行くとするならば……と彼を探す皆が同じ行き先を想像した矢先、褐色の肌をもつ少年がアーロンの前に現れた。
「キースじゃないか! なんでまたここに? エルがまた何かやらかしたのか?」
あぁ、ラウルに加えてあの子もか! 頭が痛いというようにアーロンは額を押さえる。
「いいえ、だんな様! エル様は何もしていません。それよりも、今日はいつもと違って慌ただしい様子ですが……何かあったんですか?」
あぁ、実は……とアーロンはラウルが突然家出してしまったことをキースに説明した。
「そんな……!」
と説明を受けたキースも口を半開きにし、驚愕と不安の入り混じった表情を浮かべた。そして、黙ってはいられず昨日起きた件をアーロンに話はじめた。
彼によると、昨日、ラウルがエルに会いたいと彼らの家に連絡もなくやってきた。だが、エルは以前のことがあるので、ラウルの要求には応えようとしなかった。すると、ラウルは馬に乗って走り去って行ってしまったという。
「品行方正なラウル様の事ですので、素直に帰られるだろうと僕たちは思っていたのですが……」
話終えたキースは、あの時に追いかけていればこんな事にならなかったかもしれないと表情を暗くした。
そんな様子の彼を見てアーロンは、自らを落ち着かせるように一息深呼吸をすると、お前に積はないと言う代わりにキースの肩を手で軽く叩いた。
「しかし、お前の話通りだと、本当にあの子は一体どこに行ってしまったのか。あぁ、こんな事は考えたくないが、どこかで事故にあっているのかも知れない!」
そして、アーロンは直ちに田舎の家とパリの屋敷の道中を中心に捜索せよと使用人達に命じるのだった。
一方で、ラウルが家出したと聞いたクリスティーヌはガクガクと震えていた。彼が出て行ってしまった原因。それは、明らかに自分だろうと。
もし、彼が日記にでも彼女の事を書き綴っていて、誰かがをその日記を読んだりしたら。もしくは、ラウルがひょっこり戻ってきて、家出した原因は自分だとハッキリ皆に伝えたりでもすれば。
騒ぎが大きくなってしまった以上、自分は彼を誑かした女だと責められて、ユリエルと離縁させられるだろう。
それは一向に構わない。だが、実家に戻ろうにも、家名に傷をつけた上、母親があの様子だと自分は単なるお荷物だ。
修道院に入るとしても、実家の経済状況を考えれば、受け入れてくれる先が見つかるかどうかも怪しい。
だとすれば、最悪、女一人で生きて行くにはどうすれば良いのだろうか。思い浮かぶのはパリの街角に立って……想像したくない未来を想像した彼女は戦慄した。
しかし、彼女が心配したラウルの日記は出てこなかった。というより、彼が彼女に思いを寄せていたという証拠は一切出てこなかったのだ。
そして、家出した張本人であるラウル自身も、一週間、一ヶ月、一年と経っても戻ってくる気配が見えず、見つかる手掛かりになりそうな情報すらも入ってこなかった。
これには、さすがのユリエルも心配していたようで、彼は帰っていないかと使用人に聞きに来たり、ラウルの部屋を度々覗きに来ていた。
一方で、妻はまるで存在していないとでも言うかのように、彼はクリスティーヌの事を気にも止めなかったが。
どこかに誘拐されたのだろうか? それとも、最悪な事に……そんな憶測も出されたが、結局、ただ時間だけが虚しく過ぎていった。
◆◆◆
クリスティーヌを載せた馬車が、ある大きな切り株の前に差し掛かった。その木の先には二つの道が分かれている。
彼女はふと、ここで以前、落雷によって倒れた大木が道を塞ぎ、別の道を通った事を思い出した。そして、その先には、困っていた自分を泊めてくれた親切な少年がいた事を。
馬車は進むべき道に進もうとする。
しかし。
「御者さん、ちょっと待ってください!」
いきなり、馬車の中から声をかけられたので、驚いた御者は慌てて馬を止めた。いかがしましたかと御者が彼女に尋ねると、彼女はこう言った。
「お願い。反対側の道を進んで下さるかしら。懐かしいお友達に会いたいの」
洗濯物を取り込みに、鼻歌混じりのローズが裏庭に出ていると、門の方から馬が嘶くような声が聞こえた。
あら、今日は誰も出かけていないはずなのに。だんな様でも来たのかしら? と彼女が作業をやめて出迎えに行ってみると、アーロンやエルのおじたちの馬車ではない馬車が玄関前に止まっていた。
あら、でもこの馬車はどこかで見た事があるわねと彼女が眺めていると、中から喪服を着た貴婦人と、その連れの侍女が出てきた。その女性たちに、彼女は目を丸くした。
「まあ! クリスティーヌじゃない。見かけないうちに、ますますべっぴんさんになって!」
大きな声を出してローズは彼女たちの元へと駆け寄った。
「あぁ、ローズ! 懐かしいわ! あなたもお変わりなさそうで何よりだわ」
声の主に気がついたクリスティーヌも一瞬驚いたようだが、すぐに笑顔になり、彼女たちはギュッとお互いの体を抱きしめあった。
久しぶりの再会に、彼女たちがまるで少女たちのようにきゃっきゃとはしゃいでいると、突然ガタン! と何か金属製のものが落ちる音がした。
驚いた彼女たちが一斉に音の方向をみると、手元からバケツを落とした金髪の男が立ちすくんでいるではないか。
彼は髪を肩よりも長く伸ばしており、出歩く事が多いのだろう、肌は程よく日に焼けている。そして、引き締まった体に加えて、背もかなり高く、目鼻立ちも整っていた。
服装は洗い晒したシャツにズボンと庶民的だが、華やかなコートにレースのついたシャツ、そしてキュロットに履き替えれば、貴公子に見えてもおかしくはなかった。
いや、その格好で舞踏会に参加すれば、彼の美しさに気絶する貴婦人がいてもおかしくさえないように見えた。
「……もしかして、クリスティーヌ?」
彼は低い声で、彼女の名前を呼んだ。
クリスティーヌは一瞬きょとんとしたが、すぐさま彼が誰であるかに気づき、そんな嘘でしょう?! と動揺のあまり口に手を当てオロオロとした。同じく、侍女のジャンヌも驚いて目をパチクリさせている。
「……もしかして、エルなの? なんてこと!」
彼女の記憶の中では、エルは自分の背よりも小さく声も可愛らしかったので、まさか彼がここまで成長しているとは思ってもいなかったのだ。
しかし、彼が笑顔を見せた時、笑い方は変わっておらず、間違いなく彼だという事を確信した。
「わあ! お久しぶり。あなたがお屋敷に来なくなって、どうしたものかとずっと心配していたのよ。この様子だと、すっかり体調はよくなったみたいだけど……!」
彼女はエルに会えた事と、元気そうな様子に本当に嬉しそうな笑顔をみせた。
しかし、彼女とは対照的に、体調面の事を言われたエルは笑顔をやめ、少し気まずそうな顔をした。彼女に今の自分の姿を見せて良かったのだろうかと。
そんな彼の思いを差し置いて
「はいはい。立ち話もなんだから。中に入って、入って」
ローズはあの時と同じように、彼らを家の中へと促した。そして、エルの方に向かってウィンクすると、小声でこう言った。
「大丈夫。安心して。私たちが付いているわ」




