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33.喜劇の中での悲劇

 芝居が行われる劇場につくと、開始時刻よりずっと前だというのに多くの人が集まっていた。あたりはすでに暗くなっていたが、ここだけは建物を照らすように光が灯されている。


 クリスティーヌとラウルは予約していた三階の桟敷席へと通されると、そこは舞台からは距離が離れているが、真正面のため舞台全体を見渡すことができる、初めての観劇にはちょうどいい席だった。

 会場内ではおしゃべりに夢中の人が多くいるため、しばらくの間は騒ついていた。下に見える、平土間席はすでに満席だ。他の桟敷席もすでに人が着席している。目新しさもあって、なかなかの盛況ぶりのようだ。


 クリスティーヌとラウルは舞台が始まるまで、新しくできた劇場内を見回した。

 天井部分には、バチカンのシスティーナ礼拝堂天井画を思わせる、ダイナミックで豪華な絵が描かれている。柱にはコリント式デザインが採用されており、劇場内をより華やかに見せていた。

 なかなか建物内部の装飾もすごいと彼女たちが話し合っていると、彼女たちも顔をよく知っている大物貴族が連れの女性と共に別の桟敷席に現れた。

 そして、彼と女性が席につくと、舞台が始まる合図がされた。きっと、彼が今回の主賓なのだろう。



 幕が上がり舞台が始まる。だが、クリスティーヌはある事に気がついた。他の桟敷席が埋まっているというのに、右前方部の桟敷席だけが誰もいない。

 しかし、舞台が始まって劇に夢中になれば、その事はすっかり忘れてしまった。

 

 場面が転換し、次は何が起こるのかとクリスティーヌがワクワクしていると、先程の誰もいなかった桟敷席に誰かが入ってきた。

 男と女のカップルだが、彼らは仮面をしている。男の方は黒髪で、女の方はブルネットだ。雰囲気からして男の方はまだ若く、女の方が年上だと見受けられた。


 彼女は気にせず舞台を見ようとするが、何故かどうしても彼らの方に目がいってしまう。

 というのも、彼らは舞台を真剣に見るというより、コソコソ内緒話を楽しそうにしているのだ。そして、女の方が男の方に何かをねだると、男は彼女の頬に口づけをした。


 通常であれば、芝居やオペラを見るときにそんな光景は日常茶飯事なので、気にすることもないのだが、クリスティーヌは妙に彼らの事が気になってしまった。

 舞台に集中したいのに、彼らのせいで集中できない。いっそ、カーテンを引いてくれればいいのに……と思った矢先、女の方が男の仮面を外した。


 彼は、仮面を返して欲しいと彼女のほうに笑いながら言っているようだ。だが、彼女はそのいたずらが楽しいらしく、なかなか彼に仮面を返そうとしない。

 そして、また、彼の方に何をねだると、彼は今度は彼女の唇を奪った。彼女は満足げな様子をすると、サッと桟敷席のカーテンを閉めさせた。



 その様子をみていたクリスティーヌはわなわなと震え、顔は見る間に青ざめていった。手に持っていた扇子も思わずパタッと床に落としてしまう。

 ラウルは隣で笑って演劇を観続けていたが、流石に彼女が扇子を落とした事には気づいたようだ。

 落としたよと呑気な声で言いながら、扇子を拾って彼女に差し出すも、彼女はそれを受け取らず、何も言わないまま突然桟敷席から顔を伏せて走り出て行ってしまった。


 一方で、訳も分からぬままのラウルは一瞬その場で立ちすくんでしまったが、慌ててクリスティーヌのことを待って! と追いかける。

 階段を駆け下りながら、ようやく彼女を劇場の出入り口付近で捕まえるものの、彼女は両手を顔で覆うとその場にしゃがみ込んでしまった。どうやら泣いているようだ。

 彼はどうしたらいいか分からず、ただオロオロとするばかり。このまま、舞台を見続けるかどうかと聞いてみるも、彼女は首を横に振った。


 そのため、彼らは舞台の途中だったが、急遽帰宅することにした。どういう訳かとラウルが理由を聞いてみるものの、彼女は口を開いてくれない。

 それどころか、馬車の中でもクリスティーヌは泣き止む事がなく、屋敷に着くまでずっとそれが続くのだった。


◆◆◆


 クリスティーヌは屋敷に着くと、自室の長椅子に駆け込むようにして泣き続けた。

 どうして、どうして、とばかりの言葉しか出てこない。

 異常な様子の彼女の帰宅に、侍女のジャンヌが心配しているが、今は信頼するジャンヌにすら彼女は口を聞きたくない状態だった。


 それもそのはずだ。

 彼女が劇場の桟敷席で見たのは、今夜一緒に観にいくはずだった自分の夫、ユリエルだったのだ。

 あんな風に他の、しかも年上の女性と楽しそうにおしゃべりをして、笑って、キスをして……そっくりな人ではないかと思いたかったが、あの横顔はユリエルに間違いない。

 そして、カーテンを引いた後、彼らが何をしているのかと想像すると……うわーと彼女は滝の様に涙を流し、ますます大きく泣いた。


◆◆◆


 翌朝。

 ラウルがクリスティーヌの事を心配しながらサロンに行くものの、いつもの席に彼女は居なかった。しばらく待ってみても、彼女が来る様子は無さそうだ。


 アーロンは毎朝と同じように、おじたちと仕事の話をしていたが、ふと思い出したのか

「そういえば、昨日、クリスティーヌと芝居を観に行ったのだろう? 楽しかったか?」

と呑気にラウルに尋ねた。どうやら彼らの昨晩の様子を知らないらしい。

 ラウルは楽しかったけど……と言葉を濁す。アーロンはさては何かあったなと気づいたみたいで、そう……かとだけ言うと、彼にそれ以上のことは問わなかった。



 一方、クリスティーヌは目がさめると、朝だという事に気づいた。

 ぼんやりとしていたが、意識がしっかりしてくるのと同時に、昨日の悪夢が蘇ってきた。それを認識させるように、二人で寝ているはずのベッドは彼女しかいない。

 自分はなぜ、目覚めてしまったのだろうか。ずっと、夢の中にいたかった。そう願うと、彼女の目からはまた、止めどなく涙が溢れてくるのだった。


 昨日の事を気にしつつも、ジャンヌはいつものようにクリスティーヌの寝室に朝食を運ぶが、今日はとてもじゃないが食べられる気分じゃないと彼女は口をつけなかった。

 でも、何も食べないのは体に悪いですからと、ジャンヌは朝食の代わりにショコラを入れ、彼女に飲むように促した。

 いつもなら、大好きなショコラを喜んで飲むが、今日は昨日のこともあり、なかなか口が進まなかった。心なしか味も苦く感じる。

 一体、あの女の人は誰なのだろう。私は彼女と何が違うのだろうか。そんな事がずっとぐるぐるとクリスティーヌの頭の中を駆け巡った。


◆◆◆


 クリスティーヌがまともに食事を取れるようになったのは、それから三日後の事だった。

 ようやく朝のサロンにいくと、皆が心配そうな顔をしている。特にラウルは彼女の事をじっと見つめたままだ。

「体調はいかがかな。クリスティーヌ」

 まず、一番にアーロンが声をかけた。

「えぇ、おかげさまで良くなりましたわ」

 ならば良かった。あまり無理しないようにとだけ彼は言って、それ以上のことは言わなかった。


 だが、口では大丈夫と言っても、彼女の本心はそんな事はなかった。なるべく考えないようにするため、夢中で刺しゅうや楽器の演奏をした。

 しかし、思い出したくなくても、ふとあの事が突然蘇り、誰もいなければ涙を流してしまう。

 そして、相変わらずユリエルは家に帰ってこない様子だ。

 もともと、観劇や何か用事がある以外にあまり外に出ない彼女だったが、誰かに泣いてる姿を見られるのは嫌だったため、ますます自室に籠るようになるのだった。

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