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32.Je te vuex

 芝居に行けないユリエルの穴を埋めるために、クリスティーヌは代わりに一緒に行ってくれないかと彼を誘った。


「へえ。モリエールか。君が彼の作品を観たいと思うなんて珍しいね」

 彼は図書室である本を手に取る。

 本棚のかなり高い位置にその本は置かれていたので、数年前までは脚立を使わないと取れなかったが、今では足を少し伸ばすだけで易々と取れた。

「まあ、話しのオチがわかってしまうから、知りたくないなら読まない方がいいけど。でも、どういう登場人物なのかを事前に把握したいのなら、先に読むのをお勧めするよ」

 はいと言って、彼は今度観る芝居の題材になった本をクリスティーヌに差し出だす。


「ありがとう、ラウル。急な誘いだったのに、付き合ってくれて。それに本まで。嬉しいわ」

 クリスティーヌは目を細めて微笑んだ。

「ううん。僕はいつでも空いてるから。それに、誘ってもらって嬉しいよ」

 ラウルもクリスティーヌにつられて笑顔になる。


 実は、クリスティーヌがラウルを誘ったのはこれが初めてではない。

 彼女が芝居やオペラを観たくなったとき、仲の良い女友達を誘っていたが、都合がつかない場合は今回のようにラウルを誘っていたのだ。

 クリスティーヌとラウルは義理のきょうだいという関係だが、年が同い年という事もあり、仲はよかった。

 それに、大抵は男性と会話をすると、クリスティーヌは少しだけ緊張するのだが、不思議とラウルだけは初めて会ったときから緊張せずに話すことができた。

 いわば、彼女にとって、ラウルは初めての男友達だ。


 また、ラウルは大体いつも、やや暗い図書室にいることが多かった。

 そして、本を読んでいるか、勉強をしているため、いつしか彼はメガネをするようになっていた。

 本人曰く、普段はかけなくても支障がないが、文字を書くときや細かい字を見るときはかけないと分かりづらいとのことだった。

 そして、メガネをかけている時は、もともと気が弱い性格も相まって、より一層頼りないという印象に見えた。彼もそのことは気にしているようだ。

 現に、クリスティーヌが部屋に入ってきた時はすぐにメガネを外した。


「そういえば、最近のエルはどうしてるのかしら?」

 クリスティーヌは机の上の手紙に目をやる。彼女がこの部屋に入ってきたとき、ラウルは手紙を書いていた。手紙を書いているという事は、きっとエル宛だろうと彼女は思ったのだ。

「相変わらずみたいだよ。でも、最近は会計学に興味を持ち始めたって書いてあったな。羊の数を数えるのに飽きたって」

「ふふっ、彼らしい冗談ね。でも、彼がこちらのお屋敷に来なくなって久しいわ……もし、いたら、一緒にどうかしらって誘ったのに」

 クリスティーヌはエルがこの屋敷にいた日々の事を思い出すと、楽しい思い出が蘇ったのか再び笑みをこぼす。

「うん、そうだね。喜劇だったら、エルもついていくって言ってたと思うよ」

 ラウルも彼女の微笑み合わせて、同じように口角を上げた。


◆◆◆


 だが、彼女が部屋を出て行ったあと、ラウルは少し虚しさを感じていた。

 自分を誘ってくれたのは、あくまでもユリエルの代わりであって、自分だから誘ってくれたという訳ではない。

 それに、エルがもしここに居たら、彼女は自分を差し置いて、彼の方を先に誘っていたかもしれない。

 それは仕方のないことだ。何故なら、自分と彼女には、義姉と義弟の関係という大きな壁がある。それはどんなにしても乗り越えられるものではない。

 ふうと大きなため息をラウルはつくと、背もたれに手を置きながら椅子に腰かけ、天を仰いだ。


 実のところ、ラウルが恋をしていた相手はクリスティーヌだった。


 彼が彼女の事を好きだと感じたのは、いつの頃のことだったかまでは覚えていない。だが、きっと、初めて会ったときからすでに始まっていたのだ。

 というのも、初めて会ったとき、明るい金髪に珍しい紫色の瞳を持つ彼女を見て、なんて可愛らしいのだろうと彼はドキッとした。

 しかし、彼女がユリエルの婚約者である事を知らされると、一瞬舞い上がった気持ちはすぐに地へと叩きつけられた。


 兄の婚約者。容姿に優れ、自分とは違って人気があり、歩くたびに女性から黄色い声が上がるユリエル。

 きっと、彼女も彼の事に夢中になるだろう。自分の出る幕はない。そう思って、ラウルは先程の舞上がった気持ちを気のせいだと思うようにした。


 しかし、自分の気持ちを抑えようとしても、いつの間にか行動として出てしまうのだろう。

 彼は、結局のところ、エルと舞踏会で踊ったこと以来、社交辞令的な付き合いを除き、自ら進み出て女性を誘って踊った事はなかった。


 それは、彼が女性に対して気弱だったからという事もあるが、もう一つの理由として、クリスティーヌに対してなんだか申し訳がないという理由が密かにあったのだ。


 そして、今まではこのくすぐったいような、なんとも言えない気持ちをずっと抑えていたが、このところ、彼女を見るたびに心臓の音が高まる。

 それだけに留まらず、もっと近くに寄って、触れてみることができるなら、触れてみたい。そんな考えに支配されることが多くなった。

 自分は異常なのかもしれない。一体、この気持ちはなんなんだろうかと思って、気分を紛らわせるために、ラウルはシェークスピアの戯曲を読んでみると、その答えがわかった。


 これは、恋だと。


 もちろん、家の中の誰かに自分は恋をしているなんて言えるはずがなかった。父やおじはまだしも、クリスティーヌ本人にこの気持ちが伝わってしまったら、それこそ悲劇になるだろう。

 だが、誰かに打ち明けてみたかった。そして、笑われるかもしれないが、彼だけにはこの苦しい気持ちをわかってほしい。そう思って、ラウルはエルに筆をとったのだ。


 そのため、今回もまた二人だけになれるチャンスが訪れたことに、ラウルは嬉しさを感じていた。

 しかし、同時に、兄とクリスティーヌが仲睦まじくならないほうが、自分が彼女と一緒にいられるかも……という考えが一瞬頭の中をよぎった。

 

 なかなか帰ってこない兄に愛想を尽かしたクリスティーヌが自分の元にやってくる……そして、本当の愛を見つけたわと囁く。

 だが現実はそんな都合よくはいかない。それに、人のものを欲しがるなんて浅ましい人間のする事だと、ラウルは自己嫌悪をした。

 また、彼女が兄の事を愛しているのは事実だ。だから、自分の思いなんて叶う訳がない。ただ、側にいられるだけで幸せなんだと思うことにしようと、彼は自分自身を戒めた。

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