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30.夫婦の事情

「では、失礼します」

 女中は、汚れた下着をバスケットの奥へと入れ、彼女の部屋を静かにドアを閉め出て行った。


「ふう。今月もダメだったみたい」

 バスケットを床に下ろすと、彼女は残念そうに洗濯場で首を振る。

「そうなの。お気の毒ねぇ。もう、三年近く経つと言うのに……」

 洗濯中だった別の女中も残念そうな顔をしている。

 一瞬、いたたまれない空気がその場に漂ったが、洗濯物を持ってきた女中はバスケットの中から汚れた下着を取ると、それ以上は何も言わずに水の中へとつけた。



 一方、クリスティーヌはベッドの中で、毎月戦わないといけない痛みに耐えていた。

 ジャンヌに相談して、痛みが和らぐ方法なども教えてもらったが、やはり恒例のものがやってくると、身体だけではなく心も辛い事に変わりはなかった。

 自分には一体、いつコウノトリからプレゼントがくるのだろうか。いや、もしかしたら、一生来ないのかもしれない。そのようにしか思えず、ひたすら涙が目からこぼれ落ちた。


 なぜ彼女がここまで絶望しているのかというと、実は今年に入ってから、ユリエルとベッドを共にしたことは一度もなかったのだ。

 しかし、それは去年から既に兆候が出ており、最初は仕事が忙しいからとの事で、彼はポツポツと自室の長椅子で寝たり、外泊するようになった。

 そして、ベッドにいないのが月数回だったものが週数回となり、遂には一緒に寝ることの方が少なくなった。そして、二人のベッドは遂にクリスティーヌだけのものとなった。



「ヨハンナはもう二人も子供に恵まれたというのに、全くもってあなたは。だいたい……」

 久しぶりに母親と会えるとなって、クリスティーヌは嬉しく思った。しかし、彼女の気持ちとは裏腹に、母親は喜ぶどころか、なかなか子供の出来ない娘に対してお小言を言うだけだった。


 嬉しくなかった再会の後、お母様は私の気持ちをどうして理解してくれないの? 悪いのは私なの?! と彼女はジャンヌに泣きついた。

 泣きつかれたジャンヌもオロオロするばかりで、王妃様だってなかなかお子様ができなかったのだから、そういう事はなかなか上手くいかないものですよ、と慰めになっているのか、なっていないのか分からないことしか言えなかった。


 もちろん、クリスティーヌもウブな少女ではもうないので、ユリエルが自分の元に帰って来ない事がどういう意味か分かっていた。

 きっと、彼には愛人がいるのだ。誰かから直接聞いたわけではないが、今の常識にあわせれば、そういう事だ……と。


 クリスティーヌの方も、もともと、この結婚は親が決めたものだからと、割り切ってしまえれば、ここまで悲しむ必要もなかったのだろう。

 贅沢をしたり、夜遊びに明け暮れたり、自分も他の男性と恋をしたり、夫が居なくても楽しむ方法はいくらでもある。

 しかし、彼女が不幸だったのは、根が真面目で信仰心も厚かったため、そんな享楽的な趣味を好んでいなかった。

 それに、一番の不幸な理由は、自分を大事にしてくれない夫を愛してしまっていた事だった。


 愛人の所に行くのはやめて! 私の事を愛して! そんな情熱的に言えるのであれば、まだ楽だったかもしれない。

 しかし、それを言った所で、彼の心が戻ってくるとは彼女は思えなかった。

 むしろ、嫌われてしまって、ますます心が離れていってしまうのでは……その事がクリスティーヌにとっての最大の恐怖だったのだ。


◆◆◆


 一方、ユリエルの方も

「最近、あまり家に帰ってこないじゃないか。クリスティーヌが心配しているぞ」

とアーロンから忠告を受けていた。

 彼は連日の外泊から、久しぶりに家に戻ってきたところだ。今はアーロンと共に、皆で朝の談話をするサロンにいる。


「まあ、私も私なりに忙しいのです。彼女には、私のことは一切気にせず、好きに過ごして欲しいとお伝えください」

 責めるアーロンに対して、彼は目線を一切合わせずそう答えた。

「……女か?」

「父上も、二度も妻を持ったならわかるでしょう。夫婦には、夫婦だけの事情というのがあるのです。では」

 父が待ちなさいと言うのを聞かず、ユリエルはサロンを足早に出ていった。



 自室にもどると、はぁと大きなため息をユリエルはついた。はっきり言って、この結婚は間違いだった。そう彼は思っていた。

 もちろん、最初は彼なりに彼女のことを愛そうと努力をした。彼女もそれに応えるかのように、彼に従順だった。いや、従順過ぎたのだ。

 どうして、そんなにも自分に合わせようとするのだろう。なぜ、わがままを言わないのだろう。どうして、自分を困らせたりしないのだろう。

 自分の意見や顔色ばかりを伺って、まるで、人形のようじゃないかと、彼女との結婚生活を続けるうちに、ユリエルはいつしかそう思うようになっていたのだ。



 結婚して最初の頃は、お互いが新鮮だったので、ユリエルも彼女の事が可愛らしく思えた。

 しかし、半年も経つとお互いに慣れが出始め、新鮮に思えていたものも、平凡でただ退屈なものへと変化していった。


 例えば、こんな事があった。

 彼女は元々、明るくて暖かみのある色のドレスが好きだった。そして、それがまた良く似合っていた。

 ある時、ドレスを新調しようと仕立て屋を呼んだ。

 彼女はこの色が良いと淡いピンク色を選んだが、ユリエルがこっちもなかなか素敵だなと深いグリーンを指差すと、そちらにするとピンク色をやめてしまった。


 また、ある時は、どちらのアクセサリーが似合うかと聞いてきた。

 ユリエルがこちらのデザインは子供っぽいから、そちらのデザインの方が良いのではというと、以来、そちらの方に似たデザインのものしか身につける事がなかった。

 だが、子どもっぽいと言ったアクセサリーは、実は彼女の祖母からもらったもので、昔から大切にしていたのものだった、と後になって彼は知った。


 服装の事だけではない。

 フォーマルな舞踏会であれば、クリスティーヌもさすがにそれには参加をしたが、社交的なユリエルが好きな仮面舞踏会などの娯楽性の強い催しには、彼女はあまり積極的ではなかった。

 それに、芝居の好みも異なった。ユリエルはどちらかというと、神話をベースとした古典的で格調高いものを好んだが、彼女は歌が入った流行りの大衆演劇などが好きだった。

 誘えばついてくるし、興味は示すものの、楽しそうではない彼女を見て、いつのまにかユリエルはあまり彼女を誘わなくなった。


 さらに、夜の件もユリエルを失望させた。

 もちろん、彼女はそれ専門の女性というわけではないので、彼を喜ばせる技量など持ち合わせていなかった。

 かといって、事の後、愛してる愛してると言うだけで、エスプリの効いた話が出来るわけでもない。

 夫がいながら火遊び好きな貴婦人たちを知っているユリエルにとっては、余計に彼女の愛し方が子供っぽく感じられた。



 つまり、自分好みに合わせようと努力はしてくれているが、元々の趣味嗜好が異なったので、好きな共通点などがあまりない。

 それは、彼らが一緒に行動する選択の幅を狭め、次第に結婚生活をつまらなく感じさせていったのだ。


 そうするうちに、刺激を求めて、ユリエルは一人で外へと繰り出すようになった。

 しかし、普通の女性であれば、自分を放ったらかしにするなんてと怒るはずなのに、彼女はそんな文句を言わず、ただお帰りなさいというだけだ。

 もちろん、それは彼女なりの気遣いのつもりだった。彼は本当に仕事で忙しいのだろうと。


 だが、ユリエルにとっては、私は文句を言わずあなたに尽くしているの、なぜならあなたに好かれたいからというアピールにしか思えなかった。

 なぜ、彼女は怒る事すらしないのだろう。どれだけ自分というものがないのかと、だんだんと苦痛に近い、何とも言えない気持ち悪さを感じ、自然と彼女のもとへ帰る事がなくなっていった。


◆◆◆


 この状況にクリスティーヌも手をこまねいていた訳でもない。

 彼女なりに解決しようと、策を巡らしていた。だが、女というのは自分だけで解決するというよりも、まずは人に相談するというのが性だ。

 その例に漏れず、クリスティーヌもある相談相手の元へとむかうのだった。

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