29.手紙
「親愛なるエルへ。お元気ですか。僕の方はすっかりよくなりました。それと、遅くなったけど、僕の事を助けてくれありがとう……」
エルはラウルから手紙を読んでいた。彼の体調のこと以外では、近況などが書かれている。そして、手紙の最後には、早くエルも体調が良くなりますようにと書かれていた。
エルは心苦しかった。全て本当の事を曝け出したかった。でも、曝け出したところで、ラウルは受け入れてくれるだろうか。
しかし、拒絶される事よりも、また自分の意識が無くなって、いつの間にか彼を襲うんじゃないかという方がエルにとっては恐怖だった。
だから、こうやって手紙でやりとりできるのはホッとする部分もあった。
さて、ラウルには何て返事をだそうかと机に向き合っていると、コンコンと誰かが部屋のドアをノックする音が聞こえてきた。
「入りますよ」
と彼は言う。エルがずっと年下であるにも関わらず、常に丁寧な話し方をするのは彼だけだ。
「おや、君が誰にも言われず机に向かっているなんて、珍しいこともあるんですね」
声の主であるラファエルはくすりと笑い、勝手に肘付きの椅子に腰かけた。
「俺だってこうすることもあるよ。手紙を書こうとしてるんだから」
「あぁ、なるほど。では、それはもしかしたら、ラウルからの手紙かな?」
特にやましいことはないが、言い当てられた事にエルはどきりとして、手紙を裏に返した。その表情見て、ラファエルはすぐさまエルが誰宛に書いていたのかを読み取った。
「どうやら図星のようですね。まぁ、私が書くようにアドバイスしたのです。君に手紙を書いてみてはと」
「えっ、そうなの?」
エルは思わず目を丸くする。
「えぇ。彼が何を書いたかまでは知りません。でも、彼は君のことをかなり心配していましたよ」
「……」
ラファエルは最近のラウルの様子について話した。そして、エルのことは体調が優れないから、田舎に帰っているという体にしているということも。
「理由としては少し無理がありますが。彼が君に会えない、本当のことを話す訳にもいかないので……ね」
少し首を傾げるようにして微笑み、ラファエルはエルの目を見つめた。
「だから、彼に返事を出す時は、その点に少し注意をして欲しいのです。君が元気いっぱいなんてアピールしたら、彼もおかしいと思うでしょう。まぁ、彼はアグレッシブな性格ではないから、黙って家を出て君に会いに来るなんて事はしないと思いますが」
「それって俺に対する皮肉?」
少し不機嫌そうに、エルは片眉をピクリとあげた。
「まさか! そんなつもりはありませんよ。ただ、あの子もあの子で大人しいから時々何を考えているのか、正直わからない……だから、私は彼を少し心配しているのです」
そう言ってラファエルは、とんでもないと言うように両手を挙げるジャスチャーをした。
彼の口ぶりは、一見するとイヤミに感じられるかもしれない。
だが、悲しいときや落ち込んでいる時に、さっと手を差し伸べてくれるのも彼だった。顔立ちもアーロンや他のおじに比べ、柔和な印象だ。
というのも彼には半分、東洋人の血が入っているという。彼の母親は、その東洋の中でも東の端に位置する島国出身だったそうだ。
その国には、エルたちとは異なり、顔の堀は浅く、ラファエルのような黒髪、そして黒い目した人達が住んでいるという。
彼の丁寧な口ぶりと、常に落ち着いた様子は、この民族の血が入っているだからではないかとアーロンは言っていた。
そのため、エルは困った時は何だかんだ言ってラファエルを頼りにしていた。そして、それはラウルも同じだった。
用件は伝えましたとでも言いたげに、ラファエルは椅子から立ち上がると
「お邪魔しましたね。そうそう。もし、手紙に書く内容が無くて困ったなら、読んだ本の感想でも書きなさい。きっと、ラウルも同じ本を読んで、彼なりの意見をくれると思いますよ」
そう言って軽く手を振り、彼は部屋を出て行った。
エルは体を再び机に向ける。ペンを取ってみたものの、いざ手紙を書こうと思っても、なかなか話のネタが思いつかない。
刺激的な都会とは異なり、のどかで平和な田舎はそもそもあまり変化がない。可愛い子羊たちが生まれるのももう少し先だ。
唯一、思いついたのは猫のプランタンのことだ。
ある日、エルが厩舎の方に行くと、甲高い声変な声が聞こえが聞こえてきた。
何だ何だと声の元を探すと、突然、茶色いものが藁の中から飛び出してきた。エルはびっくりして腰を抜かしたが、自分を驚かしたものをよく見ると……それは子猫だった。
茶色といっても薄い茶色で、細かいトラ柄をしている。大きさからみて、生後3、4ヶ月くらいだろうか。顔に対して耳が大きいのも印象的だ。
「なんだ、お前」
エルが話しかけるが、こっちには近づいてこない。様子を伺っているようだ。
そして、その子猫はエルの様子を見つつ動き出し、事もあろうに棚の上で毛づくろいをしているプランタンの方に向かっていく。
「おい、そっちにいくと引っ叩かれるぞ!」
エルは思わずその子猫に向かって忠告するが、それを聞くわけもなく、子猫はどんどんプランタンの方へと近いていった。
シャー!! という猫独特の威嚇すら声がプランタンから上がるかと思ったが、彼は気にせず毛づくろいを続けている。
そして、子猫は彼の顔に自分の顔を近づけると、彼も子猫に顔を近づけ、まるでキスをするかのようにお互いの匂いを確認しあい、最終的に彼は子猫ことをペロペロと舐めてあげるのだった。
キースにこの事を話すと、彼も最近、その子猫の事を見かけたそうだ。
多分、この辺りのどこかで生まれたが、母親に追い出され、うちにたどり着いたのだろうと。
しかし、あのプランタンがオスのくせして、甲斐甲斐しく子猫の世話をする事に、エルは驚いていた。そんな事は全くしなさそうな面構えだというのに。
「名前は何にしようかね?」
キースがエルに聞く。
「そうだなあ……今は夏だし、エテにしよう」
「うわぁ、単純!」
クスクスとキースは笑う。
「いいじゃないか! プランタンだって春に来たんだし」
自分のアイデアを笑われたことに、エルは頬を膨らませた。
という訳で、エテという名の子猫がやって来た、いや、プランタンにエテという子分ができたとエルは手紙に書いた。
ちなみに、キースが捕まえて確認すると、エテも男の子だった。ますます、親分と子分ぽい。
だが、他に書ける内容と言えばあまり無かったので、エルはラファエルがアドバイスしてくれた通り、自分でも興味を持てそうな本を読んでその感想を書いた。
すると、一週間もしないうちに、ラウルから返事が届いた。
中身は子猫をぜひ見たいという事と、その本を自分も読んだとのことが書かれていた。
面白いなとエルが感じたのは、ラウルの感想が自分のものとは異なっていた事だ。
それに、エルは気がつかなかったが、本に出てくる登場人物が実はこうじゃないか、と彼は分析しており、確かに、読み返してみると最初とは違った解釈ができた。
また、手紙のほかに、一冊の本が一緒に送られてきていた。ラウルによると、それを読んで、ぜひ感想を聞かせて欲しいとのことだった。
こうして、彼らは互いの家を行き来するのはもちろん、顔を合わせる事は無かったが、手紙での交流をずっと続けた。
だが、ラウルからの返事は早いが、エルは手紙の内容を考えるのに時間がかかるため、遅いことが多かった。
エルは自分の遅筆を気にした。
しかし、こうやって手紙をやりとりすること自体が楽しいのだから、自分のペースで出してほしいとラウルが言ってくれたので、多少気が楽になった。
◆◆◆
そして、季節は過ぎ去り、彼らはもう17歳になっていた。
身長の事を気にしていたエルも、いつのまにか背が高くなっている。正確にいえば、アーロンと田舎に戻った後から急に背が伸び始めたのだ。
今では声も太くなり、大人の男と間違われてもおかしくはなかった。
相変わらず、ラウルとの手紙でのやり取りも続いている。
そして、最近の手紙には、やり取りが始まって以来の大ニュースが書かれていた。なんと、ラウルが秘密の恋をしているというのだ。
もちろん、秘密なので相手が誰なのかは書かれていなかったが、彼の叶わない想いが文章に刻まれており、エルも切ない気持ちになった。
いつのまに、ラウルは心も大人っぽくなったのだろう……とエルは窓から空を見上げた。
自分といったら、つい先日、村の祭りではしゃぎ過ぎ、祭りの余興で呼ばれていた旅芸人の女性と、アクシデントを起こしてしまった。だが、男として快楽を味わったというだけで、結局、彼女と恋に落ちることはなかった。
いつか、自分も恋に落ちることはあるんだろうか……そう呟いて、エルはうなだれた。




