24.動き出す運命の歯車
彼らが互いの家に行き来するようになってから、すでに数ヶ月が経っていた。
今月はエルもラウルもパリの屋敷にいる。長く降り続いていた雨がやっと上がり空はよく晴れていた、ある日のことだ。
「なあ、ラウル。外行かないか?」
退屈そうに机に向かいながら、エルはペンを転がしている。
「だめだよ。ミカエルに今の時間は自習してなさいって言われてるんだから」
「なんだよぉ。お前って本当に真面目な奴だな」
彼らは今、屋敷内の図書室にいた。図書室と言っても蔵書は膨大で、図書館といった方が相応しかった。
特に読書好きのクリスティーヌは初めてこの図書室に足を踏み入れた時、大興奮している様子だった。
「すごい! ここまで集めるのにどの程度かかったのかしら。素晴らしいわ! 私が一生かけてもここの本を読み切れるかしら?」
そう言って、彼女は両手で抱えられるギリギリの数を持ち、自室へ篭って行った。
「それにさあ、今日はキースだって風邪で寝込んじゃってるし。今日くらいいいじゃない」
いつもは健康そのもののキースも、今日に限っては珍しく高熱を出しダウンしていた。彼も手が空いているときは勉強に参加していたのだ。
「だめったら、だーめ。それに僕はこうして本を読んでる方が好きだし」
本来だったら、この時間、彼らはミカエルに勉強を見てもらっているはずだった。
しかし、住み込みで働いていた臨月の女中が予定よりも早く産気づいてしまい、助産婦を呼ぶのは間に合わないと、医術の知識があるミカエルが急遽出産に駆けつけにいったのだ。
アーロンをはじめとして、他の二人のおじたちも今日は所用で外出中だった。そういった訳で、彼らは突然自習となったのだ。
「ふーん、いいよね。勉強好きなラウルはさ。俺なんて雨の間ずっと外に出れなかったし。あー退屈過ぎて死にそう。つまり、ラウルは俺に死ねって言ってるんだ。酷い。酷いよっ!」
とエルがワーワー騒ぎ始めた。こうなるとラウルがいくら咎めても聞きはしない。困り果てたラウルはとうとう根負けした。
「わかったよ! 一時間だけだよ。それ以上は認めないからね? 約束してよ」
ラウルがそう言うと、エルはピタッと騒ぐのをやめて、ラウルの腕をグッと掴むと
「やったー! じゃあさ、面白いところ見つけたから、そこに行こう!」
そう言って、駆け足でそこの場所へと向かうのだった。
◆◆◆
「……うわぁ。なんだここ」
思わずラウルが声を上げる。
「驚いた? すごいだろ」
彼らは庭の端にある、雑草がぼうぼうに生え、手入れが全く行き届いていない場所にいた。
辺りには石像が転がっている。そして、彼らの前には小さな水辺が広がっていた。
実は、ここは彼らの母親が新しい庭園を作ろうとしていたのだが、作っている最中に亡くなってしまったため、その後放置されたままだったのだ。
ラウルが思いもよらぬ光景に驚いていると、水辺からピチョンと小さな魚が跳ねた。
「わあ、しかも、ここに魚がいるなんて。どこから来たのかな?」
彼は水辺の住人に興味しんしんの様子だ。
「実はこれ、俺が作ったんだぜ」
エルは得意げな顔をした。
彼によるとこうだ。庭を散策していたときに、今の場所を発見した。近づいてみると、タイルで作られた丸く大きなものが見える。
円の外側は、フチの途中まで土で埋もれているが、形からして元々はどうやら大きな噴水のようだった。
一部が壊れているせいで水が流れてでてしまうようだが、そこさえ塞いでしまえば水は溜まりそうだ。
それに、ここの庭にある、かつて池だったと思われる場所は、何故かどれも埋められてしまっている。
常々、川まで行かないと魚釣りができないのは、不便だし面白くないと感じていたエルは、ここなら雨が大量に振れば、池として使える。
そうピンときたのだ、と彼はラウルに言った。
「その泳いでる魚は、今朝、小川に行ってとってきたんだ」
作られた池の中の小さな魚たちは、元気よく動き回っている。
「それにさ、ラウルは魚釣りやったことないんだろ? 面白いぜ」
白い歯をニーッと見せるエルの手には、いつの間にかバケツとお手製の釣竿が握られていた。
◆◆◆
「よしよし、こい! よし! やった。釣れたよ!」
エルが全然釣れないのに対して、ラウルはもう何匹も釣っていた。さっきとは違って楽しそうにはしゃいでる。
「本当にラウルは恵まれてるよ」
自分の方が全然釣れない事に、エルは少し不貞腐れた様子でそう呟く。
「えっ? 何が? うわ、やった、もう一匹釣れそうだ!」
思った以上の大漁にラウルは興奮している。
「だってさ、俺なんてちっとも身長が伸びないのに、ラウルはまた背が大きくなってんじゃん」
「そんなこと言ったって、僕だって知らないよ。成長期だし。でも、父様が言ってたけど、うちの家系の男子は後から急に背が伸びる事がよくあるんだって」
確かにラウルがぐんぐん背が伸びているのに対して、エルの身長はわずかにしか伸びなかった。
それに、最近では声の質までラウルは変わっていた。一方でエルは相変わらず可愛らしい声のままだった。
「あー、もう。残り一匹しかいないし。時間だから帰ろう」
釣れない事に苛立ちを覚えていたエルは、図書室に帰ることをラウルに促す。
「待ってよ。最後に一匹だけ取らせて。急いで餌つけるから!」
すっかり魚釣りにハマってやんのと、釣り針にエサをつけるラウルを見て、エルは少々呆れながらそうボソッと呟いた。
「つぅ!痛っ!」
ラウルは思わず声を上げ、指を押さえている。
「うわー、参ったな。血が出てる」
彼は急いでいたため、釣り針を滑らし、それによって指を刺してしまったのだ。親指から血がポタポタと出ている。確かに痛そうだ。
「そんなもの、ツバつければ治るよ。貸してみな!」
そう言うと、エルはラウルの親指に口をつけた。
◆◆◆
誰かが庭の中央で叫んでいる。
庭の掃除をしていた使用人の男たちは、何だと何だとその人物に駆け寄って近づく。
「エル様……それはどうなさったんですか!」
彼らのうちの一人が声をかける。
叫んでいる人物の正体はエルだった。
だが、彼の姿は異様だった。口の中は赤い何かで染まり、シャツまでベットリとついている。
「ラウルが! 助けて! ラウル! ラウル! あぁー!」
パニックになっているため、言いたいことを言えていなかったが、エルは庭の先の方を指差している。
ある者は落ち着かせようとエルのことを宥め、残りの使用人たちは彼が指差した方へと駆けつけた。
一方、ミカエルは出産の手伝いを終え、一息つこうとしていた。すると突然、男の使用人が勝手に部屋に入ってきた。
「何だ騒々しい。ノックくらい……」
そう言いかけると、男は息を切らしながら必死な様子で
「だ、だ、だんな様! 大変です。お坊ちゃんが……! 早く助けてください!」
とミカエルの腕を掴んだ。腕を掴んだ男は先程、エルが指差す方向へと向かっていったうちの一人だった。
その様子に異常性を感じたミカエルは、表情を硬くし、無言のまま彼についていった。
彼が案内した先はラウルの部屋だった。そしてベッドには、顔が青ざめたラウルが横たわっていた。
急いでミカエルはラウルの呼吸を確認する。
……良かった、呼吸はある!……
そう確信すると、心音を確認するため、彼はラウルのシャツのボタンを外した。
そして、ふとラウルの首元を見ると、襟の一部が少し汚れており、更に二つの小さなアザの様なものがある事に彼は気がついた。




