22.しばしの別れ
とうとう、エルが田舎に帰るとなった日の朝。
キースに起こされ、エルはベッドに入ったまま、ふぁと大きく伸びをする。そのまま、椅子の方に目を横にやると、彼の今日の着替えはドレスではなく、シャツとズボンが用意されていた。
ついに最終日が来たのだ。こうしてみると、あっという間だったなとエルはなんだか寂しい気分になった。
いつものようにサロンへ行くと、すでにラウルやユリエルなど他の家族は集まっており、最後にザラキエルが使用人を連れて入ってきた。
彼らは布を被せた何かを、家族全員が観れる位置へと置いた。
「ついに完成だ。今日に間に合ってよかった」
そう言って彼はイーゼルから布を取ると、一枚の肖像画が現れた。肖像画の中には、どこか凛とした雰囲気のラウルと女装姿のエルが描かれていた。
ザラキエルは今や時代遅れと言われているが、暗い中に光を灯したような、重厚で男らしいバロック期の絵の方が本来は得意だった。
しかし、このキャンバスには、明るい色調にふんわりとした筆使いを用いており、どこか幸せそうな雰囲気が漂う、ヴィジェ・ルブラン風のタッチで描かれていた。
「久しぶりに苦労した。ラウルはそうでもなかったが、エル、お前はモデルになってる間ずっと眉間にシワを寄せてるから……そのまま仕上げてやろうかと思ったよ」
そう冗談交じりにザラキエルは言いつつも、絵の中のエルは可愛らしく口角をキュッとあげている。どう見ても美少女にしか見えなかった。
「素晴らしい出来だな。さすがだ」
キャンバスに手を添え、絵をまじまじと見つめてアーロンが褒める。
「せっかくだ。来客用の応接間にでも飾ろう」
そう彼が言うと、わーっとラウルとクリスティーヌは喜び笑みをこぼした。特に、クリスティーヌは大賛成の様子だ。
なぜなら、この家は風景画や静物画は飾られていたものの、人物画は数えるくらいしかなかったのだ。
しかも、描かれている人物はユリエルかラウル、他の家族は若い頃の絵だけ。
この家だったら、歴代の当主とか描かれていてもおかしくないのに。少し寂しくないだろうか? とクリスティーヌは常々不思議に思っていたのだ。
「折角ですし、今度は家族全員を絵に描いて貰うというのはいかがかしら?」
クリスティーヌは思い切って提案してみた。だが、その瞬間、アーロン達は表情を曇らせた。
「あ、あぁ。それも素晴らしい提案だ。考えておこう」
と彼はあまり乗り気ではない様子で、そう答えた。
一方、エルはじーっと絵を見つめたままだ。
「どうした? 何か気に入らないのか?」
ザラキエルが聞く。
「ううん。そうじゃなくて、自分の笑った顔って、他の人からはこう見えるんだと思うと不思議だなって思って」
「まあ、多少のデフォルトは入ってるが、お前はそんな感じだよ」
そう言って、ザラキエルはエルの頭をポンポンと軽く叩いた。
エルは思った。他人からはこう見える……女装姿で微笑む自分は、やはり、母親そっくりなんだなと。
皆が歓談していると、とうとうエルが田舎に帰る時間になった。エルの家族全員が庭に出て彼を見送る。
「いよいよ、お別れだな。弟よ」
そう言って、ユリエルは軽く微笑みながらエルと握手を交わす。
「うん。でも、この二週間、全然構ってくれなかったじゃない。今度は遊んでよね。兄さん」
エルはユリエルの手を強く握り返した。
「ちょっと遠いけど、また、春になったら来てね。今度は一緒に、ヨハンナの所へ行きましょう」
クリスティーヌもニコニコしながら、エルに挨拶をする。
「そうだね。あそこの家のデボラにもまた来てねって言われたし。じゃあ、ラウルも元気でね」
エルがそう言った途端、うわーっとラウルは幼い子のように泣き出してしまった。
「や、やっぱり、帰っちゃうなんて、寂しいよぉ……」
「おいおい、泣くなよ。冬なんてすぐ終わる。また、来るからさ。だから、泣かないって約束しろ」
エルはラウルのことを抱きしめて……と思ったら、思いっきり脇腹をくすぐった。
「うわっ! 何するの! やめて! ギャハハ」
「ほら、笑おうと思えばできるじゃないか。じゃあ、またね、兄弟」
ラウルの背中をバシッと軽く叩くと、馬車までタッタッタと走りエルは飛び乗った。
◆◆◆
「別れの挨拶はやっぱり辛いんだね」
馬車の中でキースがエルの顔を見ながら、ニヤニヤして言う。
「うるさい。ちょっと、目にゴミが入っただけだ」
エルは少し潤んでいる目をシャツの袖でゴシゴシと拭った。
車窓からはどんどんパリが離れていく。外の木々の中には、葉が黄色いものもチラホラとみえた。
あと一ヶ月も過ぎれば、グッと冬に近づくだろう。冬の間は田舎は本当に退屈だ。早く過ぎ去ってくれればいいのに。
エルは春を待ち遠しく感じながら、車窓の風景を見続けた。




