【第8話】見えない毒
王都の西の外れにある鬱蒼とした森を抜け、私とマリエラは一軒の山小屋にたどり着いた。
天才錬金術師、ロザリンド・フォスターの工房だ。
「密閉できるガラス瓶。それと瓶の蓋を貫通してL字に伸び、先端がスポイトのように細く絞られたガラス管? こんなもの、今度はなんに使うんだい?」
私の依頼の図面を見たロザリンドは、瞳をキラキラと輝かせた。
「瓶の中でガスを発生させ、ガラス管を通します。ガラス管の口はガスを安定して燃やすため、なるべく細く、かつ均一な口径でなければなりません」
「なるほど、ガスの流速を上げて逆流を防ぐってわけだ。理にかなってるね。任せな、これならすぐに作ってやるよ!」
「その前にロザリンド様、この工房に硝酸はございますか?」
「硝酸? ああ、売るほどあるよ。ちょっと待ちな」
ロザリンドが棚の奥から小瓶を取り出して手渡してくれた。
私はガラスのビーカーに布で包んできたオズワルドの遺髪の一部を入れ、そこに硝酸を注ぎ込んだ。
「ヴァレリアン様、髪の毛をお薬に入れてどうするのですか?」
マリエラが不思議そうに覗き込む。
「硝酸は危険ですよ、もう少し離れましょう。髪の毛は非常に頑丈な『ケラチン』という成分でできており、そのままでは中に蓄積された毒を取り出せません。ですから、こうして強い酸と熱でドロドロに溶かす必要があるのです。ロザリンド様、コンロもお借りできますか?」
「ああ、いいよ。というか、あんたならここを好きに使ってもらっていい」
私は指先から火魔法を放ち、コンロを使ってビーカーの底を一定の温度で熱し始める。
「髪が溶け切り、硝酸が完全に蒸発するまで数十分ほどかかります。そしてその後、少量の水で溶かします。こうしておかないと、後で薬品と混ぜる時に危険です」
ロザリンドも作業を開始し、指先から発動させた火魔法で、ガラス管を熱し始めた。
この世界の魔法は生活を補助する程度のささやかなものだが、彼女の知識と職人技が合わされば話は別だ。
熱されて飴のように柔らかくなったガラス管を、彼女は魔法で風をあやつりながら絶妙な力加減で引っ張り、見事に真っ直ぐで先端の極めて細い形状へと引き伸ばしていく。
「すごい……魔法と職人技の融合ですね」
マリエラが感嘆の声を漏らす。
「ヴァレリアン様。その不思議な形の道具で、オズワルド様のご遺髪から毒を見つけるつもりなのですよね? でも、どうしてそんな複雑なものが必要なんですか?」
マリエラの純粋な疑問に、私は静かに頷いた。
「見えない毒を、確固たる証拠として目に見えるようにするためです」
私はロザリンドによるガラスの成形を見守りながら、前世における『毒物捜査』の歴史を語り始めた。
「以前読んだとある文献によれば、ある国に無味無臭の恐るべき毒薬が存在しました。それは砂糖や塩のような白い粉末で、『ヒ素』という毒物でした。食事に混ぜられても気づかず、死に至る症状はコレラなどの流行り病と酷似している。今回のオズワルド様の症状とも一致します。ヒ素は長い間、完全犯罪の道具として暗殺に多用されてきました」
「暗殺……」
「ええ。医者が疑いを持っても、毒は目に見えないため証拠が残らない。しかしある時、マーシュという一人の化学者が、画期的な装置を発明しました」
前世の記憶。1836年に発表されたその装置こそが、今ロザリンドが作っている『マーシュ試験器』だ。
「彼は、被害者の胃の内容物や遺髪を特定の薬品と混ぜ合わせることで、毒の成分だけをガスとして分離させる方法を思いつきました。そして、そのガスをこの極細のガラス管から噴出させて燃やし、そこに冷たい陶器の皿をかざすのです」
「発生したガスを燃やして、それにお皿をかざす……?」
「そうです。ガスの中に毒が含まれていれば、冷たい皿の表面で急激に冷やされて、その成分がへばりつくのです」
私の説明を聞いていたロザリンドの手がピタリと止まり、彼女はこちらを向きニヤリと笑った。そして上機嫌で私の肩に腕を回して、顔を至近距離まで近づけてくる。
「ははっ! 目に見えない毒を気体に変えて抽出した上で、冷やして固体として可視化するってことかい!? 科学者とやらは、面白いアプローチを考えるね!」
彼女は研究の話になるとまるで子どものようになり、パーソナルスペースという概念が消失してしまうようだ。
「だ、だから、近いんですっ! ヴァレリアン様から離れてくださいっ!」
案の定、マリエラが顔を真っ赤にして私たちの間に割って入った。豊かな胸が私の腕に思い切り当たっているが、彼女はロザリンドを引き剥がすのに必死で気づいていないようだ。
「おや、マリエラちゃんは今日も元気だね。ほら、インテリ執事さん。注文の品が完成したよ」
カラカラと笑うロザリンドから、私はまだほんのりと温かい、完璧な形状のガラス器具を受け取った。
「ありがとうございます、素晴らしい出来です。……さて、これで準備は整いました。実験では有毒ガスが発生します。みなさん、外に出ましょう」
私はテラスのテーブルに器具をセットし、上着のポケットから前回使用した緑礬油(硫酸)の瓶と、亜鉛の欠片を取り出した。
「なんだい、材料を持参したのかい。ここにはなんだって揃ってるよ。次からは手ぶらで来な」
「ありがとうございます。では、次回からはそうさせていただきます」
これで実験の準備はすべて整った。
私がガラス瓶に亜鉛の欠片と硫酸を入れようとしたその時、じっと手元を見つめていたマリエラが、ふと不思議そうな顔をして口を開いた。
「あの、ヴァレリアン様。少し気になったのですが……」
「どうしましたか、マリエラ」
「もし、その瓶に入れる薬品のほうに、最初から毒が混ざっていたらどうなるんですか? それだと、髪の毛から毒が出たのかどうか分からなくなってしまいませんか?」
その言葉に私は思わず顔をほころばせ、マリエラに向かって深く頷いた。
「素晴らしい着眼点です、マリエラ。まさにその通りです」
「えっ、あ、ほ、本当ですか?」
突然褒められたマリエラは、照れくさそうに身をよじった。
「この実験方法が発表された当初、まさにあなたが指摘した、証拠品以外のものに毒が混ざっているのではないかという批判が殺到しました。だからこそ、科学において最も重要な手順を踏む必要があるのです。それが『対照実験』です」
「ブランクテスト……?」
私はまず、硫酸と亜鉛だけを瓶の中で反応させた。
ジュワワワッ……。
激しい音とともに化学反応が起き、大量の水素ガスが発生した。ガスは蓋を貫通するL字のガラス管を通って、細く絞られた先端から勢いよく吹き出し始める。
そして私は、指先から微弱な火魔法を放ち、ノズルの先から出るガスに点火した。
「何も入れていない状態のガスを燃やし、そこにこの真っ白な陶器の皿をかざします」
チロチロと燃える炎に皿を当てても、少し煤がつく程度で何も変化は起きない。
「これで、私が用意した試薬の中には毒が一切含まれていないことが証明されました」
「なるほど。先に不純物が含まれていないかをチェックするんですね!」
「そのとおり。これがブランクテストです。……では、いよいよ本番です」
私は一度火を消し、ガラス瓶の中に、先ほど硝酸で溶かしたオズワルドの遺髪水を投入して再び密閉した。
激しくガスが発生し、私はそれに再度点火する。
すると先ほどとは違い、ガラス管の先から青白い炎が上がり始めた。
「炎の色が変わった!」
ロザリンドが息を呑む。
(この炎の色! 間違いない、ヒ素だ!)
「毒が混じったガスが燃えている証拠です。ここに、冷たい陶器の皿をかざすと……」
……数秒後。
炎から皿を離すと、真っ白だった陶器の表面に明らかな変化がおこった。
「な、なんですかこれ……焦げたわけではないですよね?」
「これこそが、オズワルド様の毛髪から抽出された毒、純粋なヒ素そのものです」
私が答えると、マリエラとロザリンドが同時に息を飲んだ。
「つまり……これが毒そのものなんですね……」
目に見えないはずの毒が、こうして誰の目にも明らかな状態に可視化されたのだ。
「ははっ……こいつはすごい! 魔導具も使わず、物質の性質だけを利用して、隠された毒を引っぱり出したってわけだね!」
ロザリンドが興奮しながら、陶器の皿を食い入るように見つめている。
「ええ。これが科学の目。見えない毒を引きずり出した真実の鏡です」
これで、オズワルドの死が病死ではなく、毒殺であることが完全に証明された。
残るは、遺産と商会を独り占めしようと企み、先妻の息子ルーカスの命までをも狙う若き後妻、カミラを追い詰めるだけだ。
「さて、彼女のために極上のディナーの準備に取り掛かるとしましょう」




