【第4話】不可解な事件現場
ライゼンハイマー伯爵邸の執務室に呼び出された私は、主であるセオドア様からひどく頭の痛い相談を受けていた。
「ヴァレリアン、すまないが現場を見てやってはくれないか?」
事の起こりは今朝方、王都にある別の貴族の屋敷で起きた殺人事件だった。
被害者はその貴族の親戚である、二十歳の青年だった。休暇を利用してその屋敷に滞在していたが、あろうことか、その家の十八歳になる令嬢の自室で遺体となって発見されたという。
二人はひっそりと交際をしていたようで、第一発見者でもある令嬢は『痴情のもつれによる殺人』として騎士団に即座に捕縛されてしまった。
セオドア様は、前回の事件での私の助言を高く買ってくださり、今回の事件でもアドバイスを求めているのだ。
「ヴァレリアン。常日頃難しい本を読んでいる、お前のその知識の深さは騎士団でもすでに噂になっているのだ。私の口添えもあり、捜査への介入は問題はない」
私は今世でも変わらず読書を趣味として、多くの文献や論文に目を通してきた。その中でいやでも気付かされたのが、この世界の科学的見地の低さだ。
おそらく魔法や、魔石を動力とする魔導具など、独自の技術による発展が、科学の進歩の妨げとなっているのだろう。
「……セオドア様、私は騎士でも探偵でもありません。一介の執事に過ぎないのです」
私は一瞬躊躇し、丁重にお断りしようとした。前世の科捜研としての血が騒がないと言えば嘘になるが、他家の事件にまで首を突っ込むのは執事の領分を越えている。
「お願い、ヴァレリアン! メイベル様は私のお友達なの! あんな優しい方が人を殺すわけないわ!」
だが、セオドア様の隣で悲痛な顔をして懇願するお嬢様、セラフィナ様の声に、私は小さく息を吐いた。
「……承知いたしました。ですが、あくまで助言を行うのみという条件でお願いいたします」
「恩に着る。屋敷のことはメイド長のクレアと、私の秘書であるグスタフに任せておけ」
こうして私は、急遽事件の起きた屋敷へと向かうことになった。
――
「あ、ヴァレリアンさん! 現場はこちらです」
事件の起きた屋敷に到着すると、見覚えのある若手の騎士、アシュトンが出迎えてくれた。
現場である令嬢の部屋へ案内されると、遺体はまだ手付かずのまま残されていた。
部屋の前にはニクラス副団長が立っており、彼は私を見ると少しばかりばつが悪そうに顔を逸らした。どうやら前回の事件の教訓が生かされ、現場はきちんと保存されているようだ。
私は令嬢のベッドの脇で倒れている遺体に手を合わせてから、その状態を観察した。
凶器は残されていないが、首の横、頸動脈が深く切り裂かれている。
ナイフなどで頸動脈を切断された場合、血圧によっておびただしい量の血液が噴き出すはずだ。壁や天井にまで真っ赤な血しぶきが飛び散ることも普通に考えられる。
だが、部屋をいくら見渡しても、遺体の下にある血だまり以外に血液の痕跡は一切見当たらない。
それだけの出血を完璧に拭い去ることは不可能だ。遺体があっても血しぶきがないこの状況から推測して、ここで殺されたと考えるのはありえないのだ。
つまり、誰かが別の場所で彼を殺害し、こっそりとこの部屋に運び込んだ可能性が高い。さらにこの遺体を令嬢が一人で運べるとは思えない。犯人は男性か、協力者がいるとみて間違いないだろう。
くわえて大の大人の遺体を誰にも見られずに、三階のこの部屋まで屋敷の外から運び込むことも至難の業だ。
外部犯の可能性は低いだろう。間違いなく、被害者は屋敷内の別の部屋で殺害されている。
(犯行現場さえ特定できれば、その部屋を使用している者から犯人を絞り込めるはずだ。だが血液の痕跡を見つけ出すには、『ルミノール試薬』が必要だ……)
ルミノール試薬を作るには、三つの素材が必要になる。
そのうちの二つは屋敷の工房にあるもので製作可能だが、残りの一つ、『ルミノール粉末』に該当する薬品の調達は非常に難易度が高い。
私は立ち上がって振り返り、ニクラス副団長たちに向き直った。
「ニクラス様、この部屋は殺害現場ではありません。おそらく犯行現場は屋敷の別の場所だと思われます。ひょっとしたら、令嬢は犯人ではないかもしれません」
「なんだと?」
「殺害現場の特定が、犯人の手がかりに繋がる可能性が高いです。被害者、あるいは捕まった令嬢に強い恨みを持つ者、または犯行予想時刻にアリバイがない者を屋敷内から探し出していただけますか。私はその間に、本当の殺害現場を見つけ出す道具の準備に入ります」
「……わかった」
私はそう告げると、踵を返して屋敷をあとにした。
――
ライゼンハイマー邸へと戻った私は、玄関の掃除をしていたマリエラにそのまま尋ねた。
「マリエラ。ある特殊な薬品を作ることのできる人物を探しています。どこか腕の良い薬剤師に心当たりはありませんか?」
「薬剤師、ですか? ……申し訳ありません。薬剤師に心当たりはないのですが、王都の西の外れの森の中に、錬金術師が小屋を建てて住んでいると聞いたことがあります」
「錬金術師……ですか」
この世界で物作りに携わる職業は大きく四つに分かれている。
薬を作る『薬剤師』、日用品や魔導具を作る『クラフター』、武器や防具を作る『鍛冶師』。
そして、全ての創造物を貪欲に追い求める『錬金術師』だ。
錬金術師は超難関の国家資格であり、この国にも数人しか存在しない。この世界の発明のほとんどは彼らの手によるものであり、錬金術師の大半が王宮に高給で召し抱えられているはずだ。
「そんな人物がなぜ、一人で森の中に?」
「噂でしか聞いたことがないのですが、王宮で自分の論文が何度も却下されたことに腹を立てて出て行ったそうです。何十もの論文を提出されたそうですが、私の知っている範囲ですと『子どもが親に似ているのは、体の中に設計図が存在するからだ』と主張したらしいです。とても不思議なことを言う方ですよね」
「な……なんですと……」
私は思わず足を止め、目を見開いた。
(体の中に設計図……遺伝子だ! まともな顕微鏡すらないこの異世界で、DNAの存在に気づく者がいたというのか!)
その圧倒的な科学的見地に、私は密かに心が震えた。その錬金術師ならば、ルミノール粉末を作れるかもしれない。
「マリエラ、私をその錬金術師のところまで案内してくれませんか?」
「は、はい! すぐに準備をしてまいります!」
マリエラはぱあっと顔を輝かせ、小走りで自室へと戻っていった。
――
(……少し遅いな)
数十分後、エントランスホールで待っていた私の前に現れたマリエラは、いつものメイド服ではなく、可愛らしいフリルのついた若草色のワンピースにおめかしをしていた。
「お待たせいたしました、ヴァレリアン様。ど、どうでしょうか……?」
少しそわそわとしながらスカートをつまむマリエラに、私が何と声をかけるべきか迷っていると、階段の上から楽しげな声が降ってきた。
「あれ? 二人ともお出かけ? もしかしてデートに行くの?」
手すりから身を乗り出したセラフィナ様が、ニヤニヤと笑いながらこちらを見下ろしている。
「で、ででで、デートだなんて滅相もございませんお嬢様! これはその、ただの道案内でしてっ!」
マリエラは顔を真っ赤にして両手を激しく振り回し、ひどく慌てふためいている。
「私たちは仕事に向かうだけですよ、お嬢様。では、行ってまいります」
私はなぜマリエラがこれほど動揺しているのか首を傾げつつ、一礼して屋敷の扉を開けた。
今は一刻も早く、その規格外の頭脳を持つ錬金術師に会わなくてはならないのだ。




