【第3話】指紋
(さてまずは、指紋というものを彼らに理解させなくてはならないな……)
「マリエラ、手の空いている使用人に声をかけて、会議室から『投影魔導具』を二台持ってきてもらえますでしょうか」
「承知いたしました」
マリエラが退室し、しばらくすると他の使用人と共に、二台の投影魔導具を現場に運び込んできた。
投影魔導具とは、魔石が組み込まれた箱型の魔導具で、上部の平らな面に物を置くと、その物を正面の壁に大きく映し出すという、いわゆるプロジェクターのような代物だ。
私は遺体に刺さっていた包丁を慎重に引き抜くと、血で汚れていない柄の部分を投影魔導具の上に乗せた。
「カーテンを引いてください」
私の指示でアシュトンがカーテンを引くと、昼間の室内は薄暗い空間へと一瞬にして変化した。重苦しい空気が同時にのしかかる。
カチリとスイッチを入れると箱の側面から光が照射され、部屋の壁に先ほど煤で浮かび上がらせた黒い模様が大きく映し出された。
「おお……っ! なんだ……これは?」
壁に浮かび上がった巨大な指の模様に、ニクラスをはじめとする騎士団の面々がどよめく。
「これが人間の指先に刻まれた固有の模様、指紋の詳細です」
そう言うと私は投影魔導具を操作し、柄に浮かび上がった人差し指の指紋を拡大した。
「よくご覧ください。渦を巻いている線や、途中で途切れている線など、複雑な特徴が無数にあるのがお分かりいただけるでしょう。この特徴の組み合わせが、他の誰かと完全に一致することは天文学的確率です」
私は壁に映る指紋の線を指し示しながら説明し、次に先ほど採取した容疑者の指先の写しを、もう一台の投影魔導具に乗せた。
まずは厨房の下働きの女の指紋を横に並べて映し出す。
「容疑者は一旦、右利きの二人に絞られました。そしてこれは、彼女の人差し指の指紋です。見比べてみてください。包丁に残された指紋とは、渦の形も線の流れも全く異なります」
「本当だ……全然違う」
アシュトンが感嘆の声を漏らした。
「では、次に。この新人の書記係の指紋を並べてみましょう」
二枚目の紙を投影魔導具の上に置く。
壁に投影された書記係の人差し指の指紋は、包丁の柄に残された指紋の渦と、恐ろしいほどに完全に一致していた。
「なっ……!?」
その場にいた全員の視線が、一斉に書記係へと突き刺さる。
「中心の渦の形、線の分岐点……すべてが完全に一致しています。書記係、あなたがこの包丁を握りしめ、会計長の背中から突き立てたという動かぬ証拠です」
「ち、違う! 私には動機がない! 会計長を殺して得をするのは副会計長だ!」
書記係は顔面を蒼白にして叫んだ。
「動機などは分かりませんし、私の関知するところでもありません。ですが、証拠はあなたが犯人だと言っている」
「ふざけるなっ! こんな指先の模様ごとき、他にも同じ奴がいてもおかしくないだろう!」
「いいえ。指紋の線が分かれる『分岐点』、指紋の終わりの『端点』、短い線などの固有の形状が十二箇所一致する確率は、かぎりなくゼロに近い。たとえ双子であったとしても、指紋は一致しないのです」
私の言葉に自らの罪が完全に暴かれたと悟ったのか、書記係は突然身を翻し、開け放たれた扉から廊下へと逃亡を図った。
しかし、彼が数歩踏み出すよりも早く、凄まじい速度で動いた影があった。
騎士団長であるセオドア様だ。
ズダンッ!!
「ぐああっ!」
セオドア様は逃げようとする書記係の腕を瞬時に捻り上げ、そのまま冷たい部屋の床へと取り押さえた。剣と格闘術を極めた彼が、本気を出せばただの文官が逃げられるはずもない。
「見苦しいぞ! 貴様の処遇は、騎士団の尋問室でじっくりと決めてやろう。ニクラス、アシュトン、連行しろ」
「「はっ!」」
騎士団の手によって書記係に手枷がかけられるのを見届けた私は、静かに息を吐き、右目に装着していた銀縁の片眼鏡を取り外した。
胸ポケットにそれをしまうと、私の意識はかつての解析班から、ただの執事長へと戻った。
「行きましょう、マリエラ。私たちの仕事はここまでです」
私は呆然と立ち尽くすマリエラに声をかけた。
「は、はい。ヴァレリアン様」
その時、セオドア様が私に向き直り声をかけた。
「ヴァレリアン、一緒に騎士団の本部に付き合ってはもらえないだろうか?」
その主の言葉に少し間をおいてから、私は答えを返した。
「……申し訳ございません、セオドア様。罪人を裁き、その動機を追求するのはあくまで騎士団の皆様の仕事です。私は本日、執事の仕事をほとんどこなせておりません。すぐに本来の職務に戻らせていただきたいと思います」
一礼し、私は静かにその場から立ち去った。
――
数日後。
私は午後の休憩時間を利用し、控室で一人、淹れたての紅茶を嗜んでいた。
「ヴァレリアン!」
バタンと勢いよく扉が開き、腰まである金髪を揺らしながら、お嬢様であるセラフィナ様が駆け込んできた。
十六歳の彼女は少し小柄で、胸が小さいことを気にしている可愛らしい、もう一人の主だ。
その碧い瞳は、好奇心でキラキラと輝いている。
「お嬢様、はしたないですよ。ドアはノックをしてから、静かに開け閉めするのです」
「お父様から聞いたけど、先日の屋敷での事件を解決したのはヴァレリアンなんでしょ?!」
私の小言など意に介さず、セラフィナ様は興奮気味にテーブルから身を乗り出してきた。
「いえ、少しアドバイスをしただけで、犯人を捕まえたのは騎士団の皆様です」
私がそっけなくいなすと、セラフィナ様は少し口をとがらせて、もったいぶるように言い放った。
「いつもそうやって、はぐらかすんだから! じゃあもう、犯人の動機を教えてあげなーい。私、お父様から聞いて知ってるんだもんねー」
「結構です。私は一介の執事、それ以上でもそれ以下でもありません」
「もうっ、かわいくない! いーだ!」
私はセラフィナ様が可愛らしく怒る様を横目に、手元の新聞に視線を落としながら、ゆっくりと紅茶をすする。
『伯爵家会計長殺害事件、新人書記係を逮捕。着任からの巧妙な横領が発覚したことによる口封じか?!』
(なるほど、会計長に横領がバレたことの口封じか。次期会計長となるべき副会計長が殺人の疑いをかけられれば、一時的に自分が後釜に就く可能性も出てくる。そうなれば横領し放題だ。一石二鳥、いや三鳥を狙った犯行というわけか……)
新聞の三面記事の片隅に載ったその事件の顛末を読みながら、私はふわりと香る紅茶の湯気の向こうで少し思いをはせた。
(前世の私こと、『結城理』に戻るのは、これで最後にしてほしいものだ……)
ライゼンハイマー伯爵家での穏やかな昼下がりは、ゆっくりと過ぎていった。




