【第23話】遠心分離機
ロザリンドが不眠不休で完成させた、夢の錆びない金属、ステンレス。
その銀色に輝くバトンを受け取ったルーツは、すぐさま遠心分離機の製作に取り掛かった。
研究所の作業机に向かうルーツの手元から、甲高い金属を削る音が響き続けている。
「硬い……真鍮なんかとは比べ物にならない!」
ルーツは額に汗を浮かべながらも、その顔には満面の笑みを浮かべていた。
ステンレスは、その強靭さゆえに加工が極めて困難な金属である。
しかし彼女はドワーフ特有の超絶技巧を駆使し、硬いステンレスの塊から精巧な歯車やパーツを次々と削り出していく。
私とマリエラは、息を呑んでその鮮やかな手捌きを見守っていた。
「それにしてもヴァレリアン様。この遠心分離機というのは、元から犯罪捜査のために作られたのですか?」
「いいえ。前世の世界において十九世紀の後半には、農業や酪農の分野で、どんどんと機械化が進んでいました。その中で、牛乳からクリーム、つまり乳脂肪分を効率よく取り出すための道具として発明されたのが、遠心分離機の始まりです」
「牛乳からクリームをですか。お菓子作りに便利そうですね」
「ふふっ、そうですね。牛乳を容器に入れて高速で回転させると、重い水分は外側に押し付けられ、軽い乳脂肪分が中心に集まります。この遠心力を利用した分離技術があまりにも画期的だったため、後に化学や医療の分野へと応用されるようになったのです」
私が説明する間にも、ルーツの手によって次々と金属パーツが組み上げられていく。
「今回ルーツ様に作っていただいているのは、手回しで超高速回転を生み出す、小型遠心分離機です」
私はルーツが今まさに組み込んでいる機構を指差した。
「大きなハンドルを回すと、それに噛み合った小さな歯車が何十回転もするようになっています。この機構によって、手で回すだけで一分間に数千回転という凄まじいスピードに到達するのです」
「手動なのに、そんなに速く回転するんですね……。あっ、でもヴァレリアン様。血液を入れた容器をそんなスピードでぐるぐる回したら、中身がこぼれてしまいませんか?」
マリエラが素朴な疑問を口にする。
「ご心配なく。それを解決するための仕組みが、スイングアウト方式という特殊な構造です」
私が言うと、ちょうどルーツが回転軸の先端に、小さなバケツのようなホルダーを取り付けていた。
「ルーツ様、そのホルダーの動きをマリエラに見せてあげてください」
「はい! マリエラさん、よく見ていてくださいね」
ルーツがゆっくりとハンドルを回す。
すると、最初はだらんと真下に向かって垂直にぶら下がっていたバケツ状のホルダーが、回転が速くなるにつれて遠心力で持ち上がり、やがて完全に水平の姿勢に跳ね上がった。
「わっ、下向きのバケツが横を向きました!」
「これがスイングアウト方式です。紐を水平に振り回すと、横を向くのと同じです。回転が止まっている時は垂直にぶら下がっているので、中の液体がこぼれることはありません」
「なるほど! 考えた人は本当に頭がいいですね!」
マリエラが目を輝かせて拍手をした。
――
作業はその後も順調に進み、窓から差し込む光が茜色に染まり始めた頃だった。
応接コーナーのソファから、ロザリンドがゆっくりと身を起こした。
「ふぁあ……よく寝た……。ん? どうなってるんだい、あの金属は」
目を覚ましたロザリンドが、大きく伸びをしながらこちらの方へ歩み寄ってきた。
そこには、銀色に輝くステンレスのボディと、緻密な歯車機構が見事に融合した、美しくも完璧な遠心分離機が鎮座していた。
「たった今完成しましたよ、ロザリンドさん!」
ルーツが誇らしげに胸を張る。
「こいつは驚いた。アタシが寝ている半日の間に、あの硬い金属をここまで精巧に加工するなんてね。ルーツ、あんたもたまにはやるね!」
「たまにはってなんですか! ボクはいつもやるんですよ!」
口を尖らせるルーツを見て、ロザリンドはカラカラと笑った。
「おはようございます、ロザリンド様。お疲れのところ申し訳ありませんが、ロザリンド様にもお願いしたい作業が残っております」
私が声をかけると、ロザリンドは鼻眼鏡を押し上げてニヤリと笑った。
「素材を作って寝てただけじゃ、アタシの出番が少なすぎるからね。で、何を作ればいいんだい」
「遠心分離機のホルダーにセットするための、特殊な試験管を作っていただきたいのです。前世ではこれをスピッツ管と呼んでいました」
私はあらかじめ書いておいた設計図をロザリンドに手渡した。
「スピッツというのは尖っているという意味です。普通の試験管のように底が丸いと、遠心分離をかけた時に沈殿物が底に薄く広がってしまい、取り出すのが困難になります。しかしこのスピッツ管のように底を細く尖らせておけば、分離された不純物などを、一点に集めることができるのです」
「なるほど。すり鉢のように、底に集束させるための形状ってわけだね。任せな!」
ロザリンドはガラス管を手に取ると、指先から火魔法と風魔法を展開した。
宙に浮いたガラス管が絶妙な魔法操作によって、スーッと細く尖った形状へと引き伸ばされていく。
あっという間に、ミリ単位の狂いもない完璧な形状のスピッツ管が四本錬成された。
「完璧です。では、さっそくテストを行ってみましょう」
私は外から泥水を汲んできて、四本のスピッツ管に等量ずつ注ぎ込んだ。
それらを遠心分離機のホルダーにセットし、しっかりと固定する。
「じゃあ、いきますよ!」
ルーツが遠心分離機のハンドルを握り、勢いよく回し始めた。
ギュイィィィン!
という甲高いギアの駆動音が研究所に響き渡る。
ルーツが回転速度を上げていくと、遠心分離機は微細なブレすら見せず、安定した超高速回転を維持し続けた。
数分後、ルーツが徐々にハンドルの回転を緩め完全に停止させると、慣性によって周り続けていたガラス管たちもゆっくりとその回転を止めた。
私はホルダーからスピッツ管を取り出し、皆の前に掲げた。
「すごいです! 水が完全に透明になっています!」
マリエラが歓声を上げた。
先ほどまで濁っていた泥水は、完全に透明な上澄み液となり、細かい泥の粒子はスピッツ管の尖った底に綺麗に沈殿していた。
「これが遠心力による分離です。どんなに細かなゴミでも、これを使えばほとんど取り除くことができます」
「大成功だね。錆びない金属と、遠心分離機。まさに科学の道具だ」
ロザリンドが満足そうに頷く。
「これで、血液の不純物を取り除き、レクチンを抽出することができます」
残るは、血液型を判定する試薬の材料となる、植物の種子を手に入れるのみだ。
「さて、ロザリンド様がステンレスの生成をしてくださっていたこの二日間、私もただ待っていたわけではありません。王都の図書館に足を運び、植物図鑑や薬草学の文献を片っ端から調べておりました」
私が告げると、三人はハッとして私を見た。
「じゃあ、血を固める植物の場所が分かったんですか?」
「はい、ルーツ様。今回我々が必要とするのは、A型、そしてB型の血を固まらせるレクチンを持つ、二種類の植物です。この二つの植物が両方自生している可能性が最も高い場所を特定しました」
私は懐から王国の広域地図を取り出し、机の上に広げた。
「王都から馬車で丸一日ほど北西に向かった先にある、山間部の村です。標高が高く、独自の生態系が保たれている地域です」
「つ、つまり、ヴァレリアン様と数日の旅ですか!」
マリエラが目を輝かせる。
「証拠品から真実を暴くための、最後のピースとなる材料です。明日、朝一番で出発しますので、皆様旅の準備をお願いします」
私の言葉に、三人は力強く頷いた。
――
翌朝。
王都の澄んだ青空の下、一台の馬車が西門を抜けて街道へと進み出た。
馬車に揺られているのは、私、マリエラ、ロザリンド、ルーツの錬金科学チームの四人だ。
「そうそう。目的の村は温泉地としても有名だそうです。植物の採取が無事に終われば、少し骨休めができるかもしれませんね」
私がそう言うと、三人の女性陣から歓喜の声が上がった。
こうして私たちは最後の材料を求め、遠方の山間部へと向けて、期待と決意を胸に旅路を進んでいった。




