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【第24話】蠅の導き

王都から馬車に揺られること丸一日。


私たち錬金科学チームの四人は、独自の生態系が保たれているという、山間部ののどかな村へと到着した。


目的は血液型を判定する試薬の材料となる、二種類の植物を採取することだ。


しかし村の馬車駅に降り立った私たちは、この村が異様な騒動の渦中にあることに気がついた。


「まだ朝も早いのに一体何事でしょうか? 村の人々がひどく慌てていますね」


マリエラが周囲を見渡しながら不安そうに呟いた。


近くの旅館の前で、恰幅の良い中年男性が、地元の騎士らしき男に必死にすがりついている。


私たちはその会話に耳を傾けた。


「こんなことをするのは、あいつしかいません! 早く捕まえてください!」


どうやら中年男性はこの村の村長であり、彼が手塩にかけて育てた最高級の牛が、何者かによって牛舎で殺されたのを、今朝方見つけたらしい。


来月の品評会で優勝が確実視されていた自慢の牛だったという。


「そうは言っても、目撃者も証拠もないんじゃねぇ……」


しかし騎士は面倒くさそうに頭を掻いていた。


人が殺されたわけではないのだから、おそらく魔獣の仕業だろうと、まともに捜査をする気がないようだ。


嘆き悲しむ村長の姿を見て、私は静かに歩み寄った。


「村長様、お見受けしたところ大変な事態のようですね。私はライゼンハイマー伯爵家に仕える、執事のヴァレリアンと申します。よろしければ、殺された牛の傷跡を私に見せていただけませんか」


「王都の騎士団を率いてらっしゃる、あのライゼンハイマー伯爵家の方ですか! お願いします、どうか私を助けてください!」


私の言葉に、村長は藁にもすがる思いで頷き、私たちを牛舎へと案内してくれた。


牛舎の中には、首から血を流して倒れている巨大な牛の亡骸があった。


私は銀縁の片眼鏡を右目に装着し、手袋をはめた手で遺体の首に残された傷跡を詳細に観察した。


「どうだい、インテリ執事さん。魔獣の仕業かい?」


ロザリンドが鼻眼鏡を押し上げながら尋ねてくる。


「いいえ。これは人間の手によるものですね。さらにこの体温。殺されたのは明け方でしょう」


私は立ち上がり、皆に向かって断言した。


「傷口の形状をよく見てください。剣やナイフのような真っ直ぐな刃物で切られたのであれば、傷口は直線的で滑らかになります。あるいは魔獣の牙であれば、深い刺し傷になるはずです。しかしこの傷は、三日月型に湾曲しており、傷のフチの肉が微細に引きちぎられています」


「本当だ。ギザギザに千切れたような傷跡ですね」


ルーツが傷口を覗き込んで同意する。


「ええ。これは農作業などで使われる、湾曲したギザギザの刃を持つ草刈り鎌を引っ掛けて引いた痕です。つまり、農具を扱う人間の犯行で間違いありません」


私の見立てを聞いた村長は、ハッと息を呑んで声を荒げた。


「鎌ですと!? 間違いない、やっぱりあいつの仕業だ。向こうの森の近くに住んでいる農家の男に決まっている。奴は品評会で毎年私の牛に負けて準優勝に甘んじており、普段から嫌がらせを受けていたんです」


動機と凶器が結びつき、容疑者が浮かび上がった。


「では村長様、その男の家へ案内してください。それから、比較のために村長様が所有している鉈や草刈り鎌などの刃物も、すべて持ってきていただけますか」


「私の鎌をですか? 構いませんが、一体何に使うのですか?」


「真実を明白にするために必要となります。あとこちらのメモに書かれているものも、一緒にお願いします」


私はそう答え、村長に荷物を用意させてから、ライバル農家の家へと向かった。



――



ライバル農家の男は、突然押し掛けた私たちを見て明らかに動揺していた。


私は彼に事情を説明し、普段使っている農具を確認させてほしいと申し出た。


男はしぶしぶ倉庫を開けたが、そこに並んでいた草刈り鎌や鉈などの刃物は、どれも不自然なほどピカピカに洗い上げられていた。


「農作業の道具にしては、あまりにも手入れが行き届いていますね。泥一つ付いていません」


私が言うと、男は額に汗を浮かべながら声を荒げた。


「農具を綺麗に手入れして何が悪い。証拠もないのに俺を犯人扱いする気か? さっさと帰れ!」


ロザリンドが私の耳元で囁く。


「執事さん、ルミノール試薬を作るかい? アタシの錬金術なら材料さえあればすぐに作れるよ」


「お気遣いありがとうございます、ロザリンド様。ですが試薬の材料をこの村ですぐに手に入れるのは困難です。それに今回は、ルミノール試薬がなくとも犯人を暴くことができます」


私は男に向き直り、静かに告げた。


「では、自然の生態を利用して真実を明らかにしましょう」


私たちは森の入口へと場所を移し、村長に頼んでいた獣の生肉を取り出し、風上に置いた。


「ヴァレリアン様、お肉なんて置いてどうするんですか? もしかして魔獣をおびき寄せるんですか?」


マリエラが少し不安そうに、森へと視線を向ける。


「いいえ、マリエラ。私がおびき寄せたいのは、もっともっと小さな生き物です」


私は生肉を指差した。


「ハエには酒や果物の匂いに集まるものもいますが、今回は血や肉の腐敗臭に惹きつけられる、クロバエ科の青蠅を呼ぶための餌です」


「ハエなんか呼んでどうするんだい?」


ロザリンドが首を傾げる中、しばらくすると森の方から羽音を立てて、大量の青蠅が生肉の周りに集まってきた。


青蠅の嗅覚は鋭く、死臭や血の匂いを数百メートル先からでも嗅ぎつける能力を持っているのだ。


「これで第一段階は完了です。次に容疑者である彼の鎌と、村長様がお持ちの鎌を、日当たりの良いこの地面に並べます」


私は二つの農家から集めた数本の鎌を、間隔を空けて日なたに並べた。


そして用意した霧吹きを使って、それぞれの刃にたっぷりと水を吹きかけた。


「日に当てて、水をかけて……何が起きるんですか、ヴァレリアンさん?」


ルーツが興味深そうに観察している。


「乾燥した血液のタンパク質は、水を与えられ、さらに太陽の熱で温められることで、揮発性の物質となって再び微かな血の匂いを放ち始めるという理屈です。犯人がいくら水で綺麗に血を洗い流したつもりでも、刃の微細な傷や金属の隙間に残った血液成分を完全に取り除くことは難しいですからね」


私は前世の歴史において、昆虫の生態が初めて犯罪捜査に応用された偉大な記録について語り始めた。


「前世の世界において、十三世紀の中国という国で、ある人物が『洗冤集録(せんえんしゅうろく)』という法医学の専門書を記しました。前世で最古の法医学書と言われています」


「ずいぶんと昔の知識なんだね」


ロザリンドは頷きながら感心する。


「ええ。その書物の中に、ある村で起きた殺人事件の記録があります。鎌で人が殺された事件で、役人は村中の男たちに、自分の鎌を持って広場に集まるよう命じました」


私は霧吹きで水をかけながら説明を続ける。


「当時はもちろん、科学的なルミノール反応などありません。しかし役人は、集められた何十本もの鎌を地面に並べさせ、ただ待ったのです。すると、目に見える血痕など全くない一本の鎌にだけ、どこからともなく大量のハエが群がりました。ハエの優れた嗅覚が、刃の微細な隙間に残っていた血の匂いを嗅ぎ取ったのです。これが『法医昆虫学』の始まりと言われています」


「つまり虫の生態を利用した科学捜査ってわけだね。ゾクゾクするじゃないか!」


ロザリンドが自分の腕の鳥肌をさすった。


「でもハエはあっちに群がってますけど?」


ルーツが風上にある生肉を指差した。


「ええ。だからこそ、ここからがハエの生態コントロールです」


私は生肉へ歩み寄り、用意しておいた木箱の中へ肉を仕舞い、さらに蓋をした。


そして、荷物から蝋燭を取り出すと、指先から小さな火魔法を放って蝋を溶かし、木箱と蓋の隙間を完全に塞ぐように密閉していった。


「隙間を蝋で完全に密閉し、生肉の匂いを外に一切漏らさないようにシャットアウトしました。さあ、どうなるか見ていてください」


生肉という極上の餌と匂いを失ったハエたちは、うろうろと辺りを飛び回り始めた。


そして餌の匂いを求めて空中をさまよっていたハエたちは、やがて刃物の方へと一斉に向かい始めた。


「あっ、ハエが刃物の方に飛んでいきますよ」


マリエラが声を上げる。


数十匹のハエが地面に並べられた鎌の上を飛び回り、そして次々と着地していった。


「見事ですね。完全に一箇所に集中しています」


私はその結果を見て静かに微笑んだ。村長から借りた鎌には一匹のハエも寄り付いていない。


大量の青蠅が群がっているのは、ライバル農家の男の倉庫から持ってきた、一本の草刈り鎌だけだった。


「な、なんだこれは!……気味が悪い」


様子を見ていたライバル農家の男が、自分の鎌に群がるハエを見て後ずさった。


「ハエたちは、あなたの鎌に残された牛の血の匂いに反応しているのです。いくら綺麗に洗っても、ミクロの世界の痕跡まで消し去ることはできなかったようですね」


私が男に真実を突きつけると、男はその場にガクッと膝をついた。


「……毎年あいつの牛に優勝を持っていかれて、くやしかったんだ。魔獣の仕業に見せかければバレないと思い、やってしまった。……すまなかった」


こうして、古代の法医学の知識によって、犯人の隠蔽工作は完全に見破られたのだった。


事件が無事に解決し、村長は私たちに向かって何度も深く頭を下げた。


「本当に何と御礼を申し上げてよいか分かりません。皆様がいなければ、泣き寝入りするところでした。これで数年間続いた嫌がらせもなくなるでしょう」


「礼には及びません。それでは私たちは、本来の目的である植物の採取に向かいますので、これにて失礼いたします」


私がそう答えると、村長は私の手を強く握った。


「実はこの村には、効能豊かな温泉が湧いておりまして、私は温泉旅館を経営しているのです。植物の採取でしたら明日、村の者に案内させますので、滞在中はどうか私の旅館で疲れを癒してください。もちろんお代は結構です」


温泉旅館でのおもてなし。


その言葉を聞いた瞬間、マリエラ、ロザリンド、ルーツの三人の顔がパァッと明るく輝いた。


「温泉だって! 執事さん、みんな丸一日馬車で疲れてるんだ。今日くらいは羽を伸ばしてもいいだろ?」


ロザリンドがウインクをして私の肩を叩く。


「ヴァレリアン様、ここはぜひお言葉に甘えましょう」


マリエラもうんうんと、期待に満ちた瞳で私を見上げてくる。


「はぁ、分かりました。今日は休息としましょう。村長様、しばらくお世話になります」


こうして私たち錬金科学チームは、思わぬ事件の解決をきっかけに、滞在中は温泉旅館で過ごせることになったのだ。


明日こそは本来の目的である、血液型を判定する二種類の植物を必ず手に入れなければならないと、私は一人心の中で静かに気合を入れ直した。

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