【第22話】ステンレス
「新たな道具とは一体何を作るのですか、ヴァレリアン様?」
マリエラが頬に指を添えながら尋ねた。
「はい。作るものは、『遠心分離機』です」
「えんしんぶんりき?」
ルーツが不思議そうに復唱する。
「今回の血液型鑑定においては、二つの問題が立ちはだかります。一つ目は血痕が一年前のもので、さらに作業着に付着していること。布に染み込んだ古い血を溶かし出したとしても、そこには布の繊維やホコリなど、大量の不純物が混ざっています。顕微鏡で覗いたとしても、『レクチンに反応して固まった血液』なのか『ただのゴミ』なのか、正確に判別できない可能性が高いのです」
「それなら濾過して、ゴミを取り除けばいいのではないでしょうか?」
「いいえ、マリエラ。血液は非常に粘り気があり、フィルターがすぐに目詰りしてしまいます。そして二つ目の問題も同じです。植物の種子からレクチンを抽出する際にも、同じようにドロドロの液体となり濾過は困難です。そこで容器を高速で回転させ、その遠心力によって重い固形物を底に沈殿させ、上澄みの綺麗な液体だけを取り出す道具を作るのです」
「なるほど、それで遠心分離機というんですね!」
私の説明にルーツは大きく頷き、ロザリンドはポンと手を打った。
「遠心力が必要なら、アタシの風魔法でいいんじゃないか? 容器を空中に浮かせて、超高速回転させてやるよ」
そう言ってロザリンドは、空中でペンをクルクルと回してみせたが、私は即座に首を横に振った。
「そのような高精度の魔法操作は、ロザリンド様のような錬金術師でないと不可能です。さらに重要な理由があります。証拠の提示に魔法が関わると、捏造を疑われます」
「どうしてだい?」
「科学捜査において最も重要なのは、誰が使っても同じ結果を導き出せるということです。特定の人物でないと再現できない工程を挟むことは、証拠の信頼性を揺るがす行為なのです」
「なるほどね。錬金術師が証拠を触った時点で、手品や誤魔化しを疑われるってわけか」
ロザリンドは腕を組み、納得したように頷いた。
「では、早速その遠心分離機とやらを作りましょう! で、どんな構造なんですか!?」
ルーツが目を輝かせながら、ぐいぐいと身を乗り出してくる。
だが、私は彼女の勢いを右手で制した。
「ルーツ様の出番はまだ少し先です。遠心分離機の製作には、まず素材から作らなければいけません」
「素材ですか? いつものように真鍮や鉄を使えばいいんじゃないですか?」
「今回、真鍮や普通の鉄を使うことはできません。それは鑑定のために、血液や食塩水を使うからです。鉄や真鍮は塩分と水分に極めて弱く、すぐに錆びて腐食してしまいます」
「じゃあ、木製ならどうですか?」
「遠心分離機は超高速で回転するため、それに耐える強度が求められます。木製では遠心力に耐えきれず砕け散る危険があります」
「んー……錆びない金属……金やプラチナなら錆びませんが、柔らかすぎますし、何より高価すぎますね。材料費で屋敷が建っちゃいますよ」
ルーツが顎に手を当てて考え込む。
「ええ。そこで我々は、錆びない鉄を生み出す必要があります」
私がそう告げると、三人の視線が一斉に私に集まった。
「錆びない鉄だって? そんなもの、おとぎ話にも存在しないよ」
ロザリンドが目を丸くする。
私は前世の記憶を探り、その金属が生まれた歴史を語り始めた。
「前世での二十世紀、ある国の兵器工場で、大砲の筒が熱と摩擦ですぐに摩耗してしまうという問題がありました。それを解決するために、イギリスという国の学者が、鉄に様々な金属を混ぜて硬くする研究をしていました。彼は無数の実験を行い、失敗作の鉄くずを研究所の裏にあるゴミ捨て場に投げ捨てていました」
「失敗作を捨てるなんて、なんてもったいない」
ルーツが職人目線の感想を呟く。
「数週間後、彼がゴミ捨て場を通りかかった時、雨ざらしにされていた鉄くずの山の中で、一つだけ全く錆びずに銀色の輝きを保っている金属の塊を見つけました。それこそが、偶然生み出された錆びない鉄、『ステンレス』だったのです」
「ゴミ捨て場から生まれた錆びない鉄……いいねぇ! オリハルコンを探すよりも価値があるよ!」
ロザリンドは興奮したように机を叩いた。
「ステンレスが錆びない理由は、鉄にクロムという金属を混ぜ合わせたからです。クロムは酸素と触れると、金属の表面に薄いミクロのバリアを張る性質があります。これを『不動態皮膜』と呼びます。このバリアは傷ついても、周囲の酸素と結びついて一瞬で自己修復するため、内部の鉄が錆びるのを完全に防ぐのです」
「素晴らしい! 夢の金属じゃないか! で、クロムをどれくらい鉄に混ぜればいいんだい?」
「医療器具や過酷な環境にも耐えうる配合は、鉄にクロムを十八パーセント、そしてニッケルを八パーセント混ぜ合わせたものです」
私がその配合を告げると、ロザリンドはすぐに黒板に向かい、チョークで計算式を書き殴り始めた。
「材料と配合の比率は分かった。アタシの錬金術なら、指定の割合で金属を融合させることは造作もない。すぐに作ってやるよ!」
「お待ちください、ロザリンド様。ステンレスの精錬には、極めてシビアな条件があるのです。適当に混ぜ合わせるだけでは、ただの脆い鉄くずになってしまいます」
私の警告に、ロザリンドの手が止まった。
「最大の壁は、鉄の中にある炭素を極限まで排除することです」
「炭素を排除? でも鉄を硬い鋼にするためには、炭素が絶対に必要なはずだよ」
「おっしゃる通りです。しかし、クロムは炭素と非常に結びつきやすく、鉄の中に炭素が多く残っていると、クロムが酸素と結びついてバリアを張る前に、クロムが炭素によって消費され、錆を防ぐことができなくなります」
ルーツが眉間にシワを寄せながら呟いた。
「鉄を溶かす時は木炭を燃やして高温を作ります。そうするとどうしても、鉄の中に炭素が混じります。炭素を極限までなくすなんて、普通の鍛冶屋じゃ絶対に不可能です」
「前世の歴史でも、ステンレスの発明が近代まで遅れた最大の理由がそれです。クロムを大量に入れつつ、炭素を極限まで取り除くという精錬技術は、当時の鍛冶技術では至難の業でした」
私がそう説明すると、ロザリンドは不敵な笑みを浮かべた。
「なるほどね。だからこそ、アタシの出番じゃないか!」
ロザリンドは右手に火魔法、左手に風魔法を展開させ、炉の中で金属の融合を始めた。
「風魔法で空気を遮断して真空状態を作り、炭素や不純物の混入を防ぐ。そして木炭を使わず、火魔法の純粋な熱エネルギーだけで金属を溶かして融合させる。これなら、極低炭素のステンレスってやつが作れるはずだろ?」
「理論上は完璧です。ロザリンド様の精密な魔法制御があってこそ可能な、高度な錬金科学の極致と言えるでしょう」
「任せな! アタシの実力を見せてやるよ!」
ロザリンドは額に汗をにじませながら、魔法の出力を絶妙にコントロールし、鉄とクロム、さらにニッケルを融合させていく。
そしてやがて、小さな銀色の金属の塊が完成した。
「どうだい! これでステンレスの完成だ!」
ロザリンドが誇らしげに試作品を机の上に置く。
「では、テストを行いましょう」
私はビーカーに濃い塩水を作り、その中に完成した試作品を沈めた。
「塩分は錆を劇的に加速させます。もし不動態皮膜が形成されていなければ、すぐに反応が出るはずです」
全員が息を詰めてビーカーを見守った。
三分、五分と時間が経過していく。
「大丈夫そうですね! 銀色のままです!」
マリエラが嬉しそうに声を上げたその直後だった。
金属の表面に、ポツリ、ポツリと赤茶色の斑点が浮かび上がり、それはあっという間に広がって、塩水の中に錆の色を滲ませ始めた。
「くっ!」
ロザリンドが言葉を失い、目を見開いた。
「これは、失敗ですね。炭素の排除が甘く、表面にバリアを張れなかったのでしょう」
私が冷静に分析すると、ロザリンドはギリッと歯を食いしばり、ドンッと両手で机を叩いた。
「くそっ! 完璧だと思ったのに! 信じられないくらいシビアな制御が必要ってことか!」
天才である彼女が、ここまで感情を露わにして悔しがる姿を見るのは初めてだった。
「焦る必要はありません。ステンレスの精錬は、一度で成功するほど甘い技術ではないのです。今日は一度解散し、日を改めて……」
私がそう言いかけた時、ロザリンドが鋭い声で遮った。
「三日くれ!」
「え? ですが、猶予はまだ三ヶ月ありま……」
「三日だ! 三日あれば完璧に成功させてみせる!」
彼女は真っ直ぐ私を見つめると、再び炉の前に戻り、新たな金属の融合を始めようとした。
これ以上何を言っても無駄だと悟った私は、静かに一礼した。
「分かりました。三日後、再び参ります。どうか、無理だけはなさらぬよう」
私とマリエラは彼女の集中を妨げないよう、そっと丸太小屋を後にした。
――
しかし、二日後の早朝、ライゼンハイマー伯爵家の厨房で私が朝食の準備の指示を出していると、エントランスの方から騒々しい足音が聞こえてきた。
「ヴァレリアンさん! マリエラさん!」
息を切らせて駆け込んできたのはルーツだった。彼女の顔には興奮の色が浮かんでいた。
「ルーツ様、どうされましたか? そんなに慌てて」
「やりましたよ! やっぱりあの人天才です! 早く研究所に来てください!」
私とマリエラはすぐに馬車を手配し、ルーツと共に森の研究所へと向かった。
丸太小屋の扉を開けると、白衣は煤で汚れ、髪はボサボサに乱れているロザリンドが、机の下に座り込んでいた。
そして何より彼女の目の下には、真っ黒なクマがくっきりと刻まれていた。
「やぁ、インテリ執事さん。遅いじゃないか」
彼女はかすれた声でそう言うと、机の上に置かれた、鈍い銀色の光を放つ、美しい金属の塊を指さした。
その横には、真っ赤に錆びた塩水が入った、大きな水槽が置かれている。
(彼女は何度この中に、失敗作を放り込んだのだろうか……)
「そいつを塩水に半日浸しておいた。見な、錆一つ浮いてないだろ」
私は銀縁の片眼鏡を右目に装着し、その金属の表面を詳細に観察した。
赤茶色の錆は微塵もなく、塩分に侵された形跡も全くない。ミクロのバリアが、完璧に表面を守っている証拠だった。
「素晴らしい。これは紛うことなき、完璧なステンレスです」
私が称賛の言葉を口にすると、ロザリンドはフッと力なく微笑んだ。
「当然さ。アタシは天才錬金科学者だ。素材と配合まで教えてもらって、出来ませんでしたなんて……」
そこまで言うと、彼女の体がふらりと傾いた。
「ロザリンド様!」
マリエラが慌てて駆け寄り、彼女の体を支える。
「ははっ……ちょっと寝かせてくれ。ルーツ、あとは任せたよ」
ロザリンドはそう言うと、マリエラに支えられながら応接コーナーのソファへと倒れこみ、数秒後にはスースーと寝息を立て始めた。
一方ルーツは机の上のステンレスの塊を両手で持ち上げ、その感触を確かめるように撫でていた。
「重い、そして硬い……。でも、こんなに美しくて強い金属、ボクは初めて見ました。ロザリンドさんの魂がこもった、最高級の素材です。加工はすごく大変そうですが、この素材に負けない、最高の遠心分離機を作ってみせます!」
「はい。頼りにしていますよ、ルーツ様」
ロザリンドが繋いだバトンを受け取り、ルーツの大きな瞳に闘志が燃え上がっていた。




