【第18話】偽金貨騒動
「王都の経済が、根底から揺るがされようとしている」
錬金科学研究所の窓際に設置された応接コーナー。
革張りのソファに深く腰を沈めたセオドア様は、いつになく重苦しい溜め息を吐き出した。
我々の目の前の木製のローテーブルの上には、数枚の金貨が並べられている。王家の紋章が刻印された、普段はお目にかかれない高額貨幣だ。
くすみのない黄金の輝きは、それが紛れもない本物であることを主張しているように見えた。
「これは……上層の貴族間で流通している高額金貨ですよね?」
マリエラが首を傾げながら、そのうちの一枚を指先でつまみ上げた。光にかざしても、どこにもおかしなところは見当たらない。
「だが、それは偽物かもしれないのだよ、マリエラ。見た目や手触りだけでは我々騎士団の目をも欺くほど精巧な出来だ。いや、それが本物の可能性も、もちろんある」
「偽物かもしれない……ですか?」
マリエラの問いに、セオドア様は険しい表情で頷き、語り始めた。
「数日前、王都でも腕の立つ時計職人が血相を変えて騎士団に駆け込んできた。彼はとある貴族からの依頼で、金貨を使った懐中時計を作ろうとしていたのだ」
「なるほど、コインウォッチですね」
「コインウォッチってなんですか? ヴァレリアンさん!」
私の言葉に、ルーツが興味深げに乗り出してくる。
「コインウォッチというのは、金貨の側面から極細の刃を入れて二枚に薄くスライスしてから内部を彫り込み、その空洞に極薄の時計の駆動装置を仕込むという精緻な加工方法です。単純に金貨を薄くして文字盤にする場合もあります」
「さすがはヴァレリアン様! 時計のことならなんでも知ってるんですね!」
「なんだ、簡単ですね。つまり見た目だけの加工なんですね。もっと複雑な機構かと期待しちゃいました」
マリエラとは違い、ルーツは少しつまらなさそうに答えた。
「だが、その職人が金貨を二枚におろしたところ、驚くべきことにその中心から薄い鉛の層が出てきたのだよ」
セオドア様のその言葉に、応接コーナーの空気がピンと張り詰めた。
「過去の偽金造りは、金に別の安い金属を溶かし合わせて全体を鋳造し直すというものだった。それならば色合いが変わるし、試金石に擦り付ければすぐに偽物だと見破ることができた」
「「試金石ってなんですか?」」
今度はマリエラとルーツが同時に疑問を口にした。
「試金石ってのは、硬くて真っ黒な石だよ。石に金をこすりつけて、摩擦でできる痕の違いによって真贋を見極めるのさ」
ロザリンドがすかさず解説を入れる。
(ふっ、何だか先生と生徒のやり取りのようだな)
「だが今回の偽金貨は、芯の部分に薄い鉛を仕込んでいる構造だ。表面を少し削った程度では純金しか出ないのだ」
私は静かに金貨を手に取った。指先で転がし、その縁に施された細かな凹凸を親指でなぞる。
「この縁のギザギザは、削り取りを防ぐためのものですね」
「よく知っているな、ヴァレリアン。かつて金貨の縁を少しずつ削り取って純金を集める犯罪が横行し、造幣局は縁に模様を刻むようにした。縁が削られていれば一目で不正がわかるようにな」
前世の記憶が私の脳裏をよぎる。
『アイザック・ニュートン』
万有引力の法則を発見し近代物理学の祖となった大天才は、生涯の後半をイギリスの王立造幣局長官として過ごした。
国家の経済を脅かす硬貨の削り取り犯たちと戦い、その対策として硬貨の縁にギザギザを刻み込む技術を導入したのだ。つまり削ればすぐにバレるという物理的な盾を作り上げた偉人である。
「私の前世の偉大な物理学者も、同じ手法で国家の経済を守りました。しかし今回の犯人はその盾をかいくぐっている。削るのではなく芯をすり替えているわけですね」
「うむ。おそらく芯をすり替え貼り合わせた後、もう一度縁に模様を刻み直していると思われる。この金貨はコインウォッチを依頼した貴族が両替をしたという、『ボドワン商会』から押収してきたものだ。ボドワン商会は、納税額は例年と変わらないのに、最近急速に規模を拡大しているという不可解な状況だ。だが我々には、この金貨が本物か偽物か、見分ける方法が全くない。天秤で量っても重さは同じなのだよ」
「そんなもん、割って確かめて。もし本物だったら、同じ本物の金貨を補填して返せば、いいんじゃないの?」
ロザリンドの疑問に、セオドア様は首を横に振った。
「王家が発行するこの高額金貨には、一枚ごとに製造番号、いわゆるロットナンバーが刻印されているのだ。押収した際、商会主のボドワンは、その番号を公的な調書にきっちりと記録させた」
「なるほど……金貨のすり替えはできないわけですね」
私には、そのボドワンが、このような事態になった時のことも完全に見越していたように感じられた。
「その通りだ。もし番号の違う金貨を返せば、あいつは騎士団が証拠品を横領したと言うだろう。金貨を切り裂いて本物だった場合、不当な捜査で財産を破壊されたとして、名誉毀損で莫大な慰謝料を請求してくることも予想できる。あいつは最初からそれを見越して、余裕の態度で金貨を渡してきたのだ」
セオドア様が悔しそうに拳を握る。
「どうか錬金科学研究所の知恵を貸してほしい。金貨を割らずに中身が偽物だと証明する方法はないだろうか」
私は不安の欠片もない瞳で微笑んだ。
「非破壊での内部構造の検査ですね。我々にお任せください。まずはそのボドワンという男に会い、直接話を聞いてみましょう」
――
王都の中心部から少し離れた新興の商業地区。
その一角に、周囲の建物から完全に浮いている、豪奢な装飾が施された石造りの建物があった。正面に掲げられた看板には『ボドワン商会』と金文字で刻まれている。
私とマリエラ、そしてセオドア様の三人は、その商会の応接室に通されていた。
部屋の中は成金趣味という言葉がぴったりの、品の欠片もない有様だった。
無駄に巨大なシャンデリア、けばけばしい色合いの絨毯、壁に飾られたこれ見よがしな美術品の数々。
そしてその部屋の主であるボドワンは、高級なオーダースーツに身を包み、太い指のすべてに宝石のついた指輪をはめていた。
脂ぎった顔には、ふてぶてしい笑みが張り付いている。
「これはこれは、騎士団長のセオドア様。今日はお連れ様を伴って、我が商会にどのようなご用件で? 税の申告ならば、先日きっちりと済ませたはずですが」
ボドワンは悪びれる様子もなく、ふんぞり返ったまま葉巻の煙を吐き出した。
「とぼけるな、ボドワン。お前が市場に流している金貨についてだ。その中に鉛を混ぜた偽金貨が混じっているという疑いがある。もし知っていて黙っているのならば、国家に対する重大な反逆罪だぞ」
セオドア様が鋭い視線を向けるが、ボドワンは鼻で笑った。
「偽金貨? 心外ですね。我が商会で扱っている金貨は、すべて正当な取引で得た真正なもの。どこかの悪党が作った偽金貨が市場に紛れ込んでいるのは私も知っていますが、それと我が商会を一緒にされては困りますな」
「おかしいな。お前の商会で両替をした金貨が偽物だったという被害報告がすでに出ている。その偽金貨を、お前が自ら造り出しているのではないのか?」
「騎士様ともあろうお方が、証拠もなく一介の商人を罪人扱いですか?」
ボドワンはニヤリと笑い、自らの懐から一枚の金貨を取り出してテーブルの上に放り投げた。
「我が商会が管理する金貨が偽物だと言うなら、証明していただきたい。さあ、好きに調べてみてくださいよ。……ああ、ただし」
ボドワンの目が、まるで爬虫類のように感情を失った。
「その金貨に傷をつけたり、割ったり溶かしたりすることは許しませんよ。もし中身が本物の純金だった場合、金貨をただの地金に変えたことによる価値の下落分はもちろんのこと、我が商会の名誉を著しく傷つけた慰謝料として、騎士団には相応の『弁償』をしていただきますからね。ええ、それはそれは、莫大な額になりますよ」
その言葉に、セオドア様の顔が苦痛に歪んだ。
(やはりそう出てくるか……)
ボドワンがここまで強気なのは、騎士団が「もし本物だった場合のリスク」を恐れて手を出せないことを完全に理解しているからだと確信した。
それまで沈黙を保っていた私は一歩前に出て、静かに口を開いた。
「私はライゼンハイマー家で執事をしております、ヴァレリアンと申します。ボドワン様、もしよろしければ、天秤を貸していただけますでしょうか?」
ボドワンは一瞬訝しげな顔をしたが、すぐに部下に指示を出し、商取引に使われる真鍮製の立派な天秤を用意させた。
私はセオドア様から、造幣局から直接借り受けた『間違いなく本物の金貨』を受け取ると、天秤の右の皿に乗せた。
次に先ほど、ボドワンが放り投げた『怪しい金貨』を左の皿に乗せる。
カチャン、と軽い音を立てて天秤が揺れ動き、やがて完全に水平な状態でピタリと停止した。
右の皿と左の皿。
本物と、疑わしい金貨。
その重さは、一切の狂いなく全く同じだった。
「わははっ! ほら、ご覧ください!」
ボドワンが高らかに笑い声を上げた。
「重さは完全に同じです! これが本物の純金貨である何よりの証拠! これでもまだ、我が商会の金貨が偽物だと難癖をつけるつもりですか?」
勝ち誇るボドワンの前で、セオドア様は無念そうに拳を握りしめた。
重さが同じである以上、これ以上追及する物理的な根拠がない。割ることも溶かすこともできない現状では、彼の言い分を覆すことは不可能だった。
しかし、私の表情は微塵も揺らいでいなかった。
私は天秤の上で完全に釣り合っている二枚の金貨を見つめながら、冷徹な声で告げた。
「ええ。この場では、重さは完全に同じですね」
「……あ? この場だと?」
ボドワンが怪訝そうに眉をひそめる。
カチャン!
私は右の皿の金貨を天秤から下ろすと、ボドワンへと向き直った。
「あなたの金貨を割ったり、傷つけたりする必要はありません。明日、我々が傷一つ付けずに、中身が偽物であることを証明してみせましょう」
「偽物だと証明する? はっ! できもしないハッタリを……」
ボドワンが忌々しげに顔を歪めるのを尻目に、マリエラが私に声をかけた。
「ヴァレリアン様、戻りましょう。錬金科学研究所へ!」
私はマリエラと顔を見合わせ、力強く頷いた。
「ええ。偽りの重さを、科学の力で量り直しましょう」




