【第17話】恋文の偽造
王都の西の外れの森の中。
私たち四人は『ロザリンド錬金科学研究所』という看板が掲げられた、丸太小屋の前に立っていた。
「ここが、その研究所……ですか?」
いかにも怪しげな森の奥深くの雰囲気に、クリスタが不安そうにセラフィナ様の腕を掴む。
「大丈夫よ。私も来るのは初めてだけど、すごい学者さんが運営してるらしいの」
「ご心配は無用です。さぁ、ここがこの世の真理を追求する研究所です」
コンコンコン、とノックをして私が扉を開けると、中からは賑やかな声が響いてきた。
「ロザリンドさん! ビーカーでコーヒーを作らないでって言いましたよね?!」
「でかい声を出すんじゃないよ、ルーツ。目の前にいるんだから、聞こえてるよ。それに別にいいじゃない。アタシは気にしないよ」
「ボクが気になるんです!」
(ははっ。喧嘩というより、じゃれ合っているだけだな。相変わらずこの二人は、それなりに上手くやれているようだ)
研究所の中は、以前の雑然とした状態が嘘のように、整理整頓と清掃が行き届いていた。
「こんにちは。ロザリンド様、ルーツ様」
「おや。いらっしゃい、インテリ執事さん。今日は随分と華やかなお嬢様方がご一緒じゃないか。マリエラちゃんから鞍替えかい?」
「そ、そんなことありえません! 私たちはこの腕時計で結ばれているのですから!」
マリエラは必死に左手首の腕時計を、ロザリンドの目の前に突き出している。
「あははっ! 冗談だって、マリエラちゃん。……で、今日は何なんだい?」
「まずはご紹介いたします。こちらが我が主の、セラフィナ・ライゼンハイマー伯爵令嬢。そちらがご友人のクリスタ・ディッペル子爵令嬢様です。本日は少し、お二人が作った『顕微鏡』の力を借りに来ました」
私の言葉に、ルーツはパッと顔を輝かせた。
「ボクの顕微鏡ですね! もちろん、いつでも使えるように完璧に手入れしてありますよ!」
「お前のじゃねーだろ」というロザリンドの言葉を華麗にスルーしながら、ルーツは綺麗に整頓された棚の上から、顕微鏡を慎重に下ろした。片付いて広々としたテーブルの上で、真鍮製の黄金色に輝く美しい筒状の機械が、その存在感を放っている。
「な、なんですか、この工芸品のような美しい道具は……」
クリスタが目を丸くする。
私は顕微鏡のステージの下に、光源となる小さな光る魔石をセットしながら説明を始めた。
「これは顕微鏡といい、肉眼では見えない微小な痕跡を拡大して見るための道具です。この顕微鏡は、対象を四百倍の大きさで、極めて鮮明に見ることができます」
前世の歴史と科学、そして錬金術の結晶。それを前に、セラフィナ様とクリスタは息を呑んだ。
「……四百倍というのがどれほどすごいのか想像もつきませんが、とてもすごいものだというのは、見ているだけで伝わってきます」
クリスタは、顕微鏡がこの事件を解き明かす鍵になることを、直感的に掴んだようだ。
「さあ、見えない世界の真実を暴かせてもらいましょう。まずは『紙の繊維』からです」
私は持参した三通の手紙の端から、プレパラートの代わりとなるガラス板に、ごく微量の紙の繊維を削り取って乗せた。
「クリスタ様、まずは彼から送られてきた『過去の手紙』の繊維を覗いてみてください」
クリスタが恐る恐るレンズを覗き込む。
「……すごいです。細い糸みたいなものが、綺麗に絡み合っています」
「それが紙の正体、植物の繊維です。彼の手紙は非常に細かく丁寧に加工された、品質の高い高級紙を使っています。……では次に、この『別れの手紙』と、配達員からの『恋文』の繊維を順に見てください」
ガラス板を差し替えると、クリスタはハッと息を飲んだ。
「全然違います!繊維がすごく太くて荒々しいし……何か、黒い木くずみたいな不純物がたくさん混ざっています。しかも、別れの手紙も、恋文も、その不純物の混ざり方が全く同じです!」
「その通りです。紙の品質は、価格に直結します。安価な紙は繊維の処理が甘く、木材のリグニンという不純物が多く残るのです」
それから私は二つの便箋の側面、つまり断面部分を指さした。
「この薄い紙。この側面をよく見ると、黄ばんでいることがわかるでしょうか?」
「言われてみれば確かに。便箋の表面は白くて綺麗なので、気づきませんでした」
マリエラは便箋をつまんで、紙の側面に顔を近づけた。
「紙が黄色く変色するのは、リグニンのせいです。特に日光に含まれる『紫外線』と呼ばれる目に見えない強い光にさらされると、変色が加速します。表面は白く綺麗なことから、おそらくこの便箋は積み重なって、側面だけが日に当たるところに置いてあったのでしょう。紙の質、黄変具合から見てこの二つの手紙は、全く同じ束から千切られた、安物の便箋であると断定できます」
「科学ってすごいわね……。紙の繊維と変色の具合から、ここまで絞り込めるなんて」
セラフィナ様の瞳は、どこか好奇心に満たされているように見えた。
次に私は、手紙の文字のインク部分を顕微鏡のステージにセットした。
「次はインクの染み込み方です。染料インクと顔料インクでは、紙の繊維への定着の仕方が異なります。この二つの手紙に使われているインクは、どちらも水に溶けやすい安価な染料インクであり、繊維の奥深くに全く同じグラデーションを描いて染み込んでいます。……つまり『別れの手紙』と『配達員の恋文』に使われている紙とインクが、完全に一致したということです」
「そんな……じゃあ、やっぱりあの配達員が……?」
クリスタが震える声で尋ねる。
「はい。そしてこれが最後の証拠です。この別れの手紙にある『Christa』という文字の、線の輪郭に注目してください」
「……あっ!文字の線が真っ直ぐじゃなくて、ところどころ細かく震えているわ! それに、線の途中でインクが丸く溜まっている場所がいくつもある!」
レンズを覗き込んだセラフィナ様が鋭く指摘した。
「セラフィナ様、素晴らしい観察眼です。普通にペンを走らせれば、インクは一定の細さでスッと伸びます。しかし、下敷きにした手紙の文字を透かして『なぞろう』とすると、犯人は形を間違えまいとして、どうしてもペンのスピードが遅くなる。その結果、手元に微小な震えが生じ、ペン先が止まった瞬間に、紙の毛細管現象によってインクが不自然に丸く溜まってしまうのです」
私は顕微鏡から顔を上げ、クリスタを真っ直ぐに見つめた。
「これが科学の目、肉眼では見えないミクロの証明です。配達員はクリスタ様の彼からの手紙を密かに奪い、そこから文字を拾い集めたのでしょう。そしてツギハギをしながら、一文字ずつ透かして書き写し、この別れの手紙を偽造した。……間違いなく、犯人はその配達員です」
絶対的な科学の証明を前に、クリスタはその場にへたり込んだ。
「よ……よかった……」
悲しみではなく、彼が心変わりしたわけではなかったという深い安堵から、その目には大粒の涙が溢れていた。
――
翌日の午後。
ディッペル子爵邸へと続く、静かな並木道。
私は一人、シワ一つない漆黒の燕尾服に身を包み、背筋を真っ直ぐに伸ばして立っていた。
やがて遠くから、制服を着た郵便配達員の男が歩いてくるのが見えた。
私は静かに彼の前へと歩み寄り、立ち塞がった。
「な、なんですか? あなたは?」
配達員が胡散臭そうに私を見上げる。
「私はディッペル子爵家に仕える、執事でございます。本日はお嬢様に代わり、あなたに手紙をお渡しに参りました」
私はあえてクリスタの家の執事を名乗る。屋敷の者たちに、今回の事件が周知されていることを、遠回しに理解させるためだ。
「クリスタお嬢様から!? も、もしかして、この前の僕の手紙の返事……!」
男の顔に、下劣な期待の色が浮かぶ。私は表情一つ変えず、懐から一通の封筒を取り出し、彼に差し出した。
男はひったくるようにそれを受け取り、急いで封を切った。
しかし、そこに書かれていた短い文章を読んだ瞬間、彼の顔からスッと血の気が引いた。
『あなたのお気持ちに応えることはできません。今後一切、私に近づかないでください』
「な、なんだこれは! お嬢様は彼氏に振られて落ち込んでいるはずだ! きっと僕に優しく慰めてもらいたいはずだ!」
逆上して叫ぶ男に対し、私は氷のように冷たい声で告げた。
「……ええ。あなたが『そのように仕向けた』のであれば、そう思い込むのも無理はないでしょうね」
「なっ……」
「あなたが配達員の職権を乱用し、この一ヶ月間、遠方の彼から届いた手紙を不当に隠匿したこと。そしてその手紙を透かしてなぞり、『偽造の別れの手紙』を作成したことは、すでに完全に証明されております」
「な……で、でたらめを言うな! 証拠がどこにあるというんだ!」
「証拠は、あなたが書いた手紙そのものにあります」
私は一歩前へ踏み出し、彼を見下ろした。
「あなたが渡した恋文と、偽造した別れの手紙。使用されている紙の繊維とインクの成分、そしてなぞり書きによる不自然な筆跡。……ミクロの世界を覗く科学の目は、あなたが犯人であるという真実を、完璧に暴き出しました」
「み、ミクロ? ……かがく……? 何を言ってるんだ、あんたは……!」
未知の言葉と、すべてを見透かされたかのような私の圧力に、配達員は後ずさりをした。
「もしこれ以上、お嬢様に近づくような真似をすれば……あるいは、手紙の配達に不正を働くようなことがあれば……。王都の治安を司る、騎士団長セオドア・ライゼンハイマー様に直接、すべての証拠を提出し、文書偽造および窃盗の罪で投獄していただきます。……お分かりですね?」
騎士団長の名を聞いた瞬間、男の顔は絶望に染まった。
「す、すみませんでした! も、もう二度としませんから、騎士団は勘弁してください!」
彼は震える足で後ずさると、脱兎のごとく逃げ去っていった。
波風を立てず、かつ二度と近づけないよう完全に心を折る。
それが、貴族に仕える執事としての私の流儀だ。
――
その日の夕刻。
ライゼンハイマー伯爵家のサロンには、再び明るい笑い声が戻っていた。
「クリスタ! 本当に良かったわね!」
「うん! セラフィナ、マリエラさん、そしてヴァレリアンさん……本当に、本当にありがとう!」
クリスタは、まるで花が咲いたような満面の笑みを浮かべていた。
応接サロンのテーブルの上には、大きな箱型の魔導具が設置されている。これは王都でもまだ珍しい、音声通話ができる『通信魔導具』である。
「通信をしたら、彼、すごく落ち込んだ声で出たの。どうしたのか聞いたら、なんと『彼の方にも、私からの別れの手紙が届いていた』んですって!」
「ええっ!? じゃあ、あの配達員……彼の方にも偽の手紙を送っていたの!?」
セラフィナ様が驚いて目を丸くする。
「ええ、そうだったの。彼も私と同じように、手紙の文体に違和感はあったけれど、電話で直接嫌われるのが怖くて、ずっと一人で悩んでいたみたい。……私たちが、昨日勇気を出して行動を起こさなかったら、きっとお互いに誤解したまま、本当に終わっていたわ」
クリスタは受話器を胸に抱きしめ、幸せそうに微笑んだ。
「ヴァレリアン様、また一つ、見えない真実が明らかになりましたね」
私の傍らで、マリエラが誇らしげに微笑みかけてくる。
「ええ。科学の目は、決して嘘をつきませんから」
そう答えた私は、静かに席を外しキッチンへと足を運んだ。
(あの配達員は、どうみてもまだ十代だった。きっとクリスタのことを本気で好きになってしまったのだろう。残念ながら私は女性にモテないので、何のアドバイスをすることもできないが、彼が心を入れ替えて、素敵な恋と出会えることを、ただ祈ろう……)
そして私は内ポケットに入れていた二通の手紙をフライパンに乗せ、指先からそっと、小さな炎を放った。




