【第13話】時計仕掛けの指輪
王都のメインストリートから一歩入った路地裏に位置する、石造りの小さな宿屋。
その三階の一室に、朝から重苦しい空気が立ち込めていた。
セオドア様からの急な要請を受け、私は助手のマリエラを伴って事件現場へと足を運んでいた。
部屋の窓際にあるベッドには、うつ伏せに倒れた恰幅の良い中年の男性商人が息絶えている。
私は遺体に手を合わせ、静かに観察を始めた。
(室内には争った形跡はない。ベッドのシーツも乱れておらず、まるで眠るように死んでいるな)
「遺体を詳しく調べましたが、外傷は足首にある赤い小さな傷のみです。まるで細い針のようなもので刺されたような感じです」
若手騎士のアシュトンが、遺体の状況を説明する。
「口の周りに泡を吹いた痕もない。死後硬直の具合から見ても死後数時間といったところか……。しかしこの傷跡、刺し傷というよりもまるで……」
「ヴァレリアン、わざわざ来てもらったが、今回お前の出る幕はないぞ」
得意げな声とともに部屋に入ってきたのは今回の現場を仕切る、騎士団副団長のニクラスだった。
「ニクラス様、それはどういうことでしょうか?」
「すでに動かぬ証拠と、犯人を確保したということだ」
ニクラスはそう言うと、小さな布切れの上に置かれた一本の毛を私に提示した。
布に包まれていたそれは、紺色の短い毛だった。
「被害者の足首付近にこれが落ちていた。そしてこの宿の同じ階に、この毛と全く同じ髪色をした女が滞在していたのだ。さらに大量の小さな工具を所持していた。凶器もその中のどれかだろう」
ニクラスの指示で、二人の屈強な騎士に両腕を掴まれ、部屋へと引きずり込まれてきたのはとても小柄な少女だった。
ネイビー色の髪をボブカットにした、十二・三歳くらいの可愛らしい少女だ。
彼女が身につけているのは、所々に黒い油汚れがついた厚手の作業着とショートパンツだ。彼女の大きな瞳には涙が浮かび、恐怖と混乱で震えていた。
「放してください! ボクはやっていません! ボクはただ、仕事を探しに来て、たまたまこの宿に泊まっていただけなんです!」
「黙れ! この髪色がお前の犯行を物語っている! 足首の傷は、お前の工具に毒でも塗って刺した痕だろう!」
ニクラスの怒声に、少女はビクッと大きく体を震わせ、ギュッと口をつぐんだ。
「ニクラス様。この毛一本だけで彼女を犯人と断定するのはいささか早計かと思われます。何より動機を明らかにしないといけません」
私が静かに口を挟むと、ニクラスは少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「動機など少し尋問すれば、すぐに吐くだろう。この宿に泊まっている者の中で、同じ髪色の者は他にいない。どうせ金目当てかなんかだろう。さあ、こいつを騎士団の取調室へ連行しろ!」
抵抗する間もなく、少女は騎士たちに引き立てられ、部屋を出て行ってしまった。
マリエラが痛ましそうにその背中を見送っている。
「ヴァレリアン様……あんな小さな子が本当に犯人なのでしょうか」
「分かりません。ですがここからは、科学の目で真実を明らかにしなければいけません。私たちも騎士団の取調室へ向かいましょう」
――
王都の騎士団本部。
薄暗い取調室の鉄格子の向こうで、少女はパイプ椅子に座らされ、ただうつむいていた。
取り調べの許可を得た私は、鉄格子の前に立ち、彼女に静かに語りかけた。
「突然のことで恐ろしかったでしょう。私の名はヴァレリアン。ライゼンハイマー伯爵家に務める執事です」
少女はビクッと肩を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
「……ヴァレリアンさん。ボクは、本当に何もやってないんです……」
「私にはその言葉を、否定も肯定もできません。ですが私は、あそこで何があったのかを解き明かしたいと思っています。まずは、あなたのお名前を伺ってもよろしいですか?」
「ルーツ……ルーツ・ディジャコモです」
「ディジャコモ……。そうですか、あなたはドワーフの一族なのですね」
ルーツは無言で、コクリと首を縦にふった。
(十二・三歳に見えてはいるが、実際はもう少し年上のようだな。しかしどうみてもこの少女に、人が殺せるとは思えない)
「さて、ルーツ様。まずはあなたのアリバイを証明する必要があります。昨日から今朝までの行動をすべて……」
私が言葉を続けようとした、まさにその時だった。
チリン、チリン……。
静まり返った取調室に、極めて澄んだ、それでいて微かな鐘の音が響き渡った。
ただのベルの音ではない。
それは複数の小さな鐘が、正確なリズムで時を刻む、極めて複雑で美しい和音だった。
(今の音は……? 遠い昔に聞いたあの音色にそっくりだ……まさか!?)
私の脳裏に、前世の記憶が稲妻のように駆け巡った。
音がしたのは、鉄格子の向こう。ルーツの右手の指先からだった。
彼女の中指には少し背の高い、無骨だがどこか洗練された、銀色の金属の指輪がはめられている。
私は無意識のうちに胸ポケットから銀縁の片眼鏡を取り出し、右目に装着していた。
「ルーツ様、少しだけ右手をこちらへ」
彼女は少し不安そうに、ゆっくりと右手を鉄格子の隙間から私の方へ差し出した。
私は彼女の手をとり、その指輪へと右目を近づけた時、全身に鳥肌がたった。
(こ、これは! 腕時計……いや、指時計だ! さっきの音色は、現在時刻を音色で知らせる複雑時計の機構、『ミニッツリピーター』! さらに、月の満ち欠けを表示する『ムーンフェイズ』まで……いや、それだけではない! この指輪の内部、豆粒程度の極小の空間で、姿勢差による重力の影響を相殺するための回転機構、『トゥールビヨン』までもが規則正しく脈打っているだと!?)
私は息を呑み、指先の震えを抑えるのに必死だった。
時計職人が生涯をかけて目指す超複雑機構。それが、この小さな指輪の中に完全に同居しているのだ。
「ル、ルーツ様……これをどこで手に入れられましたか?」
「作りました……ボクが作りました」
ルーツが小さく、しかしはっきりとした声で答えた。
私が驚きのあまり言葉を失っていると、彼女は少し不安げに視線を落とした。
「あの、やっぱり変ですか? ドワーフの里でも、みんなにそう言われて……」
「変、とはどういうことですか?」
「ボクは昔から、とにかく小さなものを作るのが好きだったんです。歯車を限界まで小さくして、誰も見たことがないくらい精密な機械を作りたくて……。でも、里の大人たちには、小さくすることに何の意味があるんだって呆れられてばかりで」
彼女は悔しそうに、両手を膝の上でギュッと握りしめた。
「だから外の世界に出て、自分の価値を探そうと思ったんです。王都の時計工房を回って、ボクはこれくらい細かいものが作れますって、この指輪を見せました。でも……」
ルーツの大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「みんな、時間が小さくて見づらいって言うだけで……誰もボクの技術を認めてくれませんでした。仕事も全然見つからなくて、宿代も底をつきそうで……そしたら、あんな事件が起きて……」
彼女のすすり泣きが薄暗い取調室に響く。
私は鉄格子の手前で、ただ唖然としていた。
(確かにこの世界では、一般的に頑丈で大振りな懐中時計が好まれる。華奢な腕時計などは、裕福な貴族がアクセサリーとして付けるものだ。街の時計工房を回っても、簡単には受け入れてもらえないだろう。だが職人ともあろう者たちが、この超絶技巧を、ただ見づらいの一言だけで一蹴するとは)
前世においても、これほどの複雑機構を極小の空間に組み込める時計職人など、歴史上に何人存在するかというレベルの話だ。
彼女のこの異常なまでの精密加工技術は、間違いなく世界最高峰のものだ。
私は深呼吸をして心を落ち着かせると、右目にはめていた片眼鏡をゆっくりと外し、胸ポケットにしまった。
「ルーツ様」
私が静かに、しかし力強く呼びかけると、彼女は涙を拭いながら顔を上げた。
「王都の職人たちは、あなたの技術の本当の価値を理解できなかっただけです。彼らの目は節穴だ。ですが、私には分かります。あなたのその極小の歯車を削り出す技術は、間違いなくこの世界でも高い価値があり、尊いものです」
私の言葉に、ルーツは目を丸くした。
「本当……ですか?」
「ええ。……ルーツ様、あなたのその技術があれば、自分の手で無実を証明できるかもしれません」
私は鉄格子越しに、彼女を真っ直ぐに見つめた。
「そのために、その技術で、ある道具を作ってほしいのです。……私に協力していただけませんか?」
「ボクの、技術で……」
「はい。ミリ単位の狂いも許されない、極めて精密な歯車と筒の加工です。あなたになら、必ず作れるはずだ」
ルーツは信じられないというような顔で私を見つめ、やがてその瞳に小さな光が宿った。
自分の技術を、初めて心の底から必要とされたことに対する喜びの光だ。
「やります! ボクに作らせてください!」
彼女は鉄格子にすがりつくようにして、力強く頷いた。
私は取調室の入り口に立っていたニクラスの方へと振り返った。
「ニクラス様、お話があります」
「なんだヴァレリアン。もう尋問は終わったのか?」
「ええ。ですが、事件の真実を突き止めるために、彼女の技術が必要となりました。一時的で構いませんので、彼女の身柄を私に預けていただけないでしょうか」
私の提案に、ニクラスは眉間にしわを寄せた。
「馬鹿なことを言うな。容疑者を部外者に預けるなど、騎士団の規律が許さん」
「セオドア様からの許可は私が取ります。もちろん、逃亡しないよう監視の騎士をつけていただいて構いません」
私は引き下がる気はないと、決意を込めてニクラスを見据えた。
しばらくの沈黙の後、ニクラスは大きくため息をついた。
「……しょうがない、今までの事件の功績もある。今回だけは特別に許可しよう。アシュトン! お前がこの女の監視につけ!」
「は、はいっ!」
廊下で待機していたアシュトンが慌てて返事をする。
「感謝いたします、ニクラス様」
私は一礼すると、ルーツを振り返った。
「さあ、行きましょうルーツ様。私たちの真実を見つけるための場所へ」
ルーツは鉄格子の扉が開かれると、少し緊張した面持ちで私の隣に立った。
「はい、ヴァレリアンさん!」
こうして私たちは、アシュトンとマリエラを伴って、王都の西の外れにある森へと向かった。
馬車に揺られながら、私はこれから作るべき道具の設計図を手帳に走り書きしていった。
見えないものを見るための科学の目。
『顕微鏡』
(これさえ完成すれば、あの紺色の毛が誰のものなのかを、必ず解き明かせるはずだ)
窓の外を流れる王都の景色を眺めながら、私はこれから始まる二人の天才の共同作業に、少しだけ胸を高鳴らせていた。




