【第12話】立体コピー
「お父様!? どうしてここに!」
突然の父親の乱入に、セラフィナ様が目を丸くして立ち上がった。
「おお、セラフィナ! 無事だったか。ブティックから盗難の通報が入ったと聞いて、お前に万が一のことがあったらと気が気ではなかったのだ!」
セオドア様はセラフィナ様の肩を掴み、怪我がないか隅々まで確認し、ようやく安堵の深いため息をついた。
しかし次の瞬間、彼がゆっくりと顔を上げると、その表情から「親バカな父親」の顔は完全に消え去っていた。
そこにあったのは、王都の治安を預かる冷徹な騎士団長としての顔だ。
「……事情はだいたい把握している。怪我人がいなかったのは不幸中の幸いだが、白昼堂々、犯罪が行われたことを見過ごすわけにはいかん」
セオドア様はすぐさま現場であるバックヤードの調査を開始し、裏庭でしゃがみ込んでいる私たちを捉えた。
「おお、ヴァレリアン、そこにいたのか。……それは一体何をやっているのだ」
「お疲れ様です、セオドア様。私たちは今、証拠の確保を行っております」
「そうか。では裏庭の証拠はお前に任せる。……ニクラス、アシュトン! お前たちは直ちに周囲を捜索し、不審な人物を確保しろ!」
「「はっ!」」
セオドア様の指示を受け、騎士団はバックヤードに残されていた泥の足跡を確認すると、即座に店の外へと駆けていった。
(相変わらず、騎士団の行動力と統率力は素晴らしいな)
私は彼らの背中を見送りながら、足跡に流し込んだセメントが硬化するのを静かに待った。
――
数十分後。
化学反応による熱が引き、セメントが完全にカチカチに固まったのを確認した私は、そっと泥の中からその塊を引き上げた。
「マリエラ、水魔法でこの型についた泥を洗い流していただけますか」
「はい、お任せください!」
マリエラが指先から水を放ち、優しく泥を洗い落とす。
すると私の手には、犯人のブーツの裏側を寸分違わず再現した、灰色の『立体コピー』が姿を現した。
時を同じくして、店の裏庭にニクラス副団長たちが戻ってきた。
その後ろには、先ほど私が見かけた道路工事の作業員三人が、騎士たちに囲まれて連行されてきている。
「団長。周辺を捜索した結果、最も怪しいのが近くで石畳の補修工事を行っていたこの作業員たちです」
ニクラスはセオドア様に報告を始めた。
「バックヤードには犯人のものと思われる泥の足跡がありましたが、裏庭の土以外にセメントの粉のようなものが落ちていました。さらに、現場に残されていた靴跡は、工事現場で支給されていたブーツのものと一致しました。支給品のブーツはS・M・Lの三つのサイズが選べ、測定からLサイズのブーツだと特定しました。そして現場の作業員十人の中で、Lサイズを履いていたのがこの三人です」
ニクラスが顎で軽く指示を出すと、三人の男が一歩前に引きずり出された。
その中には、先ほど私に材料の提供を突っぱねた、あの体格の良い男も含まれていた。
「さすがはニクラス様。見事な絞り込みです」
私が素直に称賛すると、ニクラスは腕を組み、悔しそうに顔をしかめた。
「だが、我々の捜査はここで行き詰まった。この三人のブーツは、工事組合から支給されている全く同じ製品だ。サイズも靴底の模様も完全に一致している。目撃者か、自白でもなければ、これ以上は誰が犯人か特定できん」
ニクラスの言葉に、先ほどの作業員が鼻で笑った。
「いいかげんにしろ。俺たちは何もやってねえよ。さっさと工事に戻らせてくれ」
彼が強気に出た瞬間、私は右目に銀縁の片眼鏡を装着し、静かに前へと歩み出た。
「いいえ。騎士団の皆様が特定できなかったのは、足跡から共通の特徴しか見ていなかったからです」
「共通の特徴だと?」
セオドア様がいぶかしげに問い返す。
「はい。サイズ、メーカー、靴底の模様。これらは同じ製品なら全てが共通して持っている特徴です。……しかし、私が採取したこの証拠は、その先を雄弁に語ってくれています」
私は先ほど採取した、灰色のセメント型を皆の前に掲げた。
「靴というものは履き続ける個人によって、靴底の擦り減り方、傷の付き方などが異なります。これを『個別的特徴』と呼びます。このセメント型は、足跡を立体的に写し取ったことで、その個別的特徴を完全に捉えているのです」
私はセメント型の靴底の模様を指差した。
「よくご覧ください。かかとの二番目の溝の奥に挟まっていた、『小石の形』がしっかりと型取りされています。さらに、つま先側の右縁の溝の一部が、三角形に欠けている」
「本当だ! こんな小さな傷や小石まで、はっきりと形になっている!」
アシュトンがセメント型を覗き込み、驚愕の声を上げた。
「ええ。さて、Lサイズのブーツを履いている三人の方。靴の裏を見せていただけますか?」
騎士たちに促され、三人の男が渋々ブーツの裏を見せる。
一人目、二人目のブーツは、確かに模様は同じだが、小石も挟まっておらず、欠けた傷もなかった。
そして三人目。
先ほど材料提供を拒み、私を追い払おうとしたあの男のブーツの裏を見た瞬間、その場にいた全員が息を呑んだ。
「かかとの溝の小石……そしてつま先の三角形の欠け……。セメント型と完全に一致している……!」
ニクラスが震える声で事実を口にした。
男は顔面を蒼白にし、後ずさりを始めた。
彼が先ほど、セメントの提供を拒んだ理由。それは捜査によって、犯行が露見するのを恐れたからだ。
「な、なんだよそれ! 足跡が俺のものだったとしても、盗んだ証拠にはならねえだろ!」
「ニクラス、アシュトン。この男の所持品をチェックしろ」
セオドア様が指示を出すと、ニクラスが男を羽交い締めにし、アシュトンが男のポケットや腰の工具入れなどを素早く確認していく。
そしてアシュトンが、男が腰に下げた小型の水筒を手に取った時、奴はニクラスを振りほどこうと大きくもがいた。
「なっ! そ、それは! やめろ!」
男が抵抗するよりも早く、アシュトンが男の腰から水筒を奪い取った。
蓋を開け、地面に中身をぶちまける。
バシャッという音とともに、乾きはじめた裏庭の地面に、光り輝く美しい宝石がいくつも転がり落ちた。
常に水分補給を必要とする、作業員ならではの隠し場所だった。
「……もはや言い逃れはできんな。連行しろ!」
セオドア様の怒りに満ちた指示で、騎士たちが男を拘束し、引き立てていく。
科学の目が、またしても見えない真実を白日の下に晒した瞬間だった。
――
事件は無事に解決し、ブティックのVIPルームには再び穏やかな空気が戻っていた。
取り戻された最高級の宝石たちが、ベルベットの布の上に美しく並べられている。オーナーは涙ぐみながら、何度も私たちに頭を下げていた。
「さあ、セラフィナ。改めてドレスに合う宝石を選びなさい。今日は値段は気にせず、好きなものを選ぶといい」
セオドア様が優しく微笑みかけると、セラフィナ様はパッと顔を輝かせた。
「本当にお父様!? やったぁ! ……うーん、でもどれがいいかしら。ねえヴァレリアン、あなたならどれが私に似合うと思う?」
セラフィナ様に意見を求められ、私は並べられた宝石を静かに見渡した。
どれも大粒で、自己主張の激しい絢爛豪華な宝石ばかりだ。
私はその中から、一つだけポツンと置かれていた、比較的小ぶりで控えめな細工が施された、深いブルーのサファイアのブローチを指し示した。
「私としては、こちらがよろしいかと存じます」
私の選択に、セラフィナ様は少し不満そうに頬を膨らませた。
「ええー? せっかくお父様が値段を気にしなくていいって言ってるのに、こんなに小さいのがいいの?」
私は姿勢を正し、セラフィナ様の目を真っ直ぐに見つめて答えた。
「大きな宝石は確かに美しいですが、それを持ってしても、お嬢様自身の魅力には到底かないません」
「え……?」
「私には、この世のどんな宝石よりも、お嬢様が一番輝いて見えます。ですから、お嬢様の本来の美しさを少しだけ引き立てる、この控えめなブローチこそが、最もふさわしいと考えます」
私が心からそう告げると、VIPルームは一瞬、しんと静まり返った。
「っ……!」
セラフィナ様の顔が、耳の先まで一瞬にして真っ赤に染まり、彼女は両手で顔を覆ってしまった。
「お、お嬢様? いかがなされましたか? お腹でも痛いのですか?」
「な、なんでもないわよ! ……こ、これにするわ! これ以外じゃダメなの!」
真っ赤な顔で、セラフィナ様が小さなサファイアのブローチを指差して叫ぶ。
「ヴァレリアン様は本当に、無自覚に恐ろしい方です……」
その様子を見ていたマリエラが胸を押さえて荒い息を吐き、セオドア様が「お前、いつもそんなことを、無自覚に言っているのか?」と頭を抱えていた。
私は皆の、そんな反応が全く理解できず、ただ首を傾げることしかできなかった。




