【第10話】錬金科学者
王都の西の外れに位置する鬱蒼とした森の中。
私たち三人は、丸太組みの山小屋の前に立っていた。
コンコンコン……。
「ロザリンド様、いらっしゃいますか」
私がドアをノックすると、中からドタドタと足音が聞こえ、ガチャッと勢いよく扉が開かれた。
「いらっしゃい、執事さん! ……なんだい、今日はぞろぞろと大所帯じゃないか。おや、これは珍しい。お偉い伯爵様までご足労とはね」
「突然の訪問を許してほしい、ロザリンド殿。先日のヒ素による毒殺事件の件で、君に直接礼を言いたくてな」
私の主であるセオドア様が、威厳のある低い声で語りかけた。
「君の作ったあの装置が抽出した『ヒ素鏡』は、裁判において犯人を追い詰める動かぬ証拠となった。騎士団を代表して感謝する」
「アタシはインテリ執事さんの面白い知識を形にしただけさ。礼ならそっちの彼に言いなよ」
ロザリンドは気怠げに言いながらも、私たちを足の踏み場もない小屋の中へと招き入れた。
壁の巨大な黒板には、今日も難解な分子の構造式がびっしりと書き込まれている。
「もちろんヴァレリアンには常に感謝している。だが、彼の知識を再現するためには君の助けが必須だ。そこでロザリンド殿、本日は折り入って相談があり、伺わせていただいた」
セオドア様は真剣な眼差しでロザリンドを見据えた。
「今後の騎士団の捜査において、君の作ったルミノール粉末やマーシュ試験器などの道具を、継続的に量産して卸してもらえないだろうか」
「ああ、いいよ。アタシは金がもらえるなら何も問題はないさ」
即答するその言葉を聞き、セオドア様の表情がふっとやわらいだ。
「そうか、ありがとう。これで冤罪を大きく減らすことができるだろう。……しかし王宮の錬金術研究所は黙っているだろうか? 彼らは君が、我々騎士団と組んで仕事をするのをよくは思わないんじゃないのか?」
「その心配は無用さ。アタシ自身もかつて王宮にいたからよく分かる。あいつらは不老不死だの黄金錬成だのといった、私利私欲のための研究に必死だ。世の治安維持の道具になど、最初から興味すら持っていないはずだよ」
そう吐き捨てるように言って、ロザリンドはふっと鼻で笑った。
「なるほど、それなら今から私がする提案にも心配はいらなさそうだ。……ロザリンド殿、今後の君の研究開発費をすべて、ライゼンハイマー伯爵家が後援しよう。何も君を束縛しようというんじゃない。ただ、捜査に必要な研究開発が必要になった時に、ヴァレリアンに協力してほしいだけだ」
「そいつは願ってもない話だね! インテリ執事さんの依頼は面白いものばかりだ。依頼が来るまでは、金の心配をすることなく好きな研究ができるってことだろ? 断る理由はないね! 金さえあれば、あの研究も、途中で止まってたあの実験もできるじゃないか!」
ロザリンドは椅子から立ち上がり、部屋の中をウロウロと興奮気味に歩き回っている。
「……あんたたちがそこまで本気なら、アタシが王宮を見限った本当の理由を教えてやるよ」
彼女は歩みを止め、乱雑に積まれた書類の山に腰を下ろし、過去を語り始めた。
「王宮にいた頃、アタシは無能な先輩錬金術師からパワハラまがいの指示を受けてね。『尿から黄金を取り出せ』なんていう荒唐無稽な実験を強要されたのさ」
「尿? つまり……おしっこからですか?」
私の隣で控えていたマリエラが、顔をしかめて小さな声を漏らす。
「ああ、嫌々ながら大量の尿を集めて、何日も煮詰め続けたよ。結果は子どもだってわかる。当然、黄金なんて出るわけがない。でもね……アタシはその過程で、暗闇で青白く発光する、未知の物質を抽出することに成功したんだ」
(尿から抽出された発光物質……まさか、『リン』か!)
私の前世の記憶が、その物質の正体を即座に弾き出した。
「アタシはそれが、万物を構成する欠片の一つだと直感的に確信した。大発見だと思って、喜び勇んで先輩に報告したのさ。……でもあいつらは、黄金を抽出できなかったアタシを無能と罵り、その光る物質をただのゴミと言い捨て、完全に取り合わなかったんだ……」
ロザリンドはそう言うと、窓の外を見ながら遠い目をした。
魔法や魔石といった力に頼り切ったこの世界において、彼女の発見した真理はあまりにも早すぎたのだ。
この時私は、ある決断を下した。
彼女のこの偉大な発見を正当に評価し、これから共に科学の道を切り拓くためには、私自身の口から真実を語る必要があるのだ。
「皆様……」
私はセオドア様、ロザリンド、そしてマリエラの三人を順番に見つめた。
「信じていただけないかもしれませんが、どうか聞いてください。この三人にだからこそ、お話ししておきたいのです」
私がかつてないほど真剣な声色で切り出すと、三人は静まり返り、私の次の言葉を待った。
「私には、前世の記憶があります。魔法など一切存在せず、代わりに科学という真理が高度に発達した別の世界の記憶です」
「前世……別の世界だと?」
セオドア様がわずかに目を細め、低い声で問い返す。
「はい。私がこれまで用いてきた見えない痕跡を暴く手法は、すべてその前世の世界で確立されていた科学捜査の知識なのです。私はその世界で、四十九歳で病死するまで、科学捜査研究所という機関で、事件の真実を暴く仕事をしておりました」
マリエラが驚きのあまり両手で口元を覆い、ロザリンドは鋭い目つきで、私の言葉を食い入るように聞いている。
「突飛な話であることは百も承知です。しかし、これが私が異端の知識を持っている理由のすべてです。……すみません……馬鹿なことをいう男だと思われても、仕方がありません……」
私が深く頭を下げると、頭上からふっと、穏やかな笑い声が降ってきた。
「何を謝る必要がある、ヴァレリアン」
顔を上げると、セオドア様がいつものように私を真っ直ぐに見ていた。
「三十年仕えてくれたお前への信頼。そして、真実を探求するその正義の心。それらがお前の言葉を疑う理由などどこにもないと、証明してくれている」
「セオドア様……」
「ヴァ、ヴァレリアン様がどれだけ不思議な知識を持っていようと、私にとってヴァレリアン様は、私の尊敬するヴァレリアン様です!」
マリエラも顔を赤くしながら、必死に言葉を紡いでくれた。
そしてロザリンドは、信じられないものを見るような目で私を見つめ、やがて歓喜に顔を歪ませた。
「ははっ、そうか……そうだったのか! つまりアタシが一人で突き詰めてきたこの錬金術の先には、魔法なんかに頼らない、その科学ってやつで証明できる世界が広がってるってことだろ!」
「ええ、その通りです」
私は力強く頷き、そしてロザリンドの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「ロザリンド様。あなたが見つけたそれは、ゴミなどではありません。尿から抽出したその物質は、この世界において人類が初めて、『元素』を発見したという歴史的な偉業なのです」
「……元素?」
「ええ。元素とは、すべての物質を構成する最も基礎的な成分のことです。つまりあなたの錬金術は、誰よりも深くこの世界の真理……純粋な『科学』に到達していたのです。あなたの目は決して間違ってなどいませんでした」
私のその言葉に、ロザリンドはものすごい勢いで立ち上がると、ガシッと私の両肩を掴み、鼻先が触れ合うほどの至近距離まで顔を近づけてきた。
「アタシの発見を、アタシの理論をそこまで理解してくれるなんて! なあ、インテリ執事さん! アタシと一緒に科学でこの世界のすべてを解き明かそうじゃないか! そうだ! あんた、アタシの助手になっておくれよ!」
「なりませんっ!」
突然の密着に顔を真っ赤にしたマリエラが、慌てふためいて私たち二人の間に割って入った。
「はははっ! 冗談だよ。ごめんよ、マリエラちゃん……ただ、あまりにも嬉しくてね……。アタシは錬金術師をやめる。今日からは科学者になるよ」
「いいえ、ロザリンド様。錬金術の果てに、科学に到達したあなたは、『錬金科学者』と名乗るべきです」
「錬金科学者……いいね! 最高にかっこいいよ! そうだ、私は今日から『錬金科学者』だ! そして今日からここは、『ロザリンド錬金科学研究所』とあらためる!」
彼女はそう宣言し、それから私に向けてニヤリと笑った。
「インテリ執事さん、あんたも共同経営者として名前を出してくれよ。あんたの前世の知識がなきゃ始まらないんだからさ」
その魅力的な提案に対し、私はうやうやしく一礼して答えた。
「お断りいたします」
「はぁ? なんでさ?」
「私はあくまでライゼンハイマー伯爵家に仕える一介の執事に過ぎません。ですからすべての実績は、ロザリンド様のものとして世に出してください」
私の固い決意に、ロザリンドは呆れたようにため息をついた。
「はぁ、本当に変な男だね。まあいいさ、そういうことならアタシが全部手柄を独り占めしてやるよ」
セオドア様もやれやれといった様子で肩をすくめ、マリエラだけがどこか誇らしげに私を見上げていた。
表向きは王宮から逃げ出した錬金術師と、その後ろ盾となる伯爵家。
こうして森の丸太小屋に『ロザリンド錬金科学研究所』という看板が掲げられ、異世界における本格的な科学捜査の幕が、静かに開いたのだった。




