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お兄ちゃんは今病院にいる。昨日事故にあったからだ。お医者さんからの話では脳はもう死んでおり、心臓を動かす、呼吸をするなどの全ての身体的機能を医療機器でおこなっている事を話された。
私はお兄ちゃんを慕っていた。誰よりも頼っていた。私もこんな風に明るく照らしたいとそんな風に思っていた。
私は昨日の朝のことを思い返す。お兄ちゃんにもっと日頃の感謝を伝えればよかったと、お兄ちゃんが私の誇りだったと、今はもう伝えられない言葉たちを思い浮かべて後悔する。
もう伝える術がないという事実を今はまだ受け入れられる気がしない。
一年が過ぎた。あれから私は笑うことが出来なくなった。お母さんとお父さんから話があると居間に呼ばれた。「お兄ちゃんとまた会話ができるとしたらどう思う」
お父さんが珍しく真面目なトーンで話し始める。「もし会話ができるなら何よりも嬉しい」と返事をする。
「もし、記憶が、性格が、別の人だとしたらどう?」と尋ねられる。私が思っていたものとは違うようだ。
なんとか想像する。しかし私の頭では理解が追いつかない。「分からない」そう言うしかなかった。
お父さんが言う。「五感を失う奇病を患っている子供がいる。その子は2度と、光も、音も、味も匂いも触れることもできない。そんな子供に祐希の体を渡したい。」
さらに混乱する。お兄ちゃんに違う子供が入るということ?それはお兄ちゃんなの?五感がない世界?そこには何があるの?何もないの?アイドルも?テレビも?情がうつる。心が揺れる。
「でもそれって、お兄ちゃんとか、、その子とかは、、」言葉が出ない。思うことは沢山あるのに文書にできない。文章にできないまま沈黙につながる。
深い静けさ。お父さんが口を開く。「今の祐希は、医療機器で延命されているだけだ。もし何かが起こって医療機器が止まれば全身の機能が止まり今度こそ死ぬ。脳さえあれば体は動かせる。」と話す。
お兄ちゃんが死なないのは嬉しい。お兄ちゃんに伝えたかったことは山ほどある。伝えることができるなら、また会話ができるなら何よりもそれを望んでいた。
だけど、中身が変わるのは、それはお兄ちゃんじゃないんじゃないか、私への思いやりもあの明るさも何もかもない、それは、、二つの想いが拮抗する。
悩んでいる間にお母さんが口を開く。「祐希は死んだの。」話す言葉は震えている。だけど奥深くに芯がある。
「私は祐希は死んだ。そう思ってる。今の祐希に魂は残ってない。体しかない。記憶も、愛情も全て、天国へもって行ってしまった。だからこそ私は彼を、祐希を、誰かを救ったヒーローとして逝かしてあげたい。きっとそれがあの子にとってふさわしい逝き方だと思うから。」と目を赤くさせ話す。
きっと悩んだんだろう。私より先に知り、私よりずっと悩みこの答えに辿り着いただろう。私より長くお兄ちゃんと過ごした。お父さんもお母さんもきっと私よりお兄ちゃんのことを知っている。否定はできなかった。
お母さんもお父さんもどちらの言うことにも理解は出来る。お兄ちゃんはもう戻らない。もし災害や不慮の事故で停電があれば体も死んでしまう。だけど納得はできない。お兄ちゃんを自らの判断で殺してしまうような気がして私には荷が重かった。
翌日、美穂は学校を休んだ。俺と妻は美穂にご飯を用意し病院へ出かけた。いつもの病院とは違う。少し離れた病院だ。
病院ではあのドキュメンタリー番組に出ていた子どもがいた。天井を眺め何かを考えているようだった。 美穂にあんな風に話はしたが俺自身も決心がつかない。祐希は本当にそれを望んでいるのだろうか。
そんなことをいまだに悩んでしまい目の前にいるこの子供に申し訳なさが芽生える。
少し遅れて私たちより10つ程若い夫婦が現れる。互いに軽く自己紹介をする。
息子の名前、好きな食べ物など共通点が多いことになんだか少し嬉しくなった。
少し空気が和んだ頃。誰から言い始めるでもなく、互いの息子の境遇を語り合った。互いの息子の話を聞いている間はどちらも静かに涙を流していた。
気づけば小鳥の囁き、木々のざわめきと涙を啜る音だけがこだましていた。
たった1人の息子が五感を失う。俺なら耐えられないだろう。きっとこの2人もキツく辛い時期を乗り越えやっと前を向いたのだ。
同じではないが似た境遇に図らずとも2つの家族の感情が交わった。
そこから数ヶ月後の訃報で知った。優樹くんの父は癌に侵されていたのだ。さらには母でさえ白血病と闘っていたのだ。
何も知らなかった。知った時には遅かった。あんなに元気に見えたのに、気づいた時には無くなってしまう。また失ってしまうのか。
生きている俺にできることはなんだ。この家族を守る為にできることは。何よりも心配だったのは優樹くんのことだった。
俺は決心した。息子の為に。




