喧嘩って長引くよね
大変お待たせ致しました。また、ぼちぼち更新していければと思っております。よろしくお願い致します。
じっくりと煮込まれた飴色のオニオンスープが美しい鍋を眺めながら、俺は厨房でぼんやりと昨日のことを考えていた。
ちなみに、今日の俺の仕事は厨房のお手伝いだ。芋の皮むきは苦手だが、鍋をかき回す才能があることは信じてもらえたらしい。コックのマリアさんに鍋を任されたオニオンスープは俺が守るのだ!
さて、頭に思い浮かぶのは、金髪を一つに結い上げた凛々しい少女の姿だ。ロゼ。騎士見習いだという少女。あれから彼女と顔を合わせていない。ロゼは昨日の夕飯も、朝食の席にも現われなかった。もっとも、初対面で命の危機を感じた俺としては、どんな美少女だろうとわざわざ顔を合わせたいとは思わない。むしろ、一生遭遇しないことを切に願うくらいだ。
だが、ロゼがいないことで明らかに元気のないディックの表情を見ていると、俺の心はもやもやとしてしょうがなかった。
喧嘩をどう消化するかは、非常にデリケートな問題であると思う。一昔前なら、夕日の元で殴り合いをして解決するか(あれ、解決しているか? 暴力で問題をうやむやにしているだけじゃないか?)、喧嘩両成敗とか言って教師が両者の頭に拳を叩き込んで解決するか(これも解決できていないんじゃないか? むしろ体罰ではないか?)あったが、今の複雑な現代社会にとって喧嘩という濃い感情のぶつかり合いは慣れないものなのである。
(俺も喧嘩苦手で、避けちゃうしなー)
友人と喧嘩するどころか、一番身近な存在である弟とだってもう何年も喧嘩をしていない。お互い幼さを失くして感情を流し合うことを覚えたというのもあるのだが、わざわざ気力を使ってまでぶつかることをしなくなったのかもしれない。
「最後にあいつと喧嘩したのはいつだ? 中学・・・、いや小学生のときで―――」
ふいに俺の脳裏へ幼い泣き顔が浮かんだ。
『何で、何でだよ……っ』
ああ、思い出した。あれ以来か。
とにかく、喧嘩慣れしていない現代人は仲直りにも時間が掛かるということだ。あれ、そういう話だったか?
オニオンスープの香りにつられたのかわからないが、厨房にアイラ先輩が現われた。ああ先輩一日ぶりです頭を撫で撫でしてもよろしゅうございますかあっ今の俺は鍋番でしたすみませんまた後で撫でさせてください、と一人と一匹で葛藤していると、庭にハーブを摘みに出ていたマリアさんが戻ってくる。
《アイラ、あんまりそっちに近付いちゃダメだよ。玉ねぎがあるからね》
「え、どうして《ダメなんですか?》」
素直に疑問を口にすると、マリアさんがじとっと俺に視線を向けた。基本的にマリアさんはこんな感じだ。赤髪をバレッタでまとめた活発的な美女は、俺に対して口数が少ない。もっとも、この屋敷で俺に好んで話しかけてくるのはディックかアイラ先輩くらいであるが。
だが、予想外にもマリアから答えが返ってきた。彼女は、俺の見張る鍋の調子を確認しながら教えてくれた。
《ネギ類は犬にとって毒なのよ。猫にもね》
「《毒》? 嘘、犬って玉ねぎ食べちゃダメなんだ」
それは驚きだ。俺は都会育ちのマンションっ子だったから、動物と触れ合う機会も少なかった。この世界に来て、学ぶことは多いようだ。
とりあえず、俺の足元にいたアイラを遠ざける。可愛い先輩を危ない目に合わせたくない。床に玉ねぎの切れ端が残ってないかざっと確認した。
《そんなに心配しなくても、賢いアイラは食べないわよ》
マリアが笑う。初めて彼女の顔に、笑みが浮かぶ姿を目にした。
厨房にアイラの飼い主である老人が入ってくる。
《アリア、昼飯をくれ。―――おや、坊主。今日はマリアんところの手伝いかい?》
《トムさん、厨房には靴の泥を落としてから入ってくださいっていつも言ってるじゃないですか》
トムは野良仕事が多いため、厨房に入れば靴の泥が目立つ。溜息をついてマリアが指摘した。
《何じゃ、それならアイラはどうなんじゃ。こいつもそのままだぞ》
結局、トムは外で泥を落とし直し、アイラの足は俺が渡された布で拭った。
昼食は、マリア特製オニオングラタンスープと塩漬け肉とハーブのサンドイッチだ。実に美味い。
「うまい、うまい」
《ツィルギさん、ぼろぼろ零してるわよ》
しばらくマリアは俺とトムの食べている姿を眺めていたが、再び厨房の仕事に戻った。
マリアは料理上手だ。年齢は三十代をちょっと過ぎたくらいで、この屋敷の厨房を一人で任されているほどだから、前はどこかで修行でもして腕を磨いていたのかもしれない。一人厨房で黙々と料理をする姿はまさに職人といった感じで、無口なのも彼女の落ち着いた大人の雰囲気によく似合っているように思える。
(働く女性って素敵だよなぁ)
父さんを早くに亡くし、女手一つで家計を支える母さんの背中を見てきたせいか、俺は仕事を持つ女性に弱い。女性が真剣な眼差しで何かをしている姿は実に素敵だ。
《ツィルギ、スープが零れるぞ》
傾いた椀が俺の膝にスープを垂らそうとしている。
「お、わわっ」
《わんっ》
視界が反転して、気付いたときには椅子ごと引っくり返っていた。俺の瞳に、白い布が映る。
「パンツしろ……ぐふっ!」
容赦ない蹴りが顔面を襲う。やばい死ぬ。
《さ、最低―っ!!》
昨日とは打って変わって真っ白いワンピースに身を包んだロゼが裾を押さえて俺を睨みつけていた。
「《最低》って、今のは《不可抗力》……いたいいたい!」
ぎりぎりと靴底に手の指を踏まれる。かなり本気だ。見兼ねたらしいマリアが仲裁に入る。
《ロゼ、お腹空いてたんじゃないの。用意するわよ》
とたとたとロゼがマリアの元に駆けて行った。そのまま豊満な胸に飛びつく。男なら誰もが一度は夢見る巨乳に顔を埋めた。
《ディックの大馬鹿……》
母親が娘にするように、マリアの手が優しくその頭を撫でた。