第6話
試写会終了後、渋谷マークシティの前で雅臣と落ち合った。
「追っ手って誰だよ?」
「ミスタージコチューよ」
「やっぱそうか」
「あのいちゃもんのつけかたは天下無双だわ」
「今日はどんな?」
「いまは思い出したくもないわ。それより映画どうだった?」
「マジで一緒に見たかったよ。多分、姫花なら5回は泣ける」
「今も泣きたい気分よ」
姫花は大きくため息をついた。
「だろうね」
「でも、いいなあ。公開上映はたしか来月10日からよね。ねえ、あなたは2回目になるけど、来月もう一度見ない?」
「いいよ」
やっと姫花の表情がなごんだ。
それから二人は雅臣の行きつけの酒場に足を運んだ。その店は渋谷の路地裏にあった。
店構えを見た時、姫花は彼のセンスのなさにびっくりした。とてもデートで行くような場所ではない。手垢で汚れたのれんと“まさみ”と書かれた赤い提灯が灯る場末の飲み屋である。ネクタイを緩めたサラリーマンや日雇い労働者たちが憩うようなディープな酒場である。
雅臣がここに通うのにはわけがあった。マスターである。ここのマスターが実に面白い。
「おや、いらっしゃい! 雅臣君」
「こんばんわ、まさみちゃん」
「お疲れさん。今日も聞いてあげるよ。好きなだけ吐きな!」
「今日は俺じゃないんだよ。こっちの彼女」
マスターの愛称はまさみちゃん。角刈り頭に鉢巻き、丸い団子鼻に二重顎、擦り切れた赤いTシャツに紺のトレパン。ピアスとたわんだ胸を見なければどう見ても男だ。可愛いらしい愛称とのギャップが可笑しい。
しかし、このまさみちゃんに贔屓の客がたくさんついている。そのわけは客の愚痴を聞くのがとても上手いからである。
「そうかい。そちらのきれいなお嬢さんだね」
「北島姫花さんだよ」
雅臣が紹介する。
「悩みなんて吹っ飛びそういい名前だね」
(そ、そうでもないんだけどな〜)
「それで姫花。今日はどんな嫌なことがあったんだい?」
急に呼び捨てだ。親近感を持とうという腹だろうが違和感を感じないでもない。
まさみちゃんの暑苦しい笑顔を前に、姫花は遠藤とのやりとりを思い出していた。だが・・・
(あんまりいい気分じゃないわね。ミスタージコチューのこと思い出すなんて)』
姫花の話をひととおり聞いてから、まさみちゃんは言った。
「ずいぶん陰険な上司だね。姫花だけかい、そんな目に合うのは?」
「う〜ん、わたし多いかな。日替わりで琴ちゃんもやられてる気がするけど」
琴ちゃん、正しくは南澤琴実。姫花と同じマーケティング課の後輩である。この4月、熊本から上京してきた新人だ。
遠藤はこの新人にも、教育とも思えないイジメをしていた。
「なぜかわたしと琴ちゃんが狙い撃ちされてるのよね」
姫花の青息吐息に、まさみちゃんは言った。
「そりゃあきっと美人への羨望だ」
姫花は苦笑いした。
姫花のグラスに雅臣がビールを注ぐ。その瓶を取り上げ今度は姫花が雅臣のグラスに注ぐ。二人は顔を見合わせ、「チアーズ」とグラスを打ち鳴らした。二人で決めた乾杯の音頭である。
まさみちゃんが尋ねる。
「上司、歳は?」
「40少し越えたぐらいかしら」
「妻子持ちかい?」
「子供はわかんないけど、バツは立派に一個ついてる」
雅臣が苦い顔で反応する。
「おなじバツイチでくくられたくないな・・・」
姫花は笑って弁護する。
「もちろんあなたとは別物よ」
雅臣が思い出し笑いしている。
「じつはね、遠藤課長の別れた奥さんはうちのマドンナだったんだ」
「えっ! そうなの?」
初耳だった。
「きれいな人だったよ」
雅臣の薄ら笑いを眺めて姫花は思った。
(やっぱりバツイチはおんなじか・・・)
「どうして別れたの?」
「遠藤課長の浮気さ」
「そんなとこでしょうね。でお相手は?」
「姫花も知っている人だよ」
「社内なわけね」
「そう」
「なにもかも狭隘ね」
姫花にとって遠藤はすでに値のつかない暴落株だった。
「で、誰なの?」
雅臣はもったいつけた。
「ヒント。彼女は今も独身」
「いくつ?」
「30前半かな」
姫花は何人かの顔を思い浮かべた。
「その条件ならば、経理課の佐紀さんか、資材課の相澤さんか、総務課の望美さんか」
「その中にいるね」
「でも佐紀さんはお相手いるし、相澤さんは年下希望だし、ひょっとして望美さん?」
「ビンゴ」
「ええ!? あの真面目でお堅い望美さんがミスタージコチューと? 想像できないわ。何を血迷っちゃったのかしらね?」
まさみちゃんが言った。
「真面目な女ほど男の裏の顔を見抜けないんだよ」
「そうなの?」
「肩書きとか資産とかでね簡単に騙されちまうんだよ」
「そういうもんなんだ」
しかし姫花は思った。たとえ遠藤が社長であろうが、億万長者であろうが、ジャニーズであろうがミスタージコチューである限りぜったい騙されはしないと。なんなら自分には裏の顔を全部調べられる術もある。
「姫花はどうだい? 見る目あるかい?」
まさみちゃんはいたずらっぽい目で敢えて姫花と雅臣を見た。
「ちゃんと見てるわよ、隅々まで」
姫花は笑った。
「だったら大丈夫だね」
まさみちゃんは相槌を打った。
「いい彼女できたね、雅臣君」
雅臣は胸を張ってこう言う。
「でなきゃ連れてこないよ、ここに」
姫花が雅臣の肩に抱きついた。雅臣がピースサインを掲げている。
姫花は呟いた。
(こんなデートもありかもね。ここって路地裏のカウンセリング室みたい)
姫花には、今日の遠藤との一件が遠い過去に思えた。




