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第28話

 残念ながら、ハルの予見したとおり太田黒たちのクーデターはわずか一日で新政府に鎮圧された。

 太田黒、加屋ら首脳陣がはやばやと戦死。最終的には戦死二十八人、自刃八十六人を出して惨敗。残った者もほとんどが新政府軍に捕縛《ほばく》された。

 これがかの有名な神風連《しんぷうれん》の乱である。

 鎮圧されたといえど、この蜂起《ほうき》が残した影響は決して小さくない。こののち、連鎖的に不平士族の革命運動が各地で勃発《ぼっぱつ》する。福岡の秋月《あきづき》の乱、山口の萩《はぎ》の乱、そして極めつけは西郷隆盛《さいごうたかもり》率いる最強武士団、薩摩隼人《さつまはやと》と新政府軍の決戦、西南戦争《せいなんせんそう》に至る。が、この戦《いくさ》を最後に旧士族による反政府活動は終結する。

 つまり、神風連の乱の役割とは士族の終焉《しゅうえん》を飾る革命の初太刀《しょだち》だったわけである。その太刀を最初に振り上げた首謀者が太田黒伴雄と史書には書かれている。

 しかし実のところはこの裏舞台にいた女性、南澤ハルが仕組んだのである。彼女の特殊能力がこの一連の蜂起を引き起こさせたのである。

 結果として彼らは散ったが、武士《もののふ》の誇りを後世に残した。それはハルの共有からはじまったといっても過言ではない。

 明治十年の西南の役が終結して以降、ハルは革命の舞台から姿を消す。

 ハルはお腹に太田黒の子を宿していた。西南戦争勃発後、ハルは戦禍を逃れるため、阿蘇郡の田舎村へ疎開《そかい》した。

 この村で太田黒の子を産み育て彼に言われたとおり、時代の行く末を見届けるつもりでいた。

 生まれた子は女の子で、ハルはこの子に姫乃《ひめの》と名付けた。姫乃がよちよち歩きを始めた頃、国内に戦《いくさ》はなくなって平和が到来したかのように見えた。

 この頃、ハルは村の一人の男性と一緒に生活を始めた。男の名を北島順一《きたじまじゅんいち》という。西南戦争に従軍した薩摩隼人である。

 北島順一は西南戦争最も激しい戦闘であった田原坂《たばるざか》の戦で、銃弾を大腿部《だいたいぶ》に受け、戦列を離脱した。薩摩には戻らず、阿蘇の寒村で逗留《とうりゅう》し、そのまま終戦を迎えた。

 戦《いくさ》で散った他の薩摩隼人と違い、幸か不幸か戦死できなかった順一は、生きるにも生きられぬいわば生殺しの状態だった。杖をつかねば歩けぬ体は戦《いくさ》に出られぬばかりか、農作業をすることもままならなかった。

 そんな折に、順一は南澤ハルに出会った。ハルも順一もこの村の生まれではない。よそから移住して来た者だ。よって村から歓迎されなかった。

 二人は除《の》け者同士一緒に住むことにした。愛し合ってのことではない。

 しかし男と女が共に一つ屋根の下暮らしていれば、情も湧き起きることは起きる。二人に子ができた。ハルにとって二人目の女の子だった。太田黒との子、すなわち姫乃《ひめの》は二歳になっていた。ハルはこの赤子に琴乃《ことの》と名付けた。

 ハルたち四人は穏やかに仲睦まじく暮らした。家族に囲まれハルは倹《つま》しくも幸せだった。

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