第26話
ハルが現世への未練を示さなければ天に召されたであろう。だがハルは未練を捨てきれなかった。太田黒への未練である。天から落っこちても、死ぬなら太田黒のもとで死にたい。ハルはそう思った。
するとどうであろう。ハルの意識が吸い込まれるように太田黒の中に入った。
なにが起きたのかわからなかった。見える景色が尽く強い色彩を帯びていた。聞こえてくるどの音もこの体の鼓動を励ましているようだった。
「刀剣捨てるくらいなら、命ば捨てるほうが容易か」
(うったまげた。こりゃ伴雄さんの声ばい!?)
「戦たい、戦すったい新政府と」
ハルは太田黒の意思をまるで自分の意思のように感じることができた。
(これは・・・一心同体、いや二心同体になっちょる)
新政府に太田黒は暴発しそうな怒りを持て余していた。
(ばってん、おいはずっとここにおってよかと?)
許されるならいつまでもいたい。しかし太田黒の裸のこころを盗み見している自分がとても大きな罪を犯している気がした。元いた場所に戻らなければいけないと思い立った。
脱するのは簡単だった。他人の意識にいることのほうが排外的なわけで、出たいと思った瞬間、はじき出されるようにハルは太田黒の意識から押し出された。また戻ろうと思った瞬間、自分のなかに引き戻されていた。
まったく反応のなかったハルに臨終を告げた医師が、
「奇跡たい! か、帰ってきたばい!」
ハルの蘇生に驚いた。確かに奇跡だった。しかしハルにはまだこの世でやらなければならないことがたくさんあった。だから神はハルに涅槃にいくことを許さなかった。
あくる日もハルは想いを断ち切れず、またも太田黒を訪れてしまった。昨日とまったく同じ意識の放浪が再現された。そこでは彼の考えだけでなく彼の五感をも共有できることを知った。いけないと思いつつ、ハルは太田黒と身も心も一緒になれるこの瞬間に、懸想を超えた幸せを思った。
この段になってハルは、自分がとてつもない能力を身につけたのだと自覚した。
病から復活したハルはこの能力を完全に自分のものにした。この不思議な能力を後にハルは“共有”と名付けた。
共有を会得したハルは太田黒の反政府活動を陰から支援しはじめた。
「散髪令、発布しよっと」
共有で得た新政府の計画をハルは太田黒に伝えた。
「なんごつな、それは?」
ろくでもないものであろうと太田黒は思った。
「髷を落とせつうこったい」
「髷結わねば、武士と言わん」
「武士の時代を終えるつもりたい新政府は」
「武士おらんでどぎゃんして攘夷ができよっと」
声を荒げる太田黒。
古来、夷狄を打ち払ってきたのは武士である。武士なくして新政府は新たな軍隊を整えるが、俄か調練の新兵に何ができよう。戦闘は死をも覚悟する武士にしかできない。死を恐れぬから腹が切れる。それほどの覚悟があるから負けない。それが武士である。
ハルは太田黒の考えをわかっている。ハルは新政府の目論見を代弁したにすぎない。
「大筒も軍艦も、むこうさんは仏蘭西式たい」
「そぎゃんもんで夷狄の脅威を追っ払えるわけなか」
「ばってん、刀剣よりアームストロング砲のほうが強かね」




