第25話
明治の熊本藩城下町。
「刀ば捨てろと? そぎゃんこつ出来んばい」
男が叫んだ。名を太田黒伴雄という。
「新政府は本気で言っちょるばい」
加屋霽堅が苦々しい顔で腰の鞘をつかんだ。加屋は太田黒と同じ敬神党の一員である。
「はがいかね」
太田黒が足元の土を蹴った。
「ほんにはがいか」
加屋も太田黒の言葉をなぞった。
「命ば捨てろいうとるのとおんなしたい」
熊本城を見上げて、斎藤求三郎が声を上げた。
「どぎゃんかせんならん」
斎藤も敬神党の一員である。
「そげんこつ、新政府ば、ひっしゃぐる(潰す)しかないたい」
太田黒が咳を飛ばし叫んだ。
「簡単にはいかんばい」
加屋が逸る二人を諌めた。
「ではどげんすっと? こんまんま黙ってじっとしとっと?」
斎藤が加屋を睨みつけた。
明治九年。明治政府は廃刀令を発した。武士に刀剣を佩くことを禁じたのである。この法令を不服として新政府に反旗を翻したのが熊本敬神党である。
当時熊本(肥後藩)には三つの派閥があった。学校党、実学党、勤皇党である。
このうち、勤皇党から派生したのが敬神党である。神道の信仰心厚い武士たちで構成されている一団で、太田黒伴雄を中心に活動していた。
城下の北はずれに一人の若い女性が住んでいた。名を南澤ハルと言った。
ハルは女だてらに藩の私塾原道館で国学と神道を学んでいた。この学校に林桜園という当世名高い国学の師がいて、神道を重んじる復古主義、攘夷主義を教えていた。ハルはこの師について学んでいたのである。
ハルには想いを寄せるお侍様がいた。いけないと思いつつハルは、このお侍様に懸想した。そのお侍様のことを考えると頭が一杯になり、学問に身が入らなくなった。
(あんひとは、おいのこと知っとってくれよっかね?)
想いを寄せる相手、それは同じ藩校で学んでいた太田黒伴雄であった。
太田黒は林桜園から手ほどきをうけるうちに次第に尊王攘夷思想に傾倒していき、国内で名声轟く宮部鼎蔵や轟武兵衛らの勤王党の諸氏たちとも親交を深めるようになっていた。
そんな活動家の太田黒にハルは密かに想いを寄せていたのである。
(おいからはいえんばい)
当時、女子から殿方に想いを告げることはできなかった。ましてや身分の高い方に想いを寄せるだけで不徳とされた。恋心を抱いたとしても黙って想い募らせるしかなかった。それはハルとて例外ではなかった。
ハルは毎日太田黒のことを想い苦悶の日々を過ごした。彼が望んでいることはなんなのか、どんな女子を好いているのか。来る日も来る日も彼のことを考えた。
それが度を超えて、ついにハルは病にかかった。原因不明の熱に冒され床に伏した。
医者は一向に下がらぬ熱に、
「こりゃ瘧病たい」
と診断を下した。いまでいうマラリアである。
ハルは熱にうなされながらも太田黒のことを夢想していた。遠くにある彼を想像し、生死の端境で彼を想った。
死の淵にあろうかというその時、ハルの体に異変が起きた。意識がすうぅっと体から抜けていく感覚があった。
次の瞬間、ハルの意識は空高く浮いていた。
(なんごつなこれは? おいはまだ死にとうない!)




