甘い毒の回帰
指定された部屋で、
私はただ、その「時」を待っていた。
冷蔵庫には、彼女が好きだと言っていたオレンジジュース。冷たい風にさらされたラベルが、私の指先を僅かに冷やす。
だが、胸の奥では、自分でも制御できないほどに鼓動が跳ねていた。
まるで、ラベルの『ボレロ』のようだった。
静かに、軽快に刻まれる小太鼓のリズム。
私はその日から、三年に及ぶ破滅へのタクトを、知らず知らずのうちに振り始めていたのだ。
加速していくリズム、増していく音圧。クライマックスへ向かって、私はただ、盲目的に走ってしまった。
やがて、無機質なチャイムの音が部屋に響く。
ドアの向こうには、画面越しではない、実物の彼女が立っていた。
ツインテールの先だけを、少しだけ赤く染めて。
襟元に細いリボンを結んだ、清潔感のあるワンピース。
手入れの行き届いた厚底靴。
いわゆる「地雷系」と呼ばれるその装いは、退屈なホテルの廊下で、彼女だけを鮮烈な異分子として際立たせていた。
「会いたかったよぉ、今日はありがとう」
間髪入れず、彼女は私を抱きしめた。
満面の笑み。その容姿には似つかわしくない、少し低くて、よく通る声。
その瞬間、放たれた鋭い矢が、一ミリの狂いもなく私の芯を射抜いた。
今思えば、どうしようもないほど、逃れようのないほど、私はあの瞬間に恋に落ちていたのだろう。
ソファーで交わした、取り留めのない会話。
二十歳の大学生であること。
親には頼れず、この場所を選んだこと。
詮索はしなかった。
ただ、五時間の予約を、何度も
「嬉しい」と笑いながら抱きついてくる彼女の熱に、私の意識はクラクラと遠のいていった。
血管が脈打つ。熱に浮かされていくのを、はっきりと自覚していた。
もこもこと泡立つ、ラッシュの入浴剤。
湯気の中で、私たちはまた言葉を重ねた。
そして、あまりに自然に、彼女の方から唇を重ねてきた。
慣れない私は、情けないほど震えていたかもしれない。
ベッドの上で、私はなすがままに、彼女という奔流に身を委ねた。
あまりの絶頂に、自分の中から何かがこみ上げるのを感じた。
何度も、何度も唇を重ねるうちに、私は自分が「人間」であることを忘れ、ただ彼女を求める「獣」へと変質していった。
七度の交わりの果て、私はようやく尽き果てた。
「たくさん求めてくれて、ありがとう……」
彼女はうっとりとした表情で、そう囁いた。
まだ離れたくない。
もっと求め合いたい。
だが、無情にもスマホのベルが、現実を呼び戻す。
「私、もう行かなきゃ。着替えないと……」
胸の中に、なんとも言えない切なさが澱のように沈んでいく。
ドアを開けて見送ろうとしたその時、彼女はもう一度、思い切り私を抱きしめた。
「また、会いたいな……」
軽い口づけを残して、彼女はホテルを後にした。
今まで味わったことのない、温かなぬくもりの残骸。
それを噛み締めながら、私は。
逃げ場のない、猛烈な虚無感に襲われるのであった。




