ハイゼロ
冒頭
私はただ、初恋という果実を 味わいたかったのかもしれない……
第一章:指先から始まった、甘い処刑
なんとなく、私はそのサイトを開いた。 代わり映えのしない、単調な日々の繰り返し。そこにほんの少しの「プラスアルファ」を求めただけだった。今にして思えば、その何気ない行動が、後に人生のすべてを溶かし尽くす転落の始まりになるとは……当時の私は、思いもよらなかった。
待ち合わせの場所は、あまりに近すぎた。 普段の買い物帰り、あるいは仕事の行き来に、無意識に視線を逸らしていただけの、どこにでもあるビジネスホテル。そこは、私の平穏な日常のすぐ隣に、ずっと「空洞」のように存在していたのだ。
だが、あの子に会うと決めた瞬間、その建物は突如として、粘りつくような実体を持って私の前に立ちはだかった。看板の古びたフォント、剥げかけたタイルの質感、排気口から漏れる湿った空気……。昨日まで風景の破片でしかなかったものが、今は獲物を狙う獣の眼光のように、私の全身を射抜いている。見慣れたはずの街角が、その一角だけ、どす黒い染みのように変質してしまった。私は、自分の意志でその染みの中に足を踏み入れようとしていた。
サイトには、会う前に言葉を交わせる機能があった。 私は何かを送った。だが、今となっては自分が何を綴ったのか、欠片ほども思い出せない。自分の言葉など、もはやどうでもいいのだ。ただ、静かな部屋を震わせて届いた、彼女の返信だけが、今も脳裏に焼き付いて離れない。
『見つけてくれて、ありがとうございます。 あなたのメッセージを読んだとき、なんだか、ずっと待っていた人に会えたような気がしました。勝手な運命を感じて、ごめんなさい。でも、本当にお会いしたいです』
数日後、私が送った何らかの問いかけに、彼女はさらに深い甘さを、そして一滴の「猛毒」を混ぜて返してきた。
『私、このお仕事を始めたばかりで、自分が誰かの役に立てるのか、ずっと怖かったんです。でも、あなたが私に初めて言葉をくれた人なんですよ? そのことが、どれほど私の救いになったか……。週に一、二回しかいない不束な私ですけど、あなたにだけは「本当の私」を見つけてほしい。ずっと、ずっと待っていますね』
「あなたが初めて」という毒を含んだ蜜が、私の血管に静かに、そして深く浸透していった。だが、丁寧な言葉の羅列の最後に潜んでいた、当時は気づかなかった決定的な一文が、私の傲慢な正義感に火をつけた。
『――ねえ、私を、この場所から連れ出してくれますか?』
いつしか、私たちは毎日メッセージを交わすようになっていた。日々の些細な光景、誰にも言えない心の軋み。二十通を超えるやり取りは、いつしか「契約」の枠を超え、私にとっての生命維持装置に変わっていた。
そして、ついに私は予約を入れ、その建物の前に立った。 その先に、熱の残骸と、二度と埋めることのできない巨大な空白が待ち受けているとも知らずに。




