第92話_天測の狙撃手
――領域魔法。
《月夜の沈魂凪》。
世界が夜に染まる。
風が止まった。
音が消えた。
まるで世界そのものが死んだかのような静寂。
空には巨大な黒い月。
地には淡い銀光。
ここはフィオナの世界。
魔術師を殺すためだけに作られた領域だった。
ガイは舌打ちする。
「チッ……」
重い。
あまりにも重い。
魔力を練る。
その行為そのものが阻害される。
普段なら呼吸と変わらぬ魔力操作。
それが今は、泥沼の中で全力疾走するような感覚へ変わっていた。
術式を構築する。
――崩れる。
再構築。
――また崩れる。
普通の魔導士なら戦闘にならない。
だが――。
ガイは王国最強の狙撃手だった。
巨大な長銃。
《ディスタンス・ジャッジメント》を構える。
照準。
収束。
発射。
轟音は小さい。
音が沈む世界だからだ。
放たれた魔弾だけが一直線に駆ける。
しかし――。
「あまいわぁ」
イザベラが微笑んだ。
巨大な鎌。
《グラビティ・ヘカテー》が振るわれる。
瞬間。
魔弾の軌道が歪んだ。
――重力操作。
弾丸は狙いを外され、彼方へ消える。
――次の瞬間。
「チッ……!」
ガイが横へ跳ぶ。
その直後。
ドゴォォォォォンッ!!
超重力が大地を押し潰した。
地面が陥没する。
僅かでも遅れていたら終わっていた。
イザベラは内心で感嘆していた。
(凄いわねぇ)
(本当に凄い)
普通なら終わりだ。
フィオナの領域へ閉じ込められた時点で。
魔法が成立しない。
術式が組めない。
戦うことすら出来ない。
それなのに。
この男はまだ戦えている。
――魔力制御。
その一点だけで。
無理やり戦闘を成立させている。
王国第四位。
《超狙撃》ガイ。
その本質は狙撃技術ではない。
魔導士としての完成度。
魔術制御の練度。
それこそが彼の真価だった。
だが――。
口から出る言葉は別だった。
「苦しそうねぇ」
重力弾が降る。
ガイが回避する。
大地が砕け散る。
「流石にぃ」
「そろそろ限界じゃなぁい?」
挑発するような声音。
ガイは答えない。
汗が頬を伝う。
呼吸も荒い。
領域は確実に効いている。
照準は狂う。
魔力は乱れる。
術式は崩壊する。
決して余裕などない。
フィオナは静かに見つめていた。
白銀の瞳で。
(おかしい)
そう思う。
魔力は沈んでいる。
術式も乱れている。
正常なら戦えない。
それなのに。
目の前の男は立っている。
撃つ。
避ける。
耐える。
戦い続けている。
(なぜ……)
理解できなかった。
ガイが撃つ。
イザベラが潰す。
ガイが移動する。
領域が魔力を削る。
その繰り返し。
――劣勢。
誰が見ても劣勢だった。
完全に押し込まれている。
「どうしたのぉ?」
イザベラが笑う。
「もう逃げるだけぇ?」
「………」
「王国第四位も大したことないわねぇ」
その時だった。
ガイが小さく笑った。
「そう見えるか」
「あらぁ?」
「なら上出来だ」
イザベラの眉が僅かに動く。
違和感。
何かがおかしい。
だが分からない。
戦闘は続く。
数分。
体感では数十分。
静寂の世界。
死の領域。
その中で。
ガイだけが戦い続けていた。
そして――。
イザベラは気付く。
「あらぁ……?」
戦闘開始から、
ガイの視線が同じ場所を見ている。
自分ではない。
フィオナでもない。
もっと上。
もっと遠く。
空。
黒い月。
その瞬間。
背筋が冷えた。
「まさか……!」
ガイが獰猛に笑う。
「気付くのが遅いな」
長銃を持ち上げる。
膨大な魔力が集まり始めた。
今まで感じなかった量。
――違う。
今までずっと集めていたのだ。
少しずつ。
少しずつ。
戦いながら。
削られながら。
阻害されながら。
必死に。
撃てなかった魔弾。
乱れた照準。
苦しそうな動き。
全部本物だった。
全部苦しかった。
だが。
それだけではない。
その裏で。
ずっと準備していた。
戦闘開始から。
ガイは黒い月を観測していた。
領域の核。
魔力循環の中心。
フィオナが世界へ固定した座標。
狙撃手は標的だけを見る存在ではない。
――撃つための環境。
――撃つための条件。
それら全てを観測し、構築する者だ。
「一流の狙撃手ってのはな――」
魔力が唸る。
空間が震える。
――展開される。
幾重もの照準環。
重なる魔法陣。
「標的だけを撃つ奴じゃねぇ」
ガイの魔力が膨れ上がる。
「撃つための状況を作る奴のことだ」
フィオナの瞳が揺れた。
初めて。
明確な危機を感じる。
危険。
危険。
危険。
本能が警鐘を鳴らしていた。
ガイは銃口を空へ向ける。
黒い月へ。
そして――詠う。
詠唱――。
『――虚飾を剥ぎ。
隠匿の理を断て。』
『――遍く世界を見渡し。
万象の座標を定めよ。』
『我が鉄筒が穿つは――。
視界すら超越する、必中の流星。』
『定めよ――。
逃れ得ぬ射線を描く、絶対の弾丸。』
『捉え――。
全ての距離を、零へ還せ。』
イザベラの表情から笑みが消えた。
(五節詠唱……!?)
(フィオナの領域の中で……!?)
(そんな長詠唱を通したっていうのぉ!?)
「フィオナぁ!!」
叫ぶ。
だが――。
もう遅い。
ガイは静かに引き金へ指をかけた。
確信を持って、笑う。
――領域魔法。
「――天測の狙撃
《ステラ・ディザスター》!!」
瞬間。
黒い月に亀裂が走った。
バキィィィィィン――!!
夜が軋む。
世界が悲鳴を上げる。
《ノクターン・カーム》が揺らぐ。
空間そのものが砕け始めた。
イザベラの瞳が見開かれる。
「まさか……!」
王国第四位。
《超狙撃》ガイ。
魔力ランクSS。総合評価SS+。
エリュシオン魔導王国最強の狙撃手。
ガイは獰猛に笑った。
「逆転の時間だ――」
静寂の世界の中。
第二の領域が産声を上げた。
――――
――
――時間は少し遡る。
西部大森林樹海。
薄暗い森の奥。
巨木が幾重にも絡み合い、
太陽の光すら地面へ届かない。
その深部。
アルトリウスは立ち止まった。
「……」
ごく微弱だが。
人の魔力痕跡。
確かに存在する。
最近まで誰かがいた。
――そんな場所。
視線を向けた先には、
巨大な樹木の根元があった。
自然の根元にしか見えない。
しかし――。
「隠蔽魔術か」
アルトリウスは目を細めた。
非常に巧妙だった。
普通の魔導士なら気付けない。
そのレベルの術式。
いや――。
それ以上かもしれない。
神剣を軽く握る。
魔力の流れを読む。
すると景色が歪んだ。
隠されていた入口が姿を現す。
「……なるほど」
――洞窟。
地下へ続いている。
迷わず足を踏み入れた。
奥へ。
さらに奥へ。
進むごとに魔力濃度が上がっていく。
壁面には無数の魔結晶。
濃い青紫。
脈動するように輝いていた。
まるで巨大な心臓の内部だ。
やがて。
開けた空間へ出た。
息を止める。
「――何だ、これは」
巨大な地下空洞。
その全域を埋め尽くすもの。
――卵。
無数の卵。
手のひらほどの大きさ。
白く濁った殻。
それらが山のように積み上げられている。
数千。
いや、数万か。
正確な数すら分からない。
洞窟全体が孵化場だった。
ドクン。
鼓動――。
アルトリウスの眉が動く。
――ドクン。
再び。
卵が脈打っている。
生きている。
しかも――。
「近いな」
――孵化が。
神剣の持ち主としての直感。
――確信に近かった。
もしこれが一斉に生まれれば。
今解放した都市群は終わる。
再び魔獣災害が始まる。
「まずいな」
静かに呟く。
規模が大きすぎる。
魔獣の繁殖など、
聞いたことがない。
だが現実に存在している。
誰かが作った。
誰かが育てている。
そして。
誰かが管理している。
アルトリウスの瞳が鋭くなる。
「破壊する」
結論は一瞬だった。
神剣へ手を伸ばす。
――解放。
王国最強だけが扱う管理者権限。
この洞窟ごと消し飛ばせば終わる。
そう判断した瞬間だった。
「何故、君がここにいるのかね?」
――声。
アルトリウスの瞳が見開かれる。
(――気付かなかった。)
戦慄にも似た感覚。
油断していたわけではない。
索敵もしていた。
周囲の魔力も読んでいた。
それでも。
現れるまで存在を認識できなかった。
ゆっくり振り返る。
そこに立っていたのは。
背広姿の男。
銀縁眼鏡。
整えられた髪。
穏やかな笑み。
時空管理局代表。
――ヴィンセント・クロムウェル提督。
「ふむ」
彼は卵の海を眺める。
まるで散歩の途中で立ち寄ったような自然さだった。
だが。
アルトリウスは理解する。
この男。
普通ではない。
周囲の空気が違う。
存在感が異質だ。
静かなのに。
まるで巨大な何かが立っているような圧迫感。
「提督」
アルトリウスは神剣から手を離さない。
「説明してもらおうか」
ヴィンセントは小さく笑った。
「説明か」
彼の視線が卵へ向く。
「さて」
「どこから話したものかな」
洞窟の奥。
無数の卵が再び脈打った。
ドクン――。
ドクン――。
まるで何かを歓迎するように。
作者( ゜Д゜):後半戦に続く
オコジョ:四章も折り返しか……。




