キャルとあの子の高等部2年
あ───クソ……
ちゃんとクラス分けの名簿を見ればよかった。
高等部2年になり新しい教室に入って最初に思ったのはそんなことだった。
新しい学年に上がる前になると学園から新クラスの名簿が各家に届けられる。
高位貴族の子女たるもの、事前にクラスの名簿をチェックし、新しく転入してくる貴族、出ていく貴族を把握しておくものだ。
しかし今回はしなかった。
どうせ高位貴族のクラスだし、高等部2年ともなれば顔ぶれはほぼ変わりがない。
そう思って後回しにしている内に新学期が始まった。
(まあ、いいか。)
どうせ新しい顔は誰かしらが紹介してくれる。
誰もが俺に話しかけるきっかけを虎視眈々とねらっているんだから。
だが油断した時に限っていつもと違うことが起きるものだ。
教室に入るとすぐにど真ん中でドッカと座っているニックが見えた。
ニックのそばに歩いて行き、軽い挨拶を交わす。
そこまでは良かった。
(は?)
いつも通りの新学期の始まりのはずだったんだ。
(え?……ええ?)
だからこそ視界の隅に映った光景が信じられない。
動揺を隠し平静を装いながら、ニックと会話を交わしながらも頭の中は大混乱だ。
(おい待て待て!待ってくれよ!)
誰に何を待ってもらうと言うのか。
そんな正論なんて浮かばないくらい思考力が限界だった。
(本物?)
いやもう、まずは落ち着けよ俺。
サナリス伯爵家の一員たるもの、こんな公の場で誰にも動揺を悟られるな。
自分を律するんだ。
なのに遠くで立ち上がった小さな音を素早く俺の耳が拾う。
(嘘だろ?なんで?)
知らぬ内に神経を研ぎ澄ませていた。
(同じ教室に……)
歩き出す気配にわずかに体が緊張で固くなる。
(あの子がいる……)
ジャクリーン=フルート=カザン準男爵令嬢が、自分の遠く後ろを通り過ぎる小さい足音を感じると、ドッドッドッと心臓が激しく鳴り出した。
そんな俺をよそにあの子の気配は教室の外に消えて行った。
「キャルよ。確かに顔ぶれは変わらないとはいえ、名簿をみてこないと言うのもどうなんだ。」
笑いながらニックが言う。
名前を呼ばれハッとなる。
ああ俺は気が動転しながらもニックとちゃんと会話していた。
実のない話をペラペラ話すのが得意で良かった。
動揺は気付かれていない。
「というか座れよ。」
いつまで突っ立ってるんだ、とニックが自分の横の席を顎でしゃくった。
「高位貴族での出入りはなかったんだろう?」
誤魔化すようにできるだけ素っ気なく言いながらニックの隣に座る。
「そうだな。下位貴族のクラスから数人入ってきて、数人出ていったくらいだな。クラス全体の人数はあんまり変わらん。」
「毎度のことだ。」
2人で笑う。
少しするとバールも登校して来て、その後すぐあの子も教室に戻ってきて、元のいた所に着席した。
そうして鐘が鳴った。
教室に教師が入ってきて話し出しても耳にまったく入ってこない。
あの子は教室の隅の後ろの方に座っていた。
さっきはニックに突っ立って話していたから視界に入っていたけれど、前を向いて座ってしまえば姿を見ることは難しかった。
席は自由だ。
今度からはもっと後ろに座ろう
俺の視界にあの子の姿がいつも入るように
あの子と念願の同じクラスになって2ヶ月近く経とうとしていた。
だというのに全く接点はない。
あの子が話しかけてくれるなんて事あるわけもなければ、こちらをチラリとも見る事もない。
もちろん目が合うこともない。
これじゃあ1年の時と変わらないじゃないか。
とはいえ、凛とした真面目なあの子に話しかける勇気もきっかけもなかった。
そう思ってくすぶっていた頃だった。
ランチをした男爵令嬢が随分憤慨して聞かせてくれた話があった。
「本当に下品極まりないですわ!こちらは想いを伝えて下さったのだからと、お断りしたとはいえ誠実にお返事をしたと言うのに「告白ごっこに決まってるだろう!」って言われたのですよ!人の気持ちを何だと思っていらっしゃるのかしら!」
告白ごっこ?
初めて聞いた言葉だった。
「平民の学校で流行っているという話は知ってましたが、まさか貴族学園でもやる方がいるだなんて!」
相手は今年叙爵したという準男爵令息だった。
確かに随分低俗な遊びだ。
ご令嬢を宥めつつ、令息の告白自体は本当だったんだろうか。そうなら貴族令嬢に振られたのが居た堪れなかったんだろうな、とは思う。
振られて逆恨みする者はたまにいる……ただ平民の学校ならともかく貴族学園でこれは良くない。
学生の恋愛のいざこざはお目溢しもらえるものだけれど、こういう美しくないやり方は嫌う貴族は多い。
準男爵は貴族ではないから多少は仕方ないが、平民でもないのだから学生とはいえ貴族社会に馴染んでいかなければ痛い目にあう。
そこでフッとよくない考えが頭をよぎった。
(……告白ごっこって言わなければいいのでは?)
言うからダメなのだ。下品なのだ。
(だから……ごっこだって知られなければ問題ないんじゃないか?)
どう考えてもあの子は脈なしだ。
お断りされている場面しか思い浮かばない。
貴族が、貴族でもない令嬢に、袖にされる。
そんな事になれば貴族の体面などあったものではない。
そしてそう思っているのはきっと俺だけじゃない。
みんなそう思って断られるのが怖くて結局遠くから見てるだけなんだ。
ゆえに誰も婚約者の有無すら知らない。
結果誰も口説けない。
堂々巡りだ。
そもそも俺が、だ。
準男爵の真面目な脈なしのあの子にわざわざ接近し口説くのは、恋愛してますよと言っているようなものだ。
さんざん馬鹿にしていた、1人への執着。
あれだけ言っておいて、これは格好悪い。
しかも振られてみろ。
目も当てられない。
でもごっこを建前にすれば、こっそりとあの子に話しかけることができる。
バールとニックもきっと乗ってくるに違いない。
だから……あの子にごっこだって知られなければ……
仲間内だけでごっこというのを周知していれば、準男爵の彼女に俺が振られたとしても……体裁が保てるんじゃないか?
きっかけさえあれば……最初の一歩さえ踏み出せる……!




