ニックとジャッキー
─ニック─
一限目が終わる鐘がなった。
教師が出ていく。
はあ
俺は手を見つめた。
もう帰っただろうな。
そんなことを思っていると声がかけられた。
「ジャッキーと一緒に教室に来るのかと思っていたよ。」
軽い調子で言っているが、目は笑っていない。
どうやら朝一緒に居るところを見ていたらしい。
割って入って来なかったのは、見栄が邪魔したのか。
どうせ後で会えると楽観的に思っていたからか。
初めてキャルに少しの優越感を感じた。
仕方ないだろ。
先越されてずっと悔しい思いをしてたんだ。
「何の話だ?」
わざととぼける。
ス、とキャルの顔から表情が消えた。
「お前、朝一緒にいただろう?」
言葉の調子だけが軽い。
「俺よりお前の方が知ってるんじゃねえの?」
キャルは表情がないまま黙った。
……もういいか。虚しいだけだ。
「ジャッキーとはすぐ別れたよ。」
ヒュッ
言った刹那俺の息が止まった。
キーンと音がするほど空気が冷え込む。
身体中を寒気が一気に走り抜けた。
「誰の許しでその名を呼んでいる?」
掠れた声が地を這うように低く響く。
グリーングレーの瞳には剣呑なものが宿り、睨まれた俺は動けない。
吹き出すような殺気に俺の喉は一気にカラカラだ。
俺は無理やり唾を飲み込んだ。
必死にいつも通りを装う。
「本人に許可をもらったに決まっているだろ。」
「嘘をつくな」
間髪入れずに刺すように言い放つ。
言い返さねばと思うのに、またカラカラと乾いた喉が次の語を紡ぐことを拒否している。
すっかり冷え込んだ足先はおぼつかなくなりそうだった。
「よせ、キャル。ニック。教室だぞ。」
バールがいつの間にかそばに来ており、こそっと囁いた。
周りに目を配ると、キャルの殺気のせいだろう。
教室にいる者たちは緊張感を持ってこちらを見ていた。
誰も喋らない、喋れない。
キャルは怒りに任せたように勢いよく踵を返した。
教室を出て行くと姿が見えなくなる。
途端にどっと空気が緩んだ。
俺はどかっと背もたれに体を預けて座った。
ヒュー…………
すっっっっげえ殺気!
有名な国の武人。軍神と呼ばれた人が、あいつのひい祖父さんだ。
そのじいさんに懐いてただけあって、キャルは普段こそ軽い雰囲気だが、緊張感がある場面では凍りつくような雰囲気を醸し出す。
「よしてくれ、ニック。キャルを怒らせるなら他でやってくれよ。」
そばにいたバールが俺はごめんだとでもいうように両手を広げて大仰な仕草をとった。
「しかもジャクリーン嬢の事なんて冗談にならない。わかるだろう?」
わかってるよ。
アイツがジャッキーに本気なことくらいは。
でも俺だって失恋したばかりなんだ。
これくらい言わせてもらわなければ割が合わない。
そこでふと思い立つ。
……いや、そうか……
アイツも失恋するのか。
いや、もうしてるのか?
(ジャッキーはもう帰ると言っていたし、鉢合わせはしないだろうとは思うが。)
万が一鉢合わせて面と向かって振られようものなら……あいつどうなるんだ?
くくっと押し殺したように笑ってしまった。
結局初めての告白で大失恋か。
しかも揃いも揃って
同じ令嬢に
苦いものだな
─ジャッキー─
ニック様と別れた後、ようやく図書館にたどり着いた。
この短い距離の間にいろんなことがあった。
令嬢たちに取り囲まれて罵倒されるだなんて、自分の身の上に起きるとは思わなかったわ。
でも、変な噂がたっている事は両親に言わなくてはね。
そんな事を考えながら図書館の扉を開ける。
入ればすぐに階段がある。
もうここを上ることはない。
脇を抜ける。
(友達第一号……)
思い出してふふっと笑う。
たしかにまったく友人なんてできなかったけれども。
あんな百戦錬磨の女好きの彼でも話しかけづらかっただなんて、私どれ程浮いていたのかしら。
……いいえ違うわね。
それは壁の向こうの彼だ。
実際に話した彼は騎士らしい気持ちのいい性格をしていた。
ごっこの事も一切の言い訳もせず、謝ってくれた。
本当は盗み聞きしていた私が謝罪すべきなのに一言も責めなかった。
きっと話してみないとわからなかった。
だからだろう。
誰にも言う気はなかったのに、ニック様にはつい言ってしまった。
今日で学園を自主退学すること。
リラ国を出てパタヂャカの学校に通うことを。
誠実に告白をしてくれたニック様にいい加減なことを言うのが嫌だった。
今日は父親と一緒に学園に来ている。
学園を退学するための手続きを整えるため。
それと、図書の先生に引き継ぎと挨拶に。
2週間ぶりの図書館。
事情を話せば先生は学園を去る事を惜しんでくれた。
図書の修復をどこまでやったかを引き継ぎし、修復のやり方を教えていただいたにも関わらず途中で投げ出すことになってしまったことを先生に詫びた。
体を随分心配してもらったというのに、あの日家まで送ってくれたお礼は声が震えそうになって言えなかった。
考えたくない事が頭をよぎりそうになり、払う様にかぶりを振った。
あの日はドッと脱力感に見舞われ立つ元気もなくなっていた。
夜は熱を出し、回復してもなお力が出ず部屋にこもりがちになった。
心配した母親に申し出た私の願い。
それは、リラ国を出てパタヂャカの学校に通うことだった。
あっさり「わかったわ」と言った後の母親の行動力は凄まじく、まだパタヂャカに出した手紙の返事も返っていないというのに、あっという間に学園とも話を通してしまい、今に至る。
貴族じゃないから簡単だった、というのが大きいのだろうけど……
パタヂャカの返事もないのに大丈夫なのかと問えば
「パタヂャカでの色々はあなたのお祖母様が黒でも白にしてくれるから大丈夫よ」というたくましいお言葉ももらえた。
リラ国とパタヂャカは国交がないため、留学にはならないと言われ、退学になったが、別にそれでよかった。
「お祖母様はずっと言っていたものね。あなたにはパタヂャカの学校の方が合うって。」
パタヂャカでは、高等部の上に学院がある。
そこは男女身分関係なく進学できる。
リラ国にもあるけれども、進学できるのは貴族の男性だけだ。
だけれどもまさか高等部からくるとは思っていないと思うのだけれど……
「ちゃんとねじ込んでくれるわよ。」とはお母様の弁。
ねじ込む……
こんな決断をした私にお父様もお母様も何も言わなかった。
私は図書館を出た。
少し歩いて、図書館を振り返る。
立派な図書館。
長い歴史を刻んだ佇まいが好きだった。
すすんで図書委員になったというのに途中で投げ出してしまった。
少し苦笑する。
投げ出したのは委員だけじゃないか……
風がうなるように吹いた。
木々を揺さぶる。
さあもう行こう。
父親も待っているかもしれない。
そう思った時だった。
名前を呼ばれた。
ずっと考えないようにしていた
私の耳に心地よく響く
掠れた声で。




