デパージ子爵令息 ニコライの事情
「お前らにも見せてやりたかったよ。俺に縋り付いて目に涙を滲ませながら純潔を散らした真面目令嬢の顔を。」
キャルの生々しい言い様に俺は唇を噛み締め下を向いた。
悔しくて?
んな訳ねぇだろ!
笑いをこらえていたからだ!!
俺はちらりと壁の上部に目をやる。
よしよしよし
ちゃんと窓が開いている。
馬鹿なキャルめ。
俺の煽りに乗って乗って、いつもの調子でついに下卑たことを言い出したぞ!
ジャクリーン嬢が全部聞いているとも知らないで、ザマアミロ!
お前の話が本当か嘘かは知らんが……ま、どっちでもいいか。
俺は気にしない。
彼女は俺がもらおう。
元はと言えばお前が先に抜け駆けしたんだぜ。
だってさ……
俺だってさ
彼女が入学してきてからずっとずっと好きだったんだ
俺がその壁の窓の事を知ったのは、たまたまだった。
キャルは先生に呼び出され、バールは生徒会に寄ると言って、放課後の図書館に2人して遅れると言われた日だった。
その日の俺は前日にあった下位貴族の夜会でちょいと遊びが過ぎてしまい学生だと言うのに午前様まで楽しんでしまって少し眠かった。
先に図書館に行って寝ていよう。
下位貴族のパーティーはキャルもバールもいないから令嬢が選びたい放題で楽しいんだよな。
そんな事を思いながら大あくびをひとつ。
ダラダラ図書館に向かって歩く。
そこで見えたのはジャクリーン嬢の背中。
黒髪の令嬢は彼女しかいないからすぐわかる。
図書委員か。
何となく前を行く彼女の後を遠くから追う形で図書館に向かう。
彼女は全く俺に気付かない。
フン
今更だ。
ずっとそうだっての。
彼女の目に俺が留まることはない。
俺だけじゃない。皆そうだ。
(なのに今は違うってのが腹が立つんだよなあ)
実際キャルのやつは上手くやりやがった。
彼女が入学してきた時、男は皆ざわめいた。
神秘的な黒い髪。
遠くからでもわかる滑らかな白い肌に、際立つような赤い唇は官能的だ。
彼女のまとう静けさに、高貴さに、俺はどうしても話しかけることができなかった。
そんなジャクリーン嬢がお付き合いを了承するなんて誰も思わんだろ?
しかもあの軽薄なキャルだぞ。
そう思えるほどに彼女は清廉で……その佇まいが俺は好きだった。
(俺らが自分の噂話をしてるなんて、想像もしねぇんだろうな)
後ろ姿を眺めながらそんな事を考える。
図書館は入ってすぐ階段がある。
その脇を抜けていけば扉があり、一階の図書の部屋になる。
彼女が行くのはそっち。
俺らの溜まり場は二階だ。
ジャクリーン嬢が図書館に入って行ったあとしばらくして俺も図書館に到着する。
階段を上ろうとして二階に気配を感じた。
あれっと階段を見上げれば人影が一瞬見えた。
が、それは階段の奥にすぐに見えなくなる。
「は?」
思わず声に出た。
ちょい待て。
(今二階に人いたよな……?)
息が止まった。
(頃合で言えば絶対…………)
ジャクリーン嬢……だよな?
「はぁぁ?!」
ようやく息を吸い込むと控えめに叫んだ。
頭を抱えると座り込む。
まるで安い一人芝居だ。
でもだからと言ってやめられない。
見間違いか?
その可能性も捨てられない。
なんせ一瞬しか見えなかったんだ。
その日のゲームは上の空。
(この壁の向こうは書庫だよな)
居るのか?
そう思い、なんとなく壁を見上げた。
ん?
天井近くに窓があった。
書庫に窓なんかないと思い込んでたが。
少し開いてる………
「おい?お前の番だぞ?」
キャルに言われてハッとした。
「あ、ああ、すまんすまん。」
「眠そうだな…そういえば昨日は下位貴族の令嬢達と随分お楽しみだったらしいじゃないか。聞かせろよ、ニック。」
「そうなのかい?そんな寝不足になるほどだなんて、相当な武勇伝があるんじゃないのかい?」
やめろ!!
ジャクリーン嬢が聞いてるってのに!!
…………
……あん……?
自分の考えに驚いた。
…………聞いてるだって?
「どうしたんだ、ニック。本当にボーっとしてるな。」
「……ああ……」
適当な返事しか返せない。
もう俺は一つの事しか考えられなくなっていた。
今日だけか?毎日?
どうしても気になった。
そこで俺は次の日、午後の授業をサボり、ジャクリーン嬢よりも早く図書館に行き、隠れて待ち伏せする。
ジャクリーン嬢が図書館にやって来るとこっそり後から俺も入る。
ジャクリーン嬢は一度は図書の部屋に行ったものの、すぐに出て来て二階に上がり書庫の部屋に入って行った。
手慣れた様子に確信する。
やっぱりそうだ!
いつからかなんてわからない。
でもジャクリーン嬢は壁の向こうで俺たちの話を聞いている!
あれだけ毎日茶化して話してるんだ。
真面目令嬢ってあだ名までつけて。
普通気付くだろ。
キャルの告白は嘘だと。
……でもそれなら尚更どうして交際が続くんだ?
それだけがわからなかったが、後から合点がいった。
『カザン準男爵家はずっと平民向けの商店を営んでいたが、事業を広げて貴族向けの商品も扱う準備をしてるらしい』
下位の貴族のパーティーでそんな噂を耳にした。
それだ。
ジャクリーン嬢は俺たちの不興を買わないようにしているんだ。
学園での俺たちの影響力といえばかなりのものだ。
だからこそ俺たちも普段から発言には特に気をつけていた。
そんな俺たちに罰ゲームの標的にされて準男爵令嬢が何ができるってんだ。
そこで思う事はひとつ。
だったら俺でもお付き合いを了承してくれてたんじゃねえの?
悔しさが募る。
いいや。今からでも……
そこからはとにかくキャルからジャクリーン嬢との事を聞き出した。
ベラベラと本当か嘘かわからない話を喋るキャルを見て内心ほくそ笑んだ。
これを全部聞いてんだよな。
上機嫌に思うものの、どうしてもジャクリーン嬢には消極的になってしまう。
闇雲に何かやるよりはキャルに自爆してもらう方が手っ取り早く失敗がない気がした。
調子のいいキャルがその内決定的な失言をするのは目に見えている。
俺は待つだけ。
そしてついに失言をした。
「つい、口付けをしてしまった。」
飛び上がりそうになった。
こんな事をベラベラ話されて怒らない令嬢なんていねぇだろ?!
真面目なジャクリーン嬢なら余計にだ!
とうとう2人は終わったと思った。
ただ残念なのはその後すぐ長期休暇に入ってしまったこと。
この間貴族の仲間入りした彼女は社交界デビューをしていない。
パーティーで会う事もないから、付け入る隙がいくらあっても新学期を待たなければいけない。
思わず歯噛みしたくなる状況。
結局どうしようもなく、焦って変な事をするくらいならと大人しく新学期を待つことにした。
新学期が始まれば、告白ごっこなんて幼稚な遊びをした事を謝ろう。
そして誠意を持って好きだと伝えるんだ。
俺たちは下位貴族同士。
彼女も気負わず付き合えるだろうし、俺も彼女だけをきっと大事にすると誓おう。
「ジャッキーと夏の課題を一緒にやる約束をしてさ。図書館に招待したんだよ。」
長期休暇入ってすぐの王城でのパーティーで会ったキャルが呑気に言った。
てっきりもうお付き合いは終わったと思い込んでいた俺は驚いた。
ジャクリーン嬢は断らなかったのか。断れなかったのか。
当然キャルも長期休暇中はジャクリーン嬢と会う機会がないと思っていたのに。
ふん……ま、今だけだ。
キャルが振られるのも時間の問題。
もしジャクリーン嬢言い出せないでいるのなら俺から言ってやってもいいしな。
俺は気を取り直し余裕綽々な態度でいた。
そうして夏の長期休暇も終わりに近付いていたある日のことだった。
とある令嬢に話しかけられた。
「キャドウェル様が準男爵令嬢と深い仲だって話は本当ですか。」
はあぁ?
どうやらサナリス伯爵家の丘の上の別邸にジャクリーン嬢がよく出入りしていると下位の貴族令嬢の間で噂になっているらしい。
よく出入りしているだと?
思っていた展開と違いすぎねぇ?
「別にキャルが令嬢達と楽しむのは今更だろ?」
悔しさを隠して俺は大した話じゃないという態度をとったのに、令嬢は空気も読まず力強く反論した。
学園と王都の街以外で令嬢達と会うことはなかったキャルが別邸といえど自宅に令嬢を招いている。
「こんなこと今までなかったのに!」
知るかよ!
そりゃジャクリーン嬢なら自宅に連れ込みたくもなるだろうよ!
あ──!イライラする!
腹立ち紛れについ魔が差した。
「カザン準男爵家が事業を拡大させるのを聞きつけたキャルが一肌脱いでやると戯れに真面目な令嬢に近付いたんだ。彼女はキャルの事好きでもないのに気の毒にな。」
令嬢は驚いた顔をしていた。
その顔を見て少し溜飲が下がる。
俺はふんと鼻を鳴らした。
あながち間違ってないだろ?
その後すぐ始まった新学期。
さーてどんくらい噂が広まったかな。
心が弾んだ。
キャルを放課後のゲームに誘って最後の一押しを目論んだ。
それが予想以上の成果をあげたってわけだ。
今こそ俺の出番。
キャルに愛想を尽かした彼女に、俺は謝罪して、寄り添って、機を見て、告白をする。
そう意気込んだ。
だが目の前の事しか考えず、策を弄して、これですべてうまく行くと信じ込んでいた俺はただの愚か者だ。
自分のことで頭がいっぱいで彼女の気持ちも立場も、考えてなんてなかったんだから。




