キャルと責任
雨の気配にはっと目を覚ました。
窓の外を見れば音もなく霧雨が降りだしていた。
(どのくらい眠っていた?)
日の傾きがわからず時間が読めない。
でもおそらく少しまどろんだ位だろう。
背中に若干の肌寒さを感じる。
背中だけに感じるのはシーツにくるまって横向きに眠っているジャッキーを背後からガッチリ抱きしめているからだ。
そろりと腕を解いて顔を覗き込む。
スウスウと寝息を立ててよく眠っていてホッとする。
体の底から愛しさが込み上げてくる。
ちゅ、と眠っているまぶたに口付けた。
俺はキョロキョロと辺りを見回して服を探す。
思いもよらぬところにあったトラウザーに少し笑いながら拾い上げて履いた。
ぶん投げた覚えはないんだが……いやぶん投げたか?
ベッドに戻るとまたジャッキーのそばにひじをついて寝転がった。
今度は顔がよく見える方に。
顔にかかった黒い髪をそっと払う。
幸せだ……
じいと顔を見つめる。
(綺麗だな。)
俺も整った顔をしていると自負しているが、ジャッキーの顔はまた別物だ。
パタヂャカの特徴を色濃く引き継ぐジャッキーの顔はこの国の顔立ちに比べて彫りが浅く、綺麗な顔に少し幼さが滲む。
愛想がいいとは言えないのにキツく感じないのはそういう所なのかもしれない。
ついと弄ぶように指先で黒いまつ毛に触れると閉じたまぶたがかすかに動いた。
くくっ
可愛い
声を押し殺して笑う。
本当に幸せだ……
こうして毎朝ジャッキーの顔を見て目覚めて、毎夜抱きしめて眠る。
そんな毎日を過ごせたらどんなにいいか。
それだけで俺はどんな困難にも立ち向かえるだろう。
彼女が横にいるだけで無敵の力が湧いてくる。
いつまででも見つめていられるな。
一日中だってこうしていたい。
コンコン
まるで起きたのを見計らったようにノックがなった。
セバスだ。
でも中に入れるわけにはいかない。
かといって無視するわけにもいかない。
渋々ベッドから出て扉に向かう。
扉を少し開けると、案の定セバスがいた。タオルと水桶と水さしをキャリーに乗せている。
全部お見通しってわけだ。
本当ならそうなる前に止めたかったんだろうが……
氷嚢を持って来た使用人が男で俺が追い返した事で出遅れたんだろう。
「ぼっちゃま、後一時間くらいでお帰りにならないと日が暮れる前にカザン準男爵邸に送り届ける事はできないかと。」
「そうか。」
そんなに経っていたか。
「後これを……」
「何だ?」
「避妊薬です。」
ギクリとした。
「……セバス……俺がそんな不誠実な男だと?きちんと責任を取る覚悟は出来ている。」
「ぼっちゃま。妊娠は枷ではありません。」
諭すような口調に内心が一気に冷えた。
できる執事の全部お見通しは、文字通り俺の頭をよぎった浅はかな考えも全部お見通しだった。
「責任という言葉を使うなら尚更です。万が一のことがあれば色々言われるのは女性の方でしょう。しかも婚約もしていない準男爵家が貴族の悪意に晒されたとて一体何ができるというのです。今は時期じゃありません。」
言葉に詰まる。
わかっている。
こんな風に繋ぎ止めておきたいだなんて俺の独りよがりの我儘だってことくらい……
「わかった。」
俺はそう返事して扉を閉めた。
彼女は純潔だった。
その事は俺を有頂天にさせると同時に不安にもさせた。
準男爵令嬢の彼女は純潔を散らされたことなどに大した意味を持っていないかもしれないと。
ただ妊娠は違う。
日に日に増すは彼女への気持ちと醜い独占欲。
この別邸で2人きりで会うようになってからはよりその思いは加速した。
このまま彼女を閉じ込めておけたらどんなにいいだろう。
学園なんて行かず、誰の目にも触れさせず、彼女の世界を俺だけにしてしまえたら。
まるで夢のような話。
しかしそれは妊娠ですべて叶う。
たったそれだけでジャッキーは誰にも取られない。
願ったり叶ったりの世界。
……わかってるさ……
それは俺だけが幸せな世界だって事くらい。
結局セバスの言うことの何もかもが正しいんだ。
ジャッキーのそばに座るとようやく目が覚めたのか、小さく声を漏らせて身じろぎする。
「ジャッキー。これだけ飲んでくれ。」
ささやくように言って少し抱き起こすと、まだろくに目も開かない彼女に口移しで薬を飲ませた。
ジャッキーの喉を鳴らす音が聞こえる。
俺は小さく息を吐く。
やるせなくなり、ぎゅうと彼女を抱きしめてからそっとベッドに戻した。
ジャッキーは重そうにしていたまぶたをまたしっかり閉じてしまった。
スゥ…とすっかり力の抜けた彼女の顔に、脱力する。
声なく少し笑う。
ああ……
俺の視線を感じて白い肌を薄紅に染め、視線から逃れようと、のけぞるように身をよじる姿はとてつもなく可愛かった。
思い出しただけで愛しくて嬉しくて気が狂いそうになる。
そうだよな
きちんと婚約を結ぶまではもう手は出さないと心に誓う。
自分だけが幸せになるんじゃ意味がない。
俺がこの先もずっとジャッキーの笑顔が見たいんだ。




