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天上の教会  作者: 氷月
12/13

10.形見

 がちゃり、とその扉を開けるのは、二度目。

 だが、しごく軽々と開いた一度目とは違い、この時はさすがの彼でもしばし、息を詰めた。


 開かれた扉の先には、簡素な寝台と書き物机、そして二人で使うのであろう食事机があるだけの部屋。

 彼に与えられた宿坊よりも二回りほど広い、殺風景な室内。


 そして、彼が出会った子供――セシェル。


 一度目とほとんど同じで、たった一つだけ違ったもの。

 それは、目の前の子供が、彼を見て目を輝かせたことだけだった。


 「アサト!」


喜色満面、といった笑みを見せるセシェルに、アサトは詰めていた息を吐く。そして、こちらもにこりと笑んで見せた。


「一週間ぶりだな、セシェル」

自身に起こったことなど、おくびにも出さない。それは、ここへ来る前に決めていたことだったけれど、その後が続かなかった。


 何を、言えばいいのだろう。

 一体、何から話をすれば。

 確かにそれも考えていたはずなのに、セシェルの笑顔に全てが吹っ飛んだ気がする。


 虚勢を張るかのように笑顔でいながら、押し黙ってしまったアサトを不審がるでもなく、セシェルはふわりと笑って言う。


「また会えてうれしいよ、アサト。あのあと、僧正様方からはアサトはもう二度と会えない、忘れなさいと言われてしまったから」

邪気のない笑みと共に告げられた言葉は、意味を考えれば十分恐ろしい物のはずだ。少なくとも、十五にもなれば、その裏の意味に気付くはず。


 だが、セシェルにはその含みが分からない。


 それもまた、セシェルの歪みだ。そう気づいたけれど、アサトはもう何も考えず、単刀直入に切り出した。


「あのな、セシェル。これが多分、最後の機会だ。選んでしまったら引き返せないだろうから、もう一度訊く。ここを、出て行きたいか?」


アサトにとっては、重い言葉。だが、以前と同じように、答える声は軽やかだった。


「世界を見たいってことだよね?勿論。アサトが連れて行ってくれるんでしょう?」


そのあまりの軽さに、思わず言葉を重ねる。

「一度ここを出たら、もう二度と帰ってこれない」

「うん」

「僧正様たちにも、二度と会えない」

「うん」

「それでも、良い?」

「いいよ」

間髪入れずに返される答えに、アサトは思わず顔をしかめた。


「お前、意味わかってんのか?」


正面からそう問うてみれば、これにはさすがのセシェルも苦笑した。


「勿論、分かってるよ。でも、アサトが前に言ってくれたでしょう?ここを出たいと思って良いって。あれから、何度も何度もその言葉を思い出して、そして考えたの。やっぱり、本だけの知識でなくて、実際を見てみたいって。そのためなら、全てなくてなっても構わないよ」

もともと、ここにわたしのものはほとんどないんだけど。


 あっさりと紡がれるその言葉には、確かにセシェルの意志が感じられた。だから、もはや何も言わず、アサトはただ、持っていた外衣を放る。


「じゃ、行こう」


自分で言っていても、あまりにも唐突で、いっそ笑えるくらいだった。だが、この言葉にもセシェルはためらわずに頷く。


「これを着れば良いの?」

「そう。時間は多分、もう残り少ない。今日、この時しか抜け出せる日はないから、何も訊かずに言う通りにしろよ」


ぞんざいなアサトの言葉に従って、セシェルは外衣を着る。もともと、簡素だがしっかりした服を着ているので、それさえ着てしまえばしばらくは旅にも耐えるだろう。


 思っていた以上に素早く身支度を整えると、セシェルはふと思いついたように、自分の髪を掴んだ。


 下ろしっぱなしにしている金茶の髪は、腰まである。

 旅装にはやや向かないかもしれない。そう思って、アサトは声をかける。


「束ねてやろうか?」

「ううん、大丈夫」

にっこり笑って首を振った、セシェルは。


 シャキン。


 どこからか取り出したはさみで、その髪を切り落とした。


 「――っ!ちょ、おい!!」

 アサトが、止める間もなかった。美しかった髪は、束になってセシェルの手に残っている。

「お前、何するんだよ!?」

女の子が、自分の髪を切るなんて――そう言いかけたアサトに、セシェルは笑う。


「形見って、言うんでしょう?」

「は?」

「その人がいなくなっても、その人を思い出すような物のことを、形見って言うんでしょう?」

言って、髪の束をくるりとひもで縛る。


「大僧正様たちに、何も言わずに出て行くから、形見くらいあっても良いかなって思って」

「形見……」


その言葉の重さと、この態度の落差は一体何だというのだろう。普通、そういう決意をしたときは、もっと悲壮感みたいなものが漂っているのではないだろうか。


 だがセシェルは、全く頓着せずに机の真ん中にただ髪の束を置く。

 そしてそれだけが、出発の準備であるらしかった。


 「じゃあ、行こうか」


それは、まるで今から散歩にでも出るような気軽さで。


「そうだな。行くか」


だから、応じるアサトの声も軽やかだった。


 切羽詰まった緊張感も、悲壮感も、自分たちには必要ないのかもしれない。

 セシェルを救わなければと思っていた使命感も、緊迫感すら、そこにはなくて。

 あったのは、この先にある期待だけだった。

 その身軽さが、アサトには何よりも嬉しかった。




 長い長い通路を通り抜け、宿坊の廊下へ。そこから外へ出て、通用門とは反対の寺院の裏手へ。

 誰に会うこともなく、薬草などを栽培している畑を抜ければ、あとは灌木しか見られない崖があるだけだ。


 この崖の前に立って、初めてセシェルの顔にためらいが浮かんだ。

「ここを下りるの?」

「そう。見た目は急斜面だけど、用心すれば大丈夫。さすがに、街道を行くわけにはいかないしな」


それでもなお不安そうなセシェルに、アサトは悪戯っぽい笑みを向ける。

「手、引いてやろうか?」

からかうような響きの言葉に、しかしセシェルは真面目に首を振った。

「ううん、やってみる。一緒に行くなら、わたしもアサトと同じことができるようにならないとね?」

「無理じゃないと思うけど、おれの行く所を良く見とけばいい。それが、上手く下りるための足場だから」


 そうして、そろそろと下りてみれば、意外にも下りるのに手間はかからなかった。中腹まで下りてしまえば、背の高い植物も増え、より下るのは簡単だ。

 そんな中で、セシェルはふと思いついた疑問を切り出した。


「そういえば、アサト、最後の機会ってどういうこと?」

唐突に出された疑問は、アサトにも想定内だった。そのために驚くことはなかったが、しかし別の質問が先と思っていたらしい。

「ああ、そっちから聞くのか。他に不思議だったことはないのか?」

自分の疑問に質問で返されたセシェルは、きょとん、と首をかしげる。


「…………特に、思いつかなかったけど……?」

「そうか、思いつかないか。成程、お前、ホントに世間知らずなのな――分かってたけどさ」

「アサト?」

「いや、まあ、そっちは追々で良いや。とりあえず、これが最後の機会だってのはそのまんま。おれ以外、お前に寺院から脱走しようなんて言う奴はいないだろ」

「確かに、そう言ってくれたのはアサトが初めてだね」

「だろ?で、さらに今日が最後ってのは――」


言いかけたアサトの言葉を遮るように、寺院からの鐘の音が届く。その音に引かれるように下りてきた崖の上を見上げ、そして言葉を続ける。


「今日は、大僧正様の生誕日だろ。あの鐘は、そのための典礼のためのものだ」

「ああ、そんな時間だね。今日で確か六十三歳になられるっておっしゃってたよ」

「そういう情報はあるんだな。まあ、大僧正様ってのは、この世で最も神に近い方だろ?その方の、年に一度の生誕日、その典礼がいかに大事なものかってことくらいは分かるか?」

「うん。寺院の全ての人が、聖堂に集まって――ああ、そっか」


ようやく納得したらしいセシェルに、アサトは笑う。


「そういう洞察力はあるんだな、お前。いまいち基準が分からんが」

言いながら、アサトは一つ決意をする。


 この、頭の回転もそれなりの速さを持つ子供を、きちんと生きて行けるようにしてやるのも、自分の仕事だな、と。


 

 『裏手の崖は、お前たちのような身の軽い子供なら、きっと下りられるだろう。そこから抜けて行くと良い』

 『旅装は、宿坊へ置いておく。自分で取って行け』

 『というか、一人分で済むと思ってたけど、もう一人分が必要だね。今から大至急で準備しないと』



 頼れる二人の友は、あの地下牢で、アサトにそう告げた。


 別にその言葉を疑っていたわけではないが、本当に自分の宿坊に必要な一式が揃っているのを見た時は、言いようのない脱力感に見舞われたものである。一体、何をどうすればこんな旅装なんてあの短期間で手に入るのだろう。

 しかも、それなりの量の旅の資金まで一緒に。


 どう考えても、さっぱり分からない。

だが、分からないままでもいいのかな、とも思う。それくらいに、彼らは自分よりも大人で、人生経験が違うのだろう。


「あの人たちに、お前を会わせたかったな」


どこまでも規格外な友人たちだった。彼らが、セシェルと会った時にどんな反応をするのか、見てみたかったと思う。


「あの人たち?」

「おれの、友人たち」

もしかすると、どこが出会えるかもしれないけど。


 そんな、予感めいた思いもある。

 「そう。わたしも、いつか会ってみたいな」

楽しげに笑うセシェルが、その予感を後押ししてくれているかのようで、アサトは同じように笑って頷いた。

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