11.彼の秘密と全ての始まり
途中から見つけた獣道をたどって行くと、その先に街道が見えた。
そこへ入っていくのはまだ危険だろうが、さてどちらへ行こう、とアサトは思案する。そこへ、何故かセシェルが手を出してきた。
「荷物、よく見たら、アサトが持ってるの二人分だよね?わたしも自分の分は自分で持つよ」
「え、いや、良いよ、これくらい。大した重さでもないし」
言いながら、アサトはまじまじと差し出された手を眺めた。
「ていうか、セシェルって意外と手が大きいのな。男のおれとそんなに変わらないじゃん」
何気なく、本当に何気なく、アサトはそう言ったのだ。なのに、返ってきたセシェルからの言葉は。
「男のおれと、って、同性のわたしとの比較でその言い方はおかしいんじゃない?」
「え――?」
紡がれた言葉の意味が分からず頭が真っ白になる。
神童と謳われたアサトにとって、初めての経験だった。
ただただ呆然とセシェルを見やる。そんな彼に何を思ったのか、セシェルはさらに言葉を重ねた。
「だって、そうでしょう?わたしも男なんだから、男のアサトと手の大きさが変わらなくても――」
「ちょっと待って」
「え?」
不思議そうに自分を眺めるセシェルを見返しながら、アサトはようやく自分の頭が回り始めたことを自覚する。そして、先程紡がれた言葉の、意味も。
「何か、色々聞き捨てならないことを聞いた気がするんだが、確認していいか?」
ごくり、と自然に喉が鳴った。
問いかけを口にすることに勇気がいるなど、これまた初めての体験である。
だが、どうやら自分の思い込みだったことを訂正するためにも、確認は必要だ。瞬時にそう決意をして、口を開く。
「セシェル、お前の性別って、男なの?」
そう問うた彼の決意のほどなどつゆ知らず、セシェルの答えはあっさりしたものだ。
「そうだよ?」
「嘘だろおおおっ?!」
絶叫、に近かったかもしれない。
「おま、お前が、男?!」
あまりに簡潔な肯定に、彼の決意などあっさり吹き飛んだ。
今は、肩の上くらいでざんばらになった金茶の髪。
すっと切れ長な形の中の、緑の瞳。
絶妙にとおった鼻筋と、その下の小ぶりの紅い唇。
どこからどう見ても“美少女”でしかない。
だが、言われてみれば、確かに少女らしい丸みには欠けるかもしれない。
あの天上の教会で、飢えるということなどは考えられないから、少女であるならもう少し丸い感じがするかも。――などというのは、あくまでも『言われてみれば』である。
最初から少女であると疑いもしなかったアサトが、驚きに真っ白になったとしても無理のないことだっただろう。
だが、セシェルには分からない。
分からないから、ただただ素直に告げた。
「わたしは男だよ。だから、大僧正様は絶望されていたんだ」
それは何故か、何の感情も感じられない、真っ平らな声だった。
まるで作り物のようなその声が、アサトを現実に引き戻す。
ただの性別の確認だけではない。それだけではない何かが、確かにその声に込められている。それに気付きはしたが、訊き返さずにはいられなかった。
「絶望?」
踏み込んではいけない場所へ、自ら踏み込んで行ってしまった気がする。
だが同時に、聴かなければならないだろう、とも思った。
その大僧正の絶望の源こそが、セシェルをあの部屋へ縛り付けていた鍵だ。
何の根拠もなく、アサトはそう思う。
だからこそ、セシェルの答えを待った。
「そう。男より女の方が、自分の血筋を繋げることは簡単でしょう?寺院に男の人はたくさんいるのだから、寺院の外に出なくても、子を産むことはできる。でも、わたしは男で、女の人のようにはいかない。だから、わたしの一族がこれ以上増えるのは多分とっても難しい」
淡々と語られる言葉が示唆する意味を考えて、アサトは思わず口を覆う。
おぞましい。
語られた言葉に対する感想は、その一言に尽きる。
本来、教えの中に男女の交わりを忌避するものはない。
むしろ、産めよ増やせよ、が教えの基本だ。
だが、それはあくまでも神に祝福された夫婦の間での話だ。
セシェルの語る言葉の中に、そんな甘い情景など欠片も入る隙はなかった。そして、何より。
「寺院の、中、なのに――っ」
僧侶は不犯だ。明確な規定があるわけではないが、全てを神に捧げるために独身を貫く。それが、寺院の不文律であるはずなのに。
「寺院の、いや、あの“天上の教会”の中だからこそ、だろうね。それに、わたしは一族の最後の一人だし」
「一族?」
あんな場所に一人きりで閉じ込められていたセシェルには、ずいぶん不釣り合いな単語だ。そう思ったアサトに、セシェルは頷く。
「そう。幼いころは母と一緒に暮らしていたんだけど、その母が亡くなってからは、わたし一人になってしまった。もともと、多産の家系ではなかったみたいだけど、とうとう、わたしの母はわたし一人しか産めなかったからね。男で、外に出られないわたしが子を生すのは、さっきも言ったようにちょっと難しいよね」
そこで、何故笑えるのか、アサトには分からない。
淡々と語られたセシェルの生い立ちは、具体的なことが何一つわからないのに、仄暗い色を持つ。
ただ、想像以上に寺院の闇と繋がっていることだけは、嫌というほどアサトにも分かった。
そしてアサトは、その闇の正体を知らなければならない。
それが、セシェルをあの場所から連れ出した、アサトの責任だろう。
「何で、そんなに一族の血を繋げることにこだわるんだ?」
「わたしたちが、寺院の要だから」
簡潔な答えを放つと、セシェルは一つ息をついた。
そして、語り出す。
「教えを創り出した始祖にはね、一人の女性がいつも側にいたそうだよ。他の人とは違う、呪いを操る力を持っていたらしい。彼女は、始祖が天上の教会を建てると、そこで双子を産んだんだって。そして、その子たちにまじないをかけた」
「まじない?」
「そう。正確には、その子たちから脈々と受け継がれるその血筋へと、かけられたらしいけどね。今のこの世界は、寺院が世界の規範である、ていうのが絶対の理でしょう?それはね、彼女の血を受け継ぐ者たちが、あの場所にいる限り崩れない、と彼女がまじないをかけたからだよ」
語られた壮大な話に、アサトは息を呑むしかない。
できることならば、嘘だと言いたかった。
だが、喉が干上がったかのように言葉が出ない。
セシェルはなおも続ける。
「初めて会った時、わたしがあの場所を出ることは許されてないって言ったら、アサトは誰にだって言ったよね。ごめん、本当はあの時、わたしは答えを知ってた。そう定めたのは他でもない、わたしの祖先だよ」
全てを統べる、天上の教会。
その栄華は全て、七百年以上も昔にかけられたまじないゆえ。
聞かされた話は、とてもではないが信じられるものではなかった。
だが、重要なのはアサトが信じるかどうかではない。また、その話が真実かどうかですらない。
重要なのは、大僧正たちが、それを信じているかどうかだ。
「お前の一族が、あの場世にいることで、寺院は世界を治められていた」
真実はどうであれ、大僧正たちはそれを信じているだろう。だからこそ、あれほど厳重に閉じ込められていたのだ。
「そのお前が、逃げ出した」
今ごろ、それに気付かれているかもしれない。
そして。
「逃げ出したお前を、そのままにする、か?」
答えは、否だ。
きっと、草の根分けてでも探し出す。そうに決まっている。
それに気付いて、アサトは真っ青になった。
「おれを捕まえる以上に、真剣な追手がかかるに決まってるじゃないか!!」
悠長に構えている暇はない。
今後どうするか、どこへ逃げるか。その思案は、足を動かしながらするしかない。
そう決めて、走り出そうとしたアサトに、セシェルは静かに問う。
「それが分かっても、わたしに一緒に行こうって言ってくれる?」
そう言ったセシェルの顔には、見覚えがあった。
何の期待もしていない、顔。
初めて会った時に、見せた顔だ。
そして、その顔にどうしようもなく苛立ったことを思い出す。
自分と変わらない歳の子供が、どうして夢も希望も、持つことすら考えつかないような顔をしなければならないのか、と。
そんなのは許せないと、そう、思ったのだ。
だから、言う。
「言うよ。決まってるだろ。おれと一緒に行こう」
どれほど重い決断であっても、軽々と乗り越えてみせよう。
一人なら無理でも、二人一緒なら、それができる気がする。
そう思って笑うアサトに、セシェルもまた、花が開くように笑った。
「うん。一緒に、行こう」
それは、アサトが初めて見る、セシェルの歳相応の子供らしい笑みだった。
そうして、二人の少年は走り出す。
先の道のりも、二人ならば、絶望することはないだろう。
そんな、確信と共に。
それが、全ての始まりだった。




