9.友
禁忌の扉。
その奥にいた、子供。
セシェル。
『アサトと一緒にここを出て、世界中の色んなものを見てみたい』
鮮やかによみがえる笑顔に、自分の至らなさを思い知る。自分が処刑されてしまったら、誰があの子を外に連れ出してやるんだろう。
僧正たちを問い詰めるなんて、結局は自己満足でしかなかった。そのことに思い至っても、もうできることなどないに等しい。
「アサト?」
まだ自分を思ってくれていると分かる、友の声がする。それが分かるからこそ、アサトはうつむくしかない。
「…………言えないよ……」
言えば、彼らにまで累が及ぶ。彼らまで、殺すわけにはいかない。
「アサト」
顔を見れば、あの子を自分の代わりに救ってと言ってしまいそうだから、うつむいたまま促すようなメイユの声だけ聴く。そして、首を振る。
「メイユが言ったように、あの扉の奥は禁忌だったんだ。おれは考えなしに突撃したけど、おれが見たものを二人に喋ったら、二人も断罪されるよ。だから、言えな――」
「アサト」
ぴしゃりと、怒りを含んだキースの声がアサトの言葉を遮った。そしてさっきのメイユと同じように、頭を掴んで持ち上げられる。
「君は、わたしの怒りを再燃させたいのか?」
「だって!」
「キース、もう一回拳骨を落とした方が効くかもしれんぞ?」
「え、ちょ、メイユ、ひどい!」
「どこがだ。子供のくせに、何を格好つけて一人で抱え込もうとしているんだ。前におれが言ったことを忘れたのか?」
『おれかキースをきちんと頼れ』
確かに、メイユはそう言ってくれた。子供なのだから、大人である自分たちを頼れ、と。
でも。
「だって、頼って、二人まで処刑されたら、おれはどうすればいいだよ?!」
「心配しなくても、その時はお前も死んでるだろ」
「そういう問題じゃない!」
叫んだ拍子に、ぽろりと涙がこぼれた。そのことに、誰よりもアサト自身が驚く。そして、ひとたび流れてしまえば、あとは溢れるだけだった。
「あーあ、泣かせたな、メイユ」
「自分の手に余るものを抱え込もうとするからだ、馬鹿者」
そんなことを言いながら、二人は左右から彼の背を撫ぜる。自分のものよりも大きな二人の掌が、ひどく羨ましい。
「な、んでっ……そ…んな……っに……」
ぼろぼろと、みっともなく泣くしかできない自分は、どうしようもなく子供で。こんなことになる前に、それをもっとしっかり思い知ることができれば良かったのにと思う。もしくは、もっと思慮分別のある大人に、自分がなっていられれば。
「わたしも、メイユも、君のことを大事に思ってるからだよ。神童なんて言われても、今まできっと、嫌なものをいっぱい見て来ただろう?それでもひねくれずに、素直で、真面目で、そしてたゆまず努力してきた君を、心から尊敬している。そうだな、わたしたちにとって、君は弟みたいなものなんだよ」
自分の心の中の後悔まで、残らず押し流すように二人は寄り添ってくれていた。その温かさが、一人の人を思い出す。
「そんなふうに言ってくれたのは、僧正様以来だよ」
「僧正様?」
「おれの、育ての親。もう、亡くなられたけど」
「…………それが、お前の厭世の原因か」
珍しく、言いよどんだメイユに、アサトは軽く笑った。
「そうだね。聞いてくれる?」
もうすぐいなくなる自分の代わりに、二人の友に覚えておいてもらいたかった。自分の尊敬する人のことを。
「おれは、生まれてすぐに寺院の外に捨てられてた孤児でさ。拾って、僧侶にしてくださったのが、僧正様、なんだ」
それは、どこにでもよくある話。おそらく、下級僧侶の大半が同じ身の上だ。
「僧正様は、すごく敬虔な方で、おれはあんなにも神の教えに忠実だった僧侶を見たことがない。天上の教会の僧侶だって、あそこまで真摯じゃないよ」
そんな人が信じているから、自分も一途に寺院の教えを信じていられた。そんな、平和で穏やかな日々。今は、ずいぶんと遠い日々だ。
「二年前に、戦争があってさ」
それは、ある村の領主権を争う、小さな紛争だった。中央部から外れた地方であれば、珍しくない規模の、地域紛争。
そこへどういうわけか寺院が介入し、それで一気に宗教戦争の色を帯びた。そして、僧正様も、それに駆り出されていった。
「戦争に向かわれて、毎日毎日ご無事でお帰りになられますように、って祈ったけど、でも、きっと大丈夫だと思ってた。だって、おれは、あの方よりも立派な僧侶なんて見たことなかったから。神様が見捨てるはずないって、思ってた。でも」
思い出そうとしても、赤い記憶しか残っていない。いつも纏っていた赤の衣と同じ色に、手も、足も、顔も、全て染まっていたことしか。
「あの時、おれは思い知ったんだ。この世に神なんていないって。だから、神の声を聞いたっていう始祖は、きっとペテン師だ」
純粋であったがゆえに、深く絶望に染まったであろう少年を、青年たちは悼む。もはや、その死の記憶だけでは涙も流せない、少年を。
「だから、お前はそんなに死に急ぐのか」
ぽつりとそう言われて、アサトは目を丸くする。
「え、死に急いでるように、見える?」
「見えるな。寺院の禁忌に触れるのも、知識を貪欲に求めるのも、どちらも根本は同じじゃないのか。神や寺院に絶望することは、世界に絶望することだから」
言われて初めて、そうかもしれないと思った。寺院が縛り付けているこの世界は、絶望してしまった自分には、窮屈でたまらなかった。
そして、気付いた。
『一緒に世界を見に行こう』
セシェルに、そう言った言葉は、自分の願望でもあったのだと。
「寺院がない世界を見に行きたかったな……」
そうすれば、自分はもう少し楽に生きられたのかもしれない。
「また凄いことを言い出すね、この子は」
呆れたようなキースの声に、アサトは笑う。
「そういう世界を一緒に見に行こうって約束したけど、できなくなっちゃったから」
するりと言ってしまってから、アサトは自分の失言に気が付いた。同時に、二人も。
「人がいたのか?!」
「しかも、その言い方だと、僧侶じゃないみたいだね?」
打てば華麗に響くその優秀さが、今回ばかりは呪わしい。だがそれ以上に、自分の迂闊さを心を込めて罵りたい。
「あの、聞かなかったことに――」
「できるわけないだろ」
「するわけないじゃないか」
「…………だよね……」
「一つ話したら、全部話しても一緒だよ?」
「そうだ。それに、別におれたちがお前から聞いたと僧正方にばれなければいいのだろ?」
そんなふうに詰め寄られ、アサトに勝ち目があるはずがなかった。
「女の子が、いたんだ」
「女の子?」
「そう。扉の奥ってすごくなだらかな下り坂の廊下になってて、まるで寺院の地下に大きな屋敷が丸々一つ埋まってるみたいだった。その奥まったところにある部屋に、女の子がいたんだ。おれより一つ下の十五歳だって言ってたけど、生まれてこの方、天上の教会から出たことないって」
語られる荒唐無稽なその話に、二人はしばし押し黙る。
「寺院から出たことのない、女の子?親はいなかったのか?」
「親の話は出なかったし、なんか教育も僧正様方が請け負ってるっぽかったから、多分いないんじゃないかと思う」
「僧正様方が教育を請け負ってる?」
「そんなこと言ってたよ。知らないことは僧正様に習うんだーって」
「その子、何者?」
「本人も自分の異常さが分かってないみたい。おれも思わず同じこと訊いたけど、全然ピンときてなかったって言うか」
「地下深くに隠された女の子、か……。メイユ、何か心当たり、ある?」
「まったく、だな」
「だよねえ。わたしもさっぱりだ。で、アサトはその子と約束したの?」
「約束、というか。約束しかけたところを僧正様に見つかった、ていうのが正確な所だけど。でも、一度も外に出たことないって言うから、見せてあげたいと思って」
もう、できなくなっちゃったけど。そう言って、苦く笑うアサトに、キースはにこやかな笑みを見せ。
「約束を破るのは良くないよ、アサト」
当然のように、そう言い放った。
「…………………………………は?」
いや、だって、できないじゃん、この状況で。言葉にならないアサトの反駁を、キースとメイユは何でもないことのように笑った。
「だって、約束したのでしょ?じゃあ、ちゃんと連れてってあげなきゃ」
「というか、そもそも最初はそのつもりでここに来たんだからな」
「え、ちょっと待って、話が全然見えない」
「いやね、最初はどうにかして君を助け出すから、という話をしようと思ってたんだよ」
軽く告げられた言葉に、アサトは言葉を失う。何しろ、彼らの『助け出す』は『逃がす』と同義に聞こえたのだから。
告げられた内容に、呆然と固まるアサトに、キースはなぜかやれやれ、とため息をついてみせる。
「きっと不安でいっぱいだろうと思っていたのに、来てみたら、まさか懲罰坊で腕立て伏せやってるとは思わなかったよ」
豪胆というか、放胆というか。そう言わんばかりのキースと同じ表情で、メイユが後を継ぐ。
「その上、憂さ晴らしに、純朴な僧侶相手に、喧嘩売らせてコテンパンに叩きのめそうとしてるのを見た日には、なあ?」
ぐうの音も出ない、とはこのことだろう。確かに心配した相手の状況として、想定外には違いない。
「さすがに、おれたちの心配はなんだったんだ、という怒りがわいてきても仕方ないよな?」
そう言い切られたところで、アサトははっと気が付く。
「待って待って待って!じゃあ、おれが最初に殴られたのって、懲罰坊でのんびりしてたからなの?!」
「当然だろう」
「他に理由が?」
「おれの反省した心、返せえええええ!!!」
思わず叫んだアサトである。遊ばれていると同時に、それが彼らの気遣いだと分かってしまうところが、始末に負えない。何しろ、先程までの重苦しい空気が綺麗さっぱり消え去っている。
だが、彼らの言っていることは、どう考えても無茶である。
「できるわけないって思ってるでしょう?」
まるでアサトの心を読んだかのように、そう言ってキースは笑う。その自信はいったいどこから来るのだろう。
「他の時期なら無理だっただろうがな、幸い、もうすぐ大僧正様の生誕祭だ」
それが狙い目だ、とメイユも笑って、アサトにその手筈を伝えたのだった。




