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天上の教会  作者: 氷月
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8.懲罰坊

 がちゃん、と錠が下りる様子を、アサトは無感動に眺めていた。鍵をかけた僧侶が忌々しそうに彼を眺めていたが、それに反応してやる義理はない。自分に一瞥もくれないアサトに、わざとらしく舌打ちすると、僧侶はそのまま立ち去って行った。


 そうすると、辺りは何の音も聞こえない。逆に耳に痛いように感じる、静寂である。


「一応あるんだな、懲罰坊」

思わず、そんなことを一人呟いてみる。


 懲罰坊、というのは何らかの戒律を犯した僧侶が入れられる場所である。犯した戒律の種類にもよるが、何日間かその場所に入れられ自分と犯した罪に向き合い、自省を促す。ただひたすら自分の内面と向き合うために、何にも遮られないような地下に造られるのが一般的だ。通常、どの寺院にもあるものだが、まさかそれが天上の教会にもあるとは思わなかった。


「ここに入れられたのも、おれが史上初だったりして」

そんなことも、考える。だいたい、ここに来るのは一点の曇りもない上級僧侶ばかりである。それが今更戒律を破ることなどするはずもない。勿論、アサトだって懲罰坊に入れられたのなど初めてである。


 とはいえ、いったん懲罰坊に入れられたのは意外だった。てっきり、そのまま処刑場へ連行されると思ったのだが。


 別に死にたいわけではなかった。

 だが、保身のために口先だけの言葉を紡ぐことはできない。セシェルの前で、レームとジェウンに見つかった時に、自分のそんな心の動きに気付いて、そして、彼は自分の命を見限ったのだ。

「いや、さすがに処刑場はないのかな」

そこまでの背教者など、さすがにいないだろう。もしかすると彼らは今頃、アサトをどう処刑するかに頭を悩ませているのかもしれない。


 そこまで考えて、しばらくこのまま放置されるかもしれない、という可能性に気付いた。そうなると、問題は。

「どうしよう……………………………………暇だ」

恐ろしいまでに豪胆なセリフを、呟く。


 死に対する恐怖がないわけではない。だが、感覚が麻痺したかのように、自分が死ぬということに実感を持てなかった。


「まあ、なるようにしかならないよな」

自身の壊れた感情を追求することもなく、そう思い切る。そうして、そのまま用意された寝台にごろりと横になった。


 しばらく後、先程鍵を閉めた僧侶がアサトのもとにやって来てみると、そこにはさっさと眠りについた少年の安らかな寝顔があるだけだった。





 驚くべきことに、それからしばらく、アサトは懲罰坊に放置されていた。

 しかも一応、食事が出る。これから処刑する人間になんて無駄なとは思ったが、もちろん文句を言わずに有り難くいただいた。


 出された食事を片付ける以外、やることはない。最初のうちこそ、神妙にしていたのだが、それもすぐに飽きてしまった。振り切って麻痺した感情は戻ってこず、相変わらず死の実感は遠いままだ。もしかすると、この空白の期間を設けることで、彼に死の恐怖から改心へとつなげさせようと図ったのかもしれないが、いい感じに壊れてしまったらしい感情は、どこまでもアサトを図太くさせた。


 結局、アサトは食事以外の時間を、体を動かすことでつぶしていた。今まで、毎日雑務で走り回っていたんである。体を動かさないとなまってしまう気がしたからだ。処刑の前に体を鍛えても無意味だとは、もう考えないことにした。


 そんなわけで、その時も腕立て伏せの限界に挑戦していたところだった。

 いつも食事を運んでくる僧侶が、憎々しげにアサトを睨んでいる。

 もう食事の時間かと思ったのだが、不思議なことに食事を載せた盆を持っていない。そのことに気付いて、さすがにアサトは息を呑んだ。


 いよいよか。

 そう思ったのに、何故か僧侶はこちらを睨むだけで、錠を開こうとしない。それが不思議で、相手の瞳を真っ向から見返すと、彼は吐き捨てるようにつぶやいた。


「背教者め」

僧侶にとっては最大の侮辱だが、アサトにとっては何ら感じることのない言葉である。そんなことは、ここに来る前から悟りきったことだ。


 だから、思わず笑った。

 それが相手の癇に障ることくらい百も承知で、でももはや取り繕うこともしなかった。


「何を笑っているっ!!」

案の定、激高した相手に、アサトははっきりと嘲りをぶつけた。

「別に。言ったって分かんないだろ、アンタには」


「お前のような背教者の汚らわしい言葉など、理解したくもない。このような歳で神の教えに逆らうなど、魔の申し子だ。それがこのように神聖な寺院にいるなど、考えるだけでもおぞましい」

疾く、去ねば良いものを。そう続ける僧侶は、どうやらアサトに下された死刑宣告を知らないらしい。それを思って、アサトはさらに笑う。


「あのさあ、もう少し独自性ってものを出してくんないと、おれとしても言い返すに忍びないよ。そんな、どっかで聞いたような言葉並べちゃって、恥ずかしくないの?仮にもアンタ、天上の教会に入った選良だろ?」

「何だと――」


 「やめておけ」

逆上して掴みかかりかけた相手に、声がかかったのはその時だった。驚いて見やれば、相手の後ろに立っていたのは、キースとメイユ。


「キース様!メイユ様!」

「…………キース、メイユ…様?!」

何で敬称がつけられるんだと言いたげなアサトをさらりと無視して、二人は言う。


「背教者の言葉になど、迷わされるな。心を強く持たねば付け入られるだけだ」

「仮にも、十五で天上の教会入りした僧侶ですよ?神童と呼ばれていた者であるならば、人の心を乱すことなどお手のものでしょう」

静かに告げられた二人の友の言葉に、アサトは何も言わなかった。


 二人の、自分に向けられる目が冷たい。それは、今まで見たこともなかったほどに。

 その冷徹な眼差しを真っ向から受けて、だがしかし、アサトの心はやはり落ち着いたままだった。


 彼らがこの場にやって来た、その意図は分からない。

 だが、どうしてか、彼らが今も自分の友であるような気がする。こんなにも冷たい目を向けられているのに、それでも、なお。


 そして、そう信じられるなら、それでいいと思った。

 自分に手を下すのが彼らであるならば、それでいい。

 そんなことを考えているアサトの目の前で、二人は興奮収まらない僧侶を言いくるめている。そして驚いたことに、僧侶は渋々ながら、錠を開けてみせた。


「ありがとうございます」

にこやかなキースに、さすがに不安げに僧侶は言う。

「本当に、宜しいのでしょうか。僧正様方からは何も伺っておりませんが」

「貴方は、何も知らなかったことにしておけば良いのです。彼を導くことができなかった、我らの罪を贖うために、我らはここへ来たのですから」

それでも渋る僧侶をなだめ、そのまま外へ追いやる。


 最後にアサトを一にらみした後、彼は大人しく踵を返す。その姿が十分に遠ざかったのを確認すると、キースはくるりとアサトに向き直った。


 あ、まずい。


 正面からその瞳を見た瞬間、アサトは直感的にそう思った。だが、次の瞬間には、頭上に衝撃が来ていた。


 がっつんっ!!!


 見事な音がして、頭上に拳が落とされ、反射的に叫ぶ。

「いっ、痛いよっ!」


「この、大馬鹿者がっ!!!」


それは、いまだかつて聞いたことのないような、悲痛なキースの声だった。


「何で、メイユの言うことを聞かなかった!こんなことになる前に、メイユは君に言っていたはずだろう?それとも、この耳は飾りか?!」

いつも温和なキースからは考えられないような形相で、耳を捻りあげられる。


「痛い痛い痛い痛い痛い!」

「何が寺院始まって以来の天才だ!神童が聞いて呆れる!」

それ、ここへ来てからよく言われるけど、おれが自分で言ったんじゃないし、という台詞を、今のキースに告げる勇気はアサトにはない。それくらい、キースの怒りは凄まじかった。


 そう、キースは怒り狂っているのだ。そしておそらく、後ろで先程から一言も声を発しないメイユも、同様に。


「なぜ、こんな馬鹿なことをしたんだ!?」


血を吐くようなキースの、声。彼は確かに怒っていた。アサトに。アサトを助けられなかった、自分に。そして、怒りながら深く深く傷ついていた。


 それに思い当たって、アサトは呆然と呟く。

「ごめんなさい」

自分が、傷つけたのだ。唐突に、それを思い知らされる。そして、それが分かってもそんな子供のような言葉しか出てこなかった。


 友だと言ってくれたのに。自分が傷つくことで、彼らもまた傷つくなんて、考えもしなかった。逆の立場だったらと考えれば、容易に想像がつくことなのに。

「考えの浅い、子供で…ごめん……」

謝りながら、うつむく。それが、傷ついている彼らを見たくないからだと思えば、自分は何て浅ましい子供なのだろう。


 すると、それまで何も言わなかったメイユが、アサトの頭を掴むと強引に顔を上げさせた。

 作り物のように秀麗な顔が、目の前にある。アサトのものと同じ漆黒の瞳は、静かに凪いでアサトを見据えていた。


 「何があった」


メイユの静かな声が、アサトの耳を打つ。


「お前は、あの禁忌の扉の奥に、何を見たんだ?」

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