第48話 「名前」
先輩の家に泊まり始めて数日経ち、
俺はこの家にも慣れてきた。
先輩の家は、俺の家より広くて、綺麗だ。
それに、リオさんは俺にくっついてきて、まるで妹のようだし、
お母さんは、優しくて明るい。
先輩は……優しいけど、ずっと俺と一緒のベッドで寝てくる。
賑やかで、楽しい家だ。
俺は普段は一人だから、
ずっと家で人と過ごすのは、久しぶりで楽しい。
……ずっとここに住みたいかもしれない──。
そんなことを考えながら、みんなで朝ご飯を食べていると、
先輩がこちらの顔を見てきた。
「な、なんですか先輩」
「君がそんな風に思ってたんだ、と思って見ただけさ」
先輩が少し微笑みながら、こちらを見ている。
「も〜、勝手に顔を見ないでくださいよ……」
「ふふ、ごめんね」
そのあとも、先輩と少し話したりしていると、
お母さんに「あら〜、仲が良いわね〜」と言われてしまった。
……少し恥ずかしい。
そして、朝ごはんを食べ終わり、
俺がリビングのソファーで座ってくつろいでいると、
お母さんが外出していった。
俺が「仕事に行くんだろうか?」と思っていると、
10分後、玄関の方から音がして見にいくと、
お母さんが両腕に三箱のダンボールを抱えながら、家へ戻ってきた。
そして、とても重そうにしている。
「あ、あら〜遊星君。ど、どうしたのかしら」
「なんか大変そうだと思って……あ、あの俺もよかったら運びますよ」
「だ……大丈夫よ〜遊星君、このくらい私一人でも……」
お母さんはそう言ったが、
汗をかいていて、とても辛そうだ。
そして、お母さんはダンボールを床に置いた。
「や、やっぱり運んでもらってもいいかしら……三箱を一気はキツいわ……」
お母さんの声は、絶え絶えになっていた。
話を聞くと、マンションの受け取りボックスを何回も往復するのが面倒くさいので、
ダンボールを一気に運ぼうとして、三箱も抱えていたらしい。
そのあと、俺が一箱持ってみると、軽く十キロを超えそうな重さだった。
……いくら面倒くさいと言っても、
これを三箱一気は、こっちの方が辛そうだ。
そんなことを思いつつ、俺はお母さんと一緒にダンボールをパントリーまで運んだ。
しかし、このダンボールには何が入っているのだろうか。
「は〜助かったわ。ありがとうね、遊星君」
「いえ、泊めさせてもらってるのでこれくらいは……」
「ふふふ、真面目なのね。そんな、遊星君にはこれを一本プレゼントしてあげる」
そう言うと、お母さんはダンボールを開けた。
そこには、コーラがぎっしりと入っている、ダンボールが入っていた。
なぜ「ダンボールの中にダンボールが?」と思っていると、
お母さんに「三箱全部コーラって周りの人にバレたら、恥ずかしいじゃない」と言われた。
俺は別に隠すようなことでもないと思ったが、
ここのマンションは高級っぽいので、
周りの目が気になるのかもしれないと、一応納得した。
「というか、この箱全部コーラなんですね……」
「そうなのよ〜。私……というか私たちコーラが大好きだから、定期的にいっぱい買うの〜。じゃあ、はい、これ」
そして、俺はお母さんからコーラを一本貰った。
「あ、ありがとうございます。お母さん」
「ふふふ、いいのよ〜お礼だもの」
そのあと、俺が貰ったコーラを冷やそうと、
冷蔵庫へ向かおうとすると、お母さんに引き止められた。
「あ、あの、なんでしょう……?」
俺がなにか失礼なことでもしてしまったかと、
恐る恐るお母さんに聞くと、
予想外の答えが返ってきた。
「私の名前、なんだと思う?」
「えっ」
そんなことを突然言われても、
俺は分からない。
「きゅ、急にどうしたんですか」
「お母さんって呼ばれるのもいいけど、名前で呼んでほしくなっちゃって。でもそのまま教えるのはつまらないでしょ? だからクイズにしたの〜」
……その瞬間、俺は改めてこう思った。
この人は先輩の親なんだと。
この、急によく分からないことを言ってくる感じは、
先輩と似ている。
「さあ、私の名前を当ててみて〜」
「ええ……」
ノーヒントで、名前が分かるわけがない。
だが、顔をよく見ると、先輩のお母さんは外国人っぽい顔だ。
気になったので、俺は聞いてみることにした。
「あ、あの……外国の人だったりしますか」
「おおっ、よく分かったわね〜実はデンマーク人なのよ」
そうだったのか。
……となると、先輩はハーフなのだろうか?
確かに、先輩の顔はハーフっぽいような……。
いや、そんなこと、今はどうでもいい。
重要なのは、お母さんはデンマーク人だということ。
つまり、名前もデンマークらしい名前の可能性が高い。
……デンマークらしい名前ってなんだ……?
俺は、そんなに外国人の名前に詳しくない。
これ以上悩んでも答えが出なさそうなので、
俺は当てずっぽうで「エミリー」と言おうとした。
すると、突然先輩がやってきた。
「あ、先輩」
「お母さんと枕木君はなにをしているのかな?」
「ふふふ、名前当てゲームよ〜」
それを聞いた先輩は、俺の方を向いてきた。
「ごめんね、枕木君。お母さんの変なゲームに付き合わせてしまって」
「ちょっとマオ〜、なによ変なゲームって」
「お、俺は別に大丈夫ですよ」
「そっか、ちなみにお母さんの名前は──」
先輩が名前を言いかけると、
お母さんが目にも映らぬ速さで、
先輩の口を塞いだ。
「ゲーム中だから教えちゃダメよマオ〜」
「むぐぐ……」
「さあ、言ってみて遊星君。チャンスは一度きりよ〜」
俺はとりあえずさっき考えていた「エミリー」と言った。
すると、しばらくお母さんが黙り、静かな時間が訪れた。
この間も、先輩は口を塞がれ、もごもごしている。
そして、しばらくしたあと、先輩のお母さんが口を開いた。
「残念っ、正解はフレイヤでした〜」
「は、はあ……」
「罰ゲームとして、遊星君には私の名前を呼んでもらいまーす」
お母さんが待つような目で、俺を見てきている。
俺は、なかなか言えなかったが、
この間もずっと先輩が口を塞がれ、もごもごしているのを見て、
早く解放してあげたいと思い、勇気を出して言った。
「ふ、フレイヤさん」
それを聞いたお母さんは、満足げな表情になった。
「ふふふ、名前を呼んでもらえて嬉しいわ〜。さて、私はコーラを冷蔵庫に入れようかな〜」
そう言うと、お母さんは先輩を解放し、
ダンボールの中のコーラを冷蔵庫に入れに行った。
解放された先輩は、深呼吸したあと、
俺に話しかけてきた。
「ありがとうね、枕木君。僕がお母さんに捕まってたから、早めに言ってくれたんだろう」
「え、なんでそれを……あっ」
「ふふ、そうだよ。いつも通り、君の顔で分かったんだ」
先輩は、とても嬉しそうにしている。
「君は優しいね、枕木君」
「い、いやそんなことは……」
「そんな優しい枕木君に一つお願いがあるんだけど、いいかな?」
先輩は顔を、少し横に傾けながらそう言った。
「な、なんですか」
「僕も名前で呼んでほしいなって。お母さんが言われているのを見たら、久しぶりに僕も言われたくなってしまったよ」
これは困った。
一度言ったとはいえ、まだ先輩の名前を呼ぶのは恥ずかしい。
しかし、先輩はまっすぐこちらを見てきて、呼ばれるのを待っている。
これは、言わないと解放してくれなさそうだ。
少し面倒くさい。
「ま……」
「ま?」
「真央先輩……」
俺は、頑張って言った。
先輩も、嬉しかったのだろうか?
口を閉じて、こちらを見てきている。
「こ、これでいいですか先輩」
俺がそう言うと、先輩は口を開いた。
「嬉しいけど、少し違うな……」
「えっ」
「前に言われた時は、もっと、ときめいたのだけれど……なんでかな。申し訳ないけど、もう一回言ってほしいな」
「えぇ……」
そのあと、俺は恥ずかしがりながらも、何回か名前を呼んだが、
先輩が満足してくれることはなかった。
先輩は、面倒くさい──。




