第39話 「宿題」
俺は今、嬉しさと面倒くささが半々だ。
それはなぜか……。
【先輩】 「よかったら、僕の家で夏休みの宿題をやらないかい?」
と、先輩からメールが届いたからだ。
先輩の家に行けるのは嬉しいが、
宿題は嫌だ。
だが、せっかく先輩の家に行けるのだし、
一人ではサボってしまう宿題も進めることができる。
俺は考えた末に、その誘いに乗ることにした。
そして当日──。
「やあ、待っていたよ枕木君」
「どうも、先輩」
「ふふっ、じゃあ僕の部屋に行こうか」
そして、先輩と一緒に先輩の部屋へ入ると、
竜崎が机の前の座布団に座っていた。
「あ、竜崎もいたんだ」
「当然ですわ」
「宿題はみんなでやった方がいいからね」
俺は先輩と二人きりでないことに少し……いや、だいぶガッカリしたが、
とりあえず、座布団の上に腰を下ろし、
机に向かった。
「僕は飲み物を取ってくるよ」
そう言うと、先輩は部屋から出ていった。
……竜崎と二人きりになってしまって気まずい。
なにを喋ればいいのだろうか。
そんなことを俺が考えていると、
竜崎は座布団に座ったまま、背中を倒し、
そのまま床と背中をくっつけ、
さらに腕を広げた。
「な、なにやってるんだ……?」
思わず、俺がそう聞くと、
返ってきた言葉は「せっかく先輩の部屋に来たのだから、先輩を多く感じようとしているだけです」
という、意味の分からないものだった。
そして、俺に返答したあと、竜崎は深呼吸を始めた。
まさか「先輩を多く感じようとしている」とはこのことだろうか?
やはり竜崎は変態だ。
……だが、竜崎の気持ちも分からなくはない。
俺だって先輩をいっぱい感じたい。
なので、俺も竜崎と同じ体勢になって、深呼吸をした。
すると、竜崎が起き上がり、話しかけてきた。
「あなた、なにをしているのかしら」
「え? お前みたいに先輩を感じてるんだよ」
「……気持ち悪いですわね」
「お前もやってただろうが!」
そして俺が竜崎と言い争っていると、
先輩がトレーに飲み物を載せて、
戻ってきた。
「ふふ、二人とも仲良しだね」
「い、いやこれは仲良しとかそういうんじゃなくて……」
俺は否定しようとしたが、面倒くさいのでやめておいた。
それはともかく、俺たちは先輩から飲み物を受け取り、
机に置いた。
「じゃあ、始めようか」
そして、勉強が始まった──。
そこに会話はほぼなく、聞こえてくるのは、
シャーペンと紙、そして飲み物の氷のカランという音だけだ。
──飽きた。
会話もないのに、俺のやる気が持つはずがない。
しかし、竜崎と先輩は俺と違って、
集中して宿題を進めている。
これが俺と先輩たちとのやる気の差なのだろうか。
思えば、竜崎はいつもテストで学年一位だし、
先輩もそうだった気がする。
俺は先輩たちとの言いようのない「差」を感じ、
勝手にいたたまれなくなって、トイレに行くと嘘をつき、
部屋から出た。
そのあと、俺はリビングのソファーでうつむきながら、
「どうして俺は……」なんてことを考えていると、
リオさんがやってきた。
「やっほー、遊星君」
「あ、あれリオさんいたんですか?」
「うん」
話を聞くと、部屋にこもっていたが、
暇だからなんとなくリビングに来たらしい。
「……遊星君、なんだか元気ないね」
「え、別にそんなことは……」
俺がそう言うと、
リオさんが俺の顔を見つめてきた。
もしや、先輩と同じで顔を見るだけで考えていることが分かってしまうのだろうか。
「……マオの真似したけどなんも分かんないや〜」
どうやら、顔を見るだけで分かるのは先輩だけらしい。
「でも、遊星君が落ち込んでるのは分かるよ」
「……大丈夫ですよリオさん。大したことじゃないです。心配しないでください」
すると、リオさんが急に自信満々な顔になった。
「ふふん、私はそんな遊星君を元気づける、いい情報を持ってるよ」
「え?」
そして、リオさんはこちらに近づいてきて、
俺の耳に顔を近づけてきて、
小声で話してきた。
「これは他の人に言ったらダメだよ遊星君」
ついに「いい情報」とやらが聞けるらしい。
あまり期待していないが、それでも直前まで来るとドキドキしてしまう。
「じゃあ、言うよ。今日のマオがつけてる下着は〜」
その言葉の衝撃で、俺は思わず、
リオさんの顔から、自分の顔を離してしまった。
「あれ、これで元気になると思ったんだけどな……」
「い、いや先輩の下着情報は刺激的すぎるし、そもそもなんで知ってるんですか!?」
「へへへ、それは秘密〜」
急に先輩の下着のことを話してくるなんて、
先輩と同じで、リオさんもよく分からない。
この姉弟は人を驚かせるのが好きなのだろうか。
「遊星君、マオの下着、気にならないの〜?」
「いや気にはなりますけど……」
「へへ、じゃあもう一回言うね」
リオさんが再び、俺の耳に顔を近づけてくる。
先輩には悪いが、今日の下着はどんなものか聞いてしまおう。
そもそも、勝手に話してくるリオさんのせいだし……。
そして、俺はリオさんの言葉に耳を澄ませた。
「マオの下着は〜もご、もごご」
突然、リオさんの声が、なにかによって塞がれたような、
そんな音になった。
俺が思わず、リオさんの方を見ると、
先輩がリオさんの口を手で塞いでいた。
「君がなかなかお手洗いから戻ってこないから、見にきたらまさかこんなことを話しているなんてね」
「い、いやこれはその……」
先輩の表情は目を瞑っていて、とてもにこやかだが、
その裏からはなにか、とてつもない圧を感じる。
「す、すす、すいません。で、でもまだなにも聞いてませんよ」
「……ふうん、まあいいや。お姉ちゃんも、人のことをあまり喋ってはいけないよ」
リオさんは口を塞がれ、もごもごと言いながら首を縦に振った。
「じゃあ、戻ろうか枕木君」
そう言った先輩の声は普段よりも、
負の感情がこもっているような、少し低い声だった。
そのあと、リオさんは自分の部屋に戻され、
俺は震えながら、先輩と共に先輩の部屋へ戻った。
「あら、ようやく戻ってきたのね」
「少しアクシデントがあったみたいだからね」
先輩が俺を見つめてくる。
俺は蛇に睨まれた蛙のようになってしまった。
そして、俺は宿題に戻った。
……先輩がずっと俺を見てくる。
さっきのことのせいだろうか。
どうせこうなるなら、下着をリオさんから聞いておけばよかった。
そんな後悔を抱えながら、宿題を進めていると、
いつのまにか帰る時間になった。
「ありがとうございました、先輩」
「ふふ、じゃあまたね、りゅりゅ」
一足先に、竜崎がドアを開け、帰っていった。
竜崎は家の都合かは知らないが、いつも最初に帰っていく。
普段なら、少し先輩と二人きりになれて嬉しいところだが、
今日は俺が先に帰りたかった。
「じゃ、じゃあ俺も帰りますね……」
「君はまだダメだよ」
俺もしれっと帰ろうとしたが、ダメだった。
「や、やっぱりあのことですか……?」
「うん」
「あ、あれはリオさんが言ってきたことで……」
すると先輩はこちらに近づいて、
いつもの、アンニュイな表情で聞いてきた。
「君は……僕の下着を知りたいのかい?」
「え」
「知りたいか、知りたくないかだけ教えてほしいな」
その質問に、俺はなにを返せばいいのか分からない。
知りたいと言うのが正解なのか、知りたくないのが正解なのか。
……先輩がこちらを見つめている。
嘘をついてもバレてしまうだろうし、俺は正直に答えることにした。
「お、俺は知りたいです!」
俺の返答を聞いた先輩は、少し笑った。
「ふふ、君は正直だね」
「す、すいません」
「いいよ、僕は君の気持ちが知れてよかったよ」
「先輩……」
「ふふっ、じゃあ、今日は帰ってもいいよ枕木君」
「え?」
「え?」
俺はてっきり、下着を見せてくれるのかと思ったが、
なんか家に帰されそうな雰囲気になってしまった。
「み、見せてくれないんですか」
「僕は君の気持ちが知りたかっただけで、下着を見せるなんて言っていないよ」
「そ、そんなあ」
俺は先輩の家の玄関で、腰から砕け落ちてしまった──。




