39.なかなか追い付けない、黒髪の後ろ姿
第三十九話「なかなか追い付けない、黒髪の後ろ姿」
レオンハルトはエレクトラの先導の元、迷路のような入り組んだ下町を進んで行った。
貴族街も入っている城下町では、馬車が通れる道幅で石畳が整備され、細めの路地でも騎乗してすれ違えるだけの広さがある。
だが、下町は全く違う世界だった。
唯一まともなのは外城門から王城へと続く大通りのみ。そこだけは貴族も騎士団なども通るため、石畳敷きで馬車同士がすれ違える広さがある。それ以外の下町の通りは、道幅がどんどん狭くなったり、急に折れ曲がっていたり、砂利だと思って進んでいたらぬかるんだ泥道になったりと、まるで迷路だ。
エレクトラは自分の足回りの被毛が汚れない道を器用に選び、己の主を先導してゆく。アフガンハウンドの足回りは、伸びるだけ伸ばしたままにするのが慣習だ。それは本来の細い足を守る為の毛の鎧なのである。そのため、ぬかるんだ泥道など歩こうものなら、泥だらけのべちゃべちゃの毛になってしまう。自分だけでなく、主の、ピカピカに磨き上げられた軍靴もだ。レオンハルトには伝わっていないが、エレクトラはそのことも気にしながら、下町の道選びをしていた。
レオンハルトは下町の、普段全く関りがない人々の暮らしを横目に、ひたすら早足でエレクトラの後を追った。様々な店があるが、どれも実生活と密着した物のようだ。贅沢品を扱うような店が、下町にあるはずがない。
「ガゥッ」
エレクトラが大きく吠えた。見れば、見慣れぬ広場が眼前に広がっている。城下町にある広場には華やかな噴水と彫刻があるが、流石に下町広場にはそのような芸術品は置いていないようだ。置いたとて、一夜にして盗まれるのが関の山だろう。
広場では新鮮な食品を扱う市場と、いくつかの屋台が出ている。屋台からはレオンハルトには嗅ぎ慣れない、味の濃そうな食べ物を調理している匂いがしている。下町の人々はこういった屋台で腹を満たすのだろうか、とレオンハルトは横目で見つつ、広場に黒髪の小柄な女性がいないかを見回した。
……居ない。広場全体を見回して確認したが、澪の姿は無かった。何故か、深い失意に襲われる。
「エレクトラ、どういう事だ?」
この従魔は優秀で、追跡に関しても騎士団の従魔の中でもトップクラスの実力を持つ。それなのに、追跡を失敗したのだろうか。責めるのではなく、問うように聞いてみると、美しい銀色の毛を持つ大きな従魔が、木箱をそのままベンチにした簡素な椅子に、鼻をピッと当てる。
(確かに、澪はここに座っていたわ、匂いが少し残ってる)
レオンハルトは溜息をつき、そのどうしたものかと頭に手を当てた。エレクトラの言いたい事は分かる。ここに居たのだと。そして、追跡を続けるかどうかの、指示も待っているのだろう。まだ五尾の眼が真上に上がるまでは、時間がありそうだ。
「……匂いを追ってくれ。ここまで来たんだ、会ってから帰ろう」
会ってどうする? 内心、レオンハルトは躊躇う感情をどうしていいか分からず――――澪に会った時にどうしたらいいか分からなくて、会えない方がいいのでは、とも思った。
だが、会わねば、とも思うのだ。会って、彼女を一目見たい。そんなおかしな感情に襲われている。
エレクトラは主の迷いを消し、背中を押そうと歩き出した。屋台の食べ物の匂いが少し煩わしいが、そんなもので騙されるほど愚かではない。
(澪は、五尾の主の香りと、草花のような優しい香りがするのよ。そんな良い香りがするのは、世界で澪、一人だけ。いつもはドブ臭いモンスターばかり追跡させられてるから、良い香りを追跡するのは、気分が良いわね)
この呟きが主に届いたら、どれ程良いだろう。エレクトラはそう思いつつ、澪が居れば、きっと……とすがるような思いで彼女の痕跡を辿った。
下町広場を抜け、すれ違う人々の驚きの視線を受け流しつつ、主と共に歩みを進める。エレクトラは駆け出したい欲求を抑え、馬のように優雅な歩様で主と足並みを揃えた。
下町の広場を抜けると、すぐに澪の匂いが途中で、とある店の方に入っているのが分かった。馬の横顔を模した看板が壁付けしてある、馬の手入れ用品の店だ。
エレクトラが「この店の中」とレオンハルトに示すと、彼は一瞬だけ躊躇った後、木製の扉を押して、中に入った。
「いらっしゃいま……せ」
客を見ずに反射的に言葉を発してから、ふと顔を上げて見たら、その客が騎士団長の制服を着ていた――――つまり、このような下町にある店にはそぐわない、上品なお客様がいらっしゃった、という事に店員は困惑したようだ。
馬のような栗毛色の髪に、同じ色の瞳の若い男性店員は、緊張からか、両手を合わせて握り締め、頭を少し低くして。肩も竦めている。
「ど、どのような商品をお探しで……?」
明らかに、おどおどしている。レオンハルトは馬用の獣毛ブラシを手に取り、その品質が意外なほど良い事に内心驚きながら、顔には出さなかった。
「人を、探している。恐らくガルドと一緒だと思うのだが、黒髪の、小柄な女性で、名前は澪だ」
「あぁ! 澪さんでしたら、確かにガルドさんと一緒に、つい先程までいらっしゃってましたよ!」
澪と聞いた途端、店員の顔がぱぁっと明るくなる。何故か、それを見たレオンハルトは胸がムカムカするのを感じた。理由は分からない。
そして、また追い付けなかった。〈いかづち工房〉でも、広場でもそうだ。何故こうも、彼女とはすれ違ってしまうのか。
目の前の超美形騎士団長が、明らかに不愉快そうにしているのを見、エリオは変な汗が噴き出るのを感じた。下町で店をやるような人間は、貴族とは無縁の平民か、やはり貴族とは無縁の商人だ。貴族相手に商売をするやり手の商人や、規模の大きな商団であれば貴族慣れしているかもしれないが、エリオはただひたすら下町の馬の手入れ用品一筋で生きて来ただけの青年である。
貴族相手のマナーも分からない。自分がもし不敬をしてしまったら……という焦りと不安が一気に押し寄せてくる。
金髪の美男子は、暫く獣毛ブラシを眺めてから、ふぅと息を吐いて髪をかき上げた。嫌味なくらい、何をしても様になる、とエリオはこっそり思った。
「それで、澪はどこへ向かったんだ?」
エリオはほっと胸を撫でおろす。ちょうど、店の奥で売り物の検品をしていたセオが、主の緊張を感じて傍にやって来たところだった。レオンハルトはその従魔を一瞥し、手入れの行き届いた姿を見てふっと笑う。彼女はここでも〈とりみんぐ〉の技術を披露したのだな、と気付いたら、自然と笑いがこぼれてしまった。
「ええと、下町の商業ギルドに行くって言ってました」
成程な、と呟いてから、レオンハルトは内心苛々した。
(ベルディス侯爵家の後援があるのに、何故下町の商業ギルドなんだ? 城下町か、貴族街の方が良いに決まってるのに……)
もしかしたら、ガルドが後援の話をきちんと伝えていないのかもしれない。
レオンハルトは短く礼を言うと、エレクトラと共にさっと店を出て、下町商業ギルドに向かって早足で歩き出した。
澪に会ったら、する話が見つかった。内心、ほっとしたレオンハルトだった。
もどかしい男、レオンハルトです。




