34.馬の手入れ用品を知る
第三十四話「馬の手入れ用品を知る」
ガルドは若い店主に片手を挙げ返した。
「久しぶりだな、エリオ。騎士団を辞めて以来、だったか?」
店主は手入れをしていた道具を目の前のテーブルに置いて、手を拭きながらガルドのところへやって来た。隣に居る澪の姿を見て、にこっと笑って見せる。澪も慌てて、ぎこちない笑顔を返した。
「そうですね。騎士団の騎馬用品で、ご愛顧してもらってましたからね……お元気そうで良かった! そうそう、ガルドさんの魔道具や剣の噂は、ここまで届いてますよ!!」
店主エリオの隣で、アイリッシュ・セッターもかすかに嬉しそうにガルドを見ている。優しい顔つきの子だ、と澪は思った。馬の手入れ用品を扱う店だからだろうか、この子もきちんと手入れをされている感じがする。抜け毛も無く、毛艶がはっきりと見て取れる。というか、艶が出過ぎているくらいだ。何か精油を塗っているのかもしれない。
「今日は、獣毛ブラシを見に来たんだ。こいつは、従魔の手入れをする職人なんだよ」
ガルドは、澪のことを隠さない。隠すと決めた戦闘系従魔の主には違うだろうが、少なくとも非戦闘系従魔と契約している人には、澪の仕事を嘘偽りなく伝えてくれる。
澪は、何よりもその事が嬉しかった。この世界でたった一人のトリマーだから、変な目で見られたり、誰も信じてくれないかもしれない。澪はそう思ってしまうのに、ガルドは誰より澪の技術を認め、自信満々に紹介してくれるので、いつも背中を押してもらっているような、温かい気持ちになれる。
ガルドの言葉を聞いたエリオは、興味津々といった顔つきで澪を見てくる。澪の横にちょこんと座るルーチェの事もちらりと見て、何やら不思議そうな顔つきになった。
「確かに、すごく綺麗な従魔を連れてますね。従魔自体は、どこにでもいる雑種ですが、その毛並みの美しさ、瞳の輝き。僕は馬の手入れ用品の専門家ですから、従魔の手入れの職人が新たに現れても、驚きやしませんよ! お嬢さん、お名前を伺っても?」
人柄の良さそうな青年だ、澪はホッとした。エリオは握手するため澪に片手を差し出す。澪もおずおずを握り返した。
「花守澪、です。今日は馬のお手入れ用品を見せてもらいたくて、ガルドさんに連れてきてもらいました。よろしくお願いします」
またしても、勢いでぺこりと挨拶しそうになるところを、すんでのところで踏み止まる。この世界の常識での「お辞儀」はヤバいやつなのだ。頭を下げると首根っこを晒すわけで、それが「どうぞ私の命を好きにしてください」という意味になるらしい。
日本人が知らずにペコペコしていたら、命がいくつあっても足りない世界だ。
エリオはにっこりして澪の手を握り返し、すぐに離して、早速店の端っこに並ぶ商品の前へ移動すると、どうぞと呼んで、見せてくれた。
「ちょうど、お店も暇してたんで、商品の説明もしますよ!」
親切な人だな、と澪は感心した。ガルドが一緒に居るからなのだろう。ガルドは町の人みんなから慕われているようで、そんな人にここまで助けてもらい、なんと有難い事か。
「まず、気になっているでしょう、毛ブラシですね。これ、野生動物や、モンスターの毛を使っているので、五種類あるんです。それからたてがみ用の櫛は、三種類ほどありまして、使われている木の油分、柔らかさによって使い分けたり、その馬の毛質に合うものを選んで使います。他には抜け毛取り、この輪っ課になっている金属のギザギザ部分で、体を撫でるようにすると、抜け毛がすごい取れます。仕上げ布は柔らかくて埃やムダ毛を取り除いて、艶を出してくれます。周りを払う小刷毛、泥落とし用の固いブラシもありますが」
一つ一つ、手に取って見せてくれる。「どうぞ」と渡されて、澪は遠慮なく受け取った。どうやら、ガルドのおかげも勿論だが、こちらの店主エリオは、道具の話をするのが大好きらしい。一気に説明してくれた。
一番気になるのは獣毛ブラシだ。いかんせんどれもサイズが大きすぎるが、それでも造りは澪も良く知る犬用の獣毛ブラシに似ている。日本では持ち手のあるものが好まれたが、短毛種などは手のひらにはめて撫でるように使う商品もあった。
澪は慎重に獣毛の種類による違いを確かめる。白くて柔らかい毛、栗毛で程よくしなりがある毛、固めでしっかりとした黒毛、それから、艶があって柔らかい青色の毛と、艶があって固い紫色の毛。
それぞれ、明らかに毛質と触感が違う。澪は唇に手を当て「うーん」と唸った。
「この艶がある青色と紫色のやつって、梳かすと毛にも艶が出ますよね? あの、そこの従魔さんも、それで艶出ししてます?」
澪はエリオの従魔、アイリッシュ・セッターを指差す。燃えるような赤毛で、馬のようにがっしりとした体躯、そこに犬らしいしなやかさも纏っている。とても美しい犬種だと、澪は思う。そしてこの子は、その犬種に相応しいお手入れをされている。だが、少々艶が出過ぎな気も、する。
「ああ、僕の従魔、セオのこと? はいはい、この青色の毛ブラシを使ってますよ。これは、ガルドさんなら何の毛か、分かりますか?」
ガルドに艶のある青色の毛ブラシをポイっと投げて渡すエリオ。商品なのにいいのかな? と澪はひやひやしたが、ガルドは普通に受け取って、その毛をじっと見ている。
「おいおい、俺を舐めてんのか? この毛を忘れるわけねぇだろが。夏のモンスター討伐隊で、何匹狩ったか、思い出せないくらいだ。こいつは顎飛猿の夏毛だろ」
「大正解です! 夏にしか手に入らない、凶暴なモンスターの毛。この顎飛猿は水辺を根城に、群れで暮らして他の動物や人を襲います。狂暴な上に、すごい身体能力で、騎士様の中でも嫌なモンスターの上位だそうです、ね? ガルドさん」
エリオはにこにこと商品説明の一環と言わんばかりに話しているが、ガルドは頭が痛いのか、片手で額を押さえて渋い顔をした。
「俺くらい背が高ければ、跳ねられようが一刀両断なんだけどな。ちょこまかと厄介なモンスターなのは間違いない。そうか、あの時毛を痛めるなって素材回収係が騒いでたのは、こういうことだったのか……」
遠い昔を思い出すように、ガルドは目を細めて呟いた。
澪は不思議そうにガルドとエリオを見る。
「ガルドさんは騎士時代、自分の馬にこのブラシは使ってなかったんですか?」
使っていたら、どのモンスターの素材なのかを知っていたはずだ。エリオは澪の質問ににっこり笑い、「賢いお嬢さんですね!」とお褒めの言葉を送ってくれる。これは、やはり澪が実年齢より幼く見えるせいで、エリオにも子供に見られているようだ。
「俺は艶が出るのは嫌いでな、避けてたんだよ。だから興味を持ったことも無かった。あれこれ試すのは、自分の作品造りではいいが、それ以外の物はいつも同じものを使う方が性に合ってる」
なるほど、と澪は呟いた。そういう考え方の人は大勢いる。良いと思ったらそれ一筋! というタイプ。澪もある部分においてはそういう考え方を持って居るので、共感して頷いた。
「それで、ミオさんは、この顎飛猿の毛ブラシが気になるんですか?」
商売モードで、エリオが聞いてくる。澪は深呼吸して、青色のブラシと、艶々すぎるアイリッシュ・セッターを交互に見た。そして、意を決して、口を開いた。
「いえ、私はその顎飛猿のは油分が毛につき過ぎると思うんです。あの、ガルドさん、エリオさん、もし……良かったら、私にその子、セオさんのトリミングをさせてもらえませんか? 口で説明するより、実際に目の前でやって見せた方が早いと思うんです」
ガルドに許可を求めたのは、エリオの従魔が「やっていい」かどうかを確認するため。そして、勿論主であるエリオにも許可を求める。目の前で見せた方が早い。これは、この世界に来て澪が何度も実感してきたことだ。何よりも説得力を生むことが、できる。
「とり……みんぐ? それが、ミオさんのスキルなんですか?」
「まぁ、そんなところだ。いいぞ、澪。こいつなら大丈夫だから、見せてやれ」
遅い時間の更新ですみません。
下町の人々との交流も、少しずつ広がって行きます。




