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本当はバイトで観に行けないはずだった。
俺はコンビニでいつも通りの業務を行なっている。清掃して、品出しして、レジに立って──
だけど、どうしても落ち着かなかった。
「今日、朝比奈の試合だよな」
それがずっと頭に残って、棚にお菓子を並べながらも、レジで「袋はいりますか?」と聞きながらも、ずっと意識がそっちに向いていた。
そして、休憩中に思わず言ってしまったんだ。
「店長、すみません。今日、友人が出る大事な試合で…どうしても応援行きたくて」
店長は渋い顔をしていたが、「次のシフトで埋め合わせるならいいよ」と言ってくれた。
俺は、制服を脱ぎ捨てるようにして、全力で試合会場へと走った。
◇◇◇
着いたときには、ちょうど後半が始まるところだった。そして、俺たちの学校である陽桜高校は、30点もの差をつけられている。
チームの雰囲気は最悪。それは、朝比奈が纏う空気も同じで…彼女の表情は、自分を責めるように沈んでいた。
「……あー、もう」
その瞬間、考える前に声が出た。
「朝比奈ァァァァ!!」
今思えば完全に頭おかしい。バイト中の「いらっしゃいませ」より100倍デカい声で叫んだ。
周囲が一斉にこっちを見る。
知っていた。そりゃそうだ。めっちゃ恥ずかしい。でも、朝比奈の目が俺を捉えているから。
「俺はお前のファンなんだぞおおおお!! だったらよ……いいとこ見せてくれぇぇ!朝比奈ァァァァ!!」
それから彼女は、変わった。
「お、また決めた」
今度は小声でつぶやく。もう声を張る必要はなかった。ギャラリーのざわめきがそれを証明してくれているからだ。
「陽桜高校の9番、止まらなねぇ!」
「これで3ポイント5本連続だぞ!」
会場の空気は変わっていた。その中心に朝比奈千晴がいる。それが、なんだか誇らしくてたまらなかった。
そして……彼女はまたこっちを見る。ほんの一瞬。だけど確実に、観客席のこちら側に視線を送ってくる。
「……前向け、前」
思わず、そんな言葉が口をつく。でもちょっとニヤけてしまう。すると、隣で観てた男が、興奮気味に言った。
「今、あの子と目ぇ合ったぞ! おい、もしかして俺のこと……」
そのまた隣の男が即座にかぶせる。
「バカかお前……僕を観てるんだよ」
そんな会話を聴きながら、視線をコートに戻す。
眩しい照明の下、朝比奈千晴は駆けている。でも、その光より眩しいのは、彼女自身だった。
◇◇◇
試合終了のブザーが鳴る。
響き渡る歓声。仲間に抱き寄せられながらも、朝比奈は観客席の方を、ほんの一瞬だけ振り返った。
……きっと俺に用がある。そんな気がした。
体育館の外に出ると、こもった熱気から解放され、涼しい風が体を冷やす。それが、汗ばんだ俺の肌には心地のよいものだった。
選手の出入り口であろう場所で壁に寄りかかる。
しばらくすると、朝比奈がチームジャージのまま姿を現した。
夕焼けに照らされる彼女の横顔は、さっきまでコートで見せていた戦う選手のそれとはまた違って、どこか儚げだった。
「朝比奈…」
夕焼けに照らされる彼女の横顔は、さっきまでコートで見せていた戦う選手のそれとはまた違って、どこか儚げだった。
「なんで来てくれたの……バイトは?」
「抜けてきた。でも多分、次のシフトは倍になったと思う」
肩をすくめて返すと、朝比奈が少し眉を下げて苦笑した。
「それ、ちょっと申し訳ない」
そう言って、彼女は指を組んだ。バスケのためによく手入れされている爪が目に入る。
「…よくあんな大声出せたね」
すると、そのキレイな爪の主から声が聞こえたので、視線を上げて口を開く。
「もう一回やれって言われても無理だがな」
少し突き放すような言い方なのは、爪を凝視していたことに気付かれたのではないか、という気恥ずかしさからだ。
「えぇ〜、残念。君の応援ってとっても力になるんだよ」
朝比奈は、照れたように笑う。本当は、照れていないのかもしれない。ただ、夕陽のオレンジが彼女の頬に染みているだけの可能性もあった。
「あの時は、すごく勇気を貰えた」
「…なら、よかった」
朝比奈は、はにかんでうつむいた。そして、少しの間を置いてから呟く。
「……でも、負けちゃった」
言葉は、静かに地面に落ちた。彼女の肩がほんのわずかに震える。
俺はそれに気づいて、言葉を探したけれど、間に合わなかった。
「……悔しいよ」
か細くこぼれた声が、そのまま涙に変わった。朝比奈は顔を伏せたまま、声もなく泣き始める。
必死にこらえようとしていたのか、最初は声を殺していたけど、それもだんだん崩れていってーー
やがて堰を切ったように、嗚咽がこぼれた。
「頑張ったのに……いっぱい練習したのに……」
肩を震わせながら、絞り出すように言葉を吐く朝比奈に、俺は躊躇いながら手を伸ばす。軽く触れただけで、彼女は涙を止められなくなったように、俺の胸に顔を埋めてきた。
こんな彼女を見るのは初めてだった。いつも明るく振る舞っていてーー、いや、明るく振る舞おうとしていた。だから、落ち込む姿はあれど、ここまでの弱さは見たことがなかった。
「ごめん……泣いたら、止まんなくなってきた……もうちょっとだけ……このまま……」
そのまま、彼女は俺の服を涙で染めていった。




