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再名生くんと1on1をしてから数週間が経過した。あれ以来、私の実力はメキメキと伸びていき、レギュラーも狙える位置につけている。
そして、今日がメンバー発表の日だ。
だけど、その前に私の日課となったことを紹介しよう。それは、休み時間の合間に保健室に行くことだ。
「また来ちゃった」
手をひらひらと振りながら彼のもとへ向かう。
「ここは、体に不調がある人が来るところだぞ」
「メンタルが不調なんだよー」
そんな言い訳をこぼして、彼と話す理由を作る。
言い訳でもないか。実際、彼と話さない日は調子が悪いことが多い。
彼は基本的に教科書とノートを開き、勉強している。その横にちょこんと座り、再名生くんの様子を眺める。
「君は私のこと否定しないよね」
気づけば、そんな言葉を吐き出していた。
「朝比奈がマイナスなことばかり言うからだな。俺は目の前に良いことがあったら粗探しをするし、悪いことがあったらその魅力をすくい上げるようとしてるだけだ」
「うわぁ、天邪鬼」
「物事は良い悪いどちらかに決めることはできないんだ。だから、多面的に捉える必要がある。良いところだけ見てたら騙されるからな」
「…再名生くんって彼女できなそうだね」
というか、ちょっとネチっこくて女の子自体に好かれなさそうだ。でも、私は彼の魅力に気づいてる。きっと、私だけ。
「彼女くらいいたことあるし」
「えっ!」
私は目を丸くした。いつ付き合っていたんだろう。割と最近だったりして。
「そんな驚くなよ。でもまあ……すぐ捨てられたけど」
彼は声のトーンと目線を下げてそう話した。
「そっかぁ〜捨てられちゃったんだぁ〜。ふふっ、私は再名生くんのこと捨てないから安心してね」
「人の不幸を喜ぶな」
いつものように軽口を叩く。この時間は心地よい。
しかし、今日はメンバー発表だ。私にとって、大きなイベントである。意識すると、少し緊張してきた。
「どうかしたか?」
そんな私に彼は声をかけてくる。顔に出てたのだろうか。いやいや、私って顔に出にくい性格のはず。なんで気づくかな。
「今日の部活でメンバー発表されるんだ」
「そうか、いよいよだな。」
◇◇◇
放課後、私は廊下を走っていた。廊下は走るなと教えられてきたが、今だけは許してほしい。
「さすがに帰っちゃったかな」
今日の部活動はいつもより早く終わった。だが、彼の帰宅は早い。
だから、いないのかもしれない。それでも伝えたい。一番最初は彼に伝えたい。
「失礼します」
息を整え、保健室の扉を開く。
「よぉ、朝比奈」
いた。よかった。
「私、スタメン入り!」
Vサインと、とびっきりの笑顔で彼に報告した。
「…そっか。よかったな」
「なんか反応薄い…もっと喜んで」
彼は少々ドライなところがある。その割にノリのいい時もあって、よく分からない人間だ。
「わかった。じゃあ喜ぶぞ。ヒャッホー!よかったなァァーあさひなぁァァ!ウホウホウホ!」
再名生くんはドラミングをして、私を祝福してくれた。
「……キモい」
「え?」
相変わらず、バカな会話だ。でも、こうして彼と話していると、実感が湧いてくる。そっか私、試合出れるんだ。
「ありがとね。帰らないで待っててくれて」
「課題が終わってなかっただけだ」
「…嘘つき」
嘘をついても、バレバレである。課題なんてとっくに終わっているだろう。私に気を遣わなくていい。そう思う反面、嬉しい気持ちもある。厄介な感情だな、ほんとに。
「そんなに私の結果が気になってたの?」
「まあ、な」
嘘つき。
今度は口に出さず、心の中で呟く。
気になっていたのは、私の結果ではなく、その結果による私の情緒だろう。ダメだったとき、落ち込んで自暴自棄になったりしてないか、みたいなことを心配しようとしてくれる。
「それじゃあ、再名生くんは私のファン一号だね」
そうやって勝手にファン一号に任命する。
彼に返せるものはあるのだろうか。与えてもらってばかりの私は、何をしてあげたらいい?
「ファン…か。そうだな。朝比奈が試合で、元気にプレーしてる姿を早く観たいよ」
彼の声は、いつものように穏やかで、少しだけ冗談めいていて、それでも真っ直ぐだった。
そんなんじゃ、お返しにならないよ。
私は一瞬、胸がぎゅっとなるのを感じた。
何をどう返したいのか、はっきりしているわけじゃない。ただ、彼の存在が私にとってどれほど大きいかを、どうにか形にしたくて、でもそれが全然追いついていないことが、悔しいような、寂しいような、そんな気持ちだった。
「次の土曜が試合だから、応援に来てね!私のファン1号くん!」
実力がついてきたのは彼のおかげだ。彼の励ましや応援があったからここまでこれた。
だから、できることをしよう。まずは試合で示すんだ。再名生くんのおかげってことを、ありがとうっての気持ちを──
「…わりぃ。その日バイトだ」
「なんでよ!いい流れだったのに!」
全く、拍子抜けである。
「再名生くんにあげたファン1号の称号取り消しにしようかな」
「えぇ、あんなノリノリで言ってきたのに」
私は、こほんっ!とわざとらしく咳払いをする。
「まあでも、一日で終わらせるつもりはないよ。勝ち進むから。次は観にきてよね」
「おうよ!」
そうして、今日はひとまず解散することとなった。
「じゃあな、朝比奈」
「うん。私はちょっと練習する」
「試合が近いなら、辞めといた方がいいんじゃないか?」
「大丈夫。ほんとにちょっとだから。バイバイ」
今のままじゃ、なんとなく寝れない気がした。だから、何本かシュートを打って帰ろう、そう考える。
体育館に到着すると、まだ灯りがついたままだった。
「誰かいるのかな?」
「……やっぱりきた。千晴」
声が、体育館の奥から響いた。ライトに照らされたバスケットゴールの下、ボールを指先で回しながら、じっと私を見ている少女。
「石見先輩…」
「いやぁ、部活終わって慌ててどっか行ったから驚いたよ。帰っちゃったかなぁ〜って」
彼女の口調は軽く、普段通りに見えた。でもその奥に、どこか張り詰めた空気があるのを、私は敏感に感じ取っていた。
「そんなに警戒しないでよ。ただ1on 1しようってだけ。…でも、私に負けたら試合出ないでくんない?」
こんな勝負を受ける人がいるのだろうか。私にメリットなんて何一つないのに。
「いやです」
1on1を誘ってきたことに対して、はっきりと断った。
何本か打って帰るつもりだったけど仕方ない。私は踵を返し、体育館の出入り口へと足を進める。しかし、石宮先輩は先回りして、扉の前に立ち塞がった。
「待ってよ。ちょっとでいいからさ、やろうよ。お願い」
手を合わせて、申し訳なさそうにこちらの表情を覗いてくる。
彼女は粘着質なタイプだと感じている。だから、このままでは埒が開かないと考えた。
仕方ない…か。
「一本だけですよ。それで終わりですから」
しぶしぶ彼女のお願いを聞き入れることにした。
ボールを持った石見先輩と、ゴールに背を向けた私が向かい合った。ボールを地面に叩く音が、体育館に響き渡る。石宮先輩は前後左右に揺さぶってきた。
でも、それに翻弄されるほど私は甘くない。
見える。止められる。
その自信が、私の体を前へと突き動かした。タイミングを見計らって、私はボールを叩く。
「…っ!」
驚く彼女の表情とは対照的に、私は静かだった。
転がったボールを拾い上げ、私は彼女の瞳を真っ直ぐ見据える。
「次、決めれば終わりでいいんですよね?」
一瞬、石見先輩の眉がぴくりと動いた。まさか自分がスティールされるとは思っていなかったのだろう。けれど、それもほんの一瞬で、彼女の口元はすぐに皮肉な笑みに変わる。
「……へぇ。ずいぶん調子に乗ってるじゃない」
今度は私がオフェンスの番だ。ステップを一歩、二歩と踏んで、相手を観察する。
いい反応だ。私の動きに対して、しっかりと対応してきてる。でも──
「…いける」
石宮先輩の重心が僅かに左へ。その瞬間、逆をつく。
「っ!」
完璧に抜いた。視界が開け、ゴール下へと一気に駆け込む。
その瞬間は、やけにスローモーションに感じた。ドリブルをやめてボールを持ち、そのままのスピードで一歩、二歩。左足で床を蹴り、右手でレイアップシュート。放たれたボールは、バックボードの跳ね返りを利用し、ゴールリングへと吸い込まれていく。
まだ空中にいる私はゆっくり、ゆっくりとボールの行方を目で追う。
その時、視界がブレた。
何者かに後ろから、激しく押されたような感覚。何者かなんて言っても、石宮先輩以外ここにはいないのだが。
浮遊感の中、バランスを崩す。人に備わった力で空を飛ぶことはできない。自由に翔ることはできない。ゆえに崩れた体勢を戻す、なんて無理な話だ。
私の姿勢は不完全なまま、床がゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。
そして、鈍い音とともに、右足首に鋭い痛みが走った。
「……っあ、あぁ……!」
崩れ落ちた床の冷たさが、かえって足首の熱さを強調する。
「…ッ……ごめーん!ワザとじゃないの!止めようと思ったら偶然、ね」
見上げた先に映る石宮先輩の表情は、醜かった。目を細め、口角を上げ、それを隠そうともしない。
息が荒くなる。悔しさ、怒り、不安、焦り。あまたの感情が脳内を駆け巡り──、気づくと頬に涙が伝っていた。




