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保健室登校が最高なワケ  作者: 車屋旗魚
朝比奈千晴 編
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4

 雲ひとつない空がどこまでも続く夏の朝、私は生まれた。朝比奈千晴という、ちっぽけな存在として。


 私は他人からよく言われる3つの褒め言葉がある。優しい、笑顔が素敵、悪口を言わない。これ以外の言葉で褒められたことは、ほとんどない。そして、この言葉達は私にとってよいものとは言えなかった。


 私が優しいのは、自分の意見がなくて相手の要望通りに事が動くからだ。断らず、相手の都合の良いように動く。それが私だ。


 私の笑顔が素敵だなんて言われるのは、きっとたくさん笑ってきたからだろう。だけど、その笑みは作り笑い、愛想笑いすぎない。笑って誤魔化しながら生きてきた証拠だ。


 私が悪口を言わないのは、自分に自信がないからだ。相手の悪いところより、自分の悪いところの方が大きいと感じる。劣っている奴が、優れている人に文句を言えないだけだ。


 しかし、こんな私にも譲れないものがある。それはバスケットボールだ。小学生の時から始めて、現在もまだ続いている。


 でも、なぜ続けているのかが分からない。なぜ努力するのかも分からない。分からなくなってしまった。


 ただ、辞めてしまったら私という存在が、アイデンティティが薄れてしまうような気がする。だって私には、バスケ以上に時間をかけたものはないのだから。それを辞めたら、きっと空っぽだ。





 部活動で、練習試合が行われる。そこで、私の自主練の成果が発揮されることはない。


「おい、朝比奈!どフリーだったろ!しっかり決めろ」


 監督から叱責の嵐。


 顔を俯かせ、下唇を噛む。けれども、すぐに目線を上げる。


「…はい!」


 私は気丈に振る舞い、返事をするのだ。


 休憩中にヒソヒソと聞こえるチームメイトの声。


「朝比奈さんって1番早く練習してるんだよね」


「でも、全然ダメじゃん。なんかカワイソー」


「バスケ向いてないんじゃい?」


 シュートを外すたび、自分の価値が薄れていく感じがする。


 そして、チームメイトが失敗するたびにホッとする自分がいる。


「醜いな、私」







 今日も朝練だ。私は何度もシュートを放つ。


 ガンっ、ガンっ、とリングに当たる音だけが響く。


「…入らない」


 毎日、練習してる。たくさんの時間を費やしている。それでも、上達している気がしない。むしろ、下手になってる気さえする。


「なんでこんなにやってるんだろ」


 実力がないなら努力すればいい。でも努力すればするほど、シュートを打てば打つほど辛くなっていく。他の人は自分よりやってなくても上達していくから。


「よお、朝比奈」


 突然、自分の名前を呼ばれたことに少し驚いた。声の方へと視線を向ける。


 そこには、体を少し傾かせ、扉に体重をかけて佇む再名生くんがいた。


 多分、カッコいいと思ってあのポーズを取っているのだろう。めちゃくちゃダサい。


「俺がおまえにバスケの何たるかを教えてやる。勝負だ!」


 なぜか勝負をふっかけられてしまった。でも、再名生くんが運動部だったという噂は聞いたことがある。練習相手になってくれると言うなら、有り難い。実はものすごく上手いかもしれない。そうして1on1をすることになった。


「先行は俺にくれ」


「いいよ」


 男と女の差はあれど、彼はバスケ部じゃない。先行が欲しいと言われて、快く首を縦に振る。


「じゃ、いくぜ。…10本でいいかな」


 彼は両手でボールを突き始めた。


「何やってるの?」


「よりいっぱいのもんで支えた方がいいかと思って」


「…真面目にやって」


「…わかった。でも、後悔しても遅いぞ」


 やっと真面目にドリブルを始めた。そして、彼が仕掛けてくる。


「必殺!レッグスルー」


 やろうとしてる技を宣言する素人の相手。おまけに、必殺!なんて厨二病全開である。


 右手から股の間にボールを通し、左手へ。やっぱりある程度動けるじゃん、と感心したのも束の間。


 股の間でバウンドしたボール。その鋭い弾道は、不可避の軌跡を描き、彼の急所を的確に捕らえた。


「ぐぅ……っ!」


 鈍い衝撃音と共に、彼の表情が苦悶に歪み、膝をガクガクと震わせる。

 それでも、彼は決して倒れなかった。一筋の涙をこらえ、痛みに耐える瞳は、こちらを真っ直ぐに見据えている。諦めるどころか、むしろその目には一層強い光が宿っていた。まるで、股間の痛みさえも己の闘志の糧にするかのように…


「いや、そんなに気合入れられても困るんだけど!」


「心配するな。次は朝比奈が攻めてこい」


 気合を入れ直した彼が、私にボールを手渡してくる。笑顔というより、痛みをごまかすための引きつった笑みだ。それでも彼の目は真剣そのもの。


「……分かった」


 私は深呼吸をしてから、ジャブステップ。そして、ドリブルを始める。緩急をつけ、相手を揺さぶるようにリズムを変える。


 彼はその動きに合わせてステップを踏んだ。完璧に私の進路を塞いでくる。

 けれど、私が切り込んだ瞬間、少し体が接触する。


「ひゃんっ!」


 この声を出したのは私ではない。再名生くんだ。彼の目が丸くなり、顔が一気に赤くなる。私の肩がちょっと胸に当たっただけなのに。


「な、なんか……女の子の柔らかさを感じる!」


「感じなくていいから!」


 ディフェンスのはずが、勝手に一人で赤面して後退してる。


 これなら簡単にシュートを打てる。


 結局、私がシュートを決めるのを見届けた彼は、なぜか胸を押さえてしゃがみ込んだ。


「うぅ……俺、ディフェンスするとか無理かもしれない……」


「はああぁぁぁ」


 1on1では勝負にならないので、フリースロー対決をすることになった。


 彼はひっくり返ったカエルのようなフォームでシュートを放ち、見事全て外した。


「…何やってんのさ」


 自然と口から溢れた。


 この言葉は彼に対してだけでなく、自分に対して向けたものでもある。

 私は何をやっているのだろう。朝早く体育館に来て遊んでいるだけじゃないか。こんなんじゃ、練習にならない。時間の無駄だ。昨日だったら数十本のシュート練習を終えていた時刻のはず。


 でも…心がぽかぽかする。


「どうやったらいいのか教えてくれ」


「ふふっ、仕方ないなぁ」


 バスケをやっていてこんな気持ちになるのは久しぶりだった。



◇◇◇



「だんだん様になってきたね」


 彼に教えてから少しの時間が経過した。先程までとは比べものにならない上手さだ。わざとふざけていたのかとも思えてきた。

 私、勝負事でふざける人はあまり好きじゃないんだけどなぁ。


「ほんとか? だいぶ感覚掴めてきた気がする」


 彼の笑顔は屈託がなく、部活に縛られていない自由さを感じさせた。

 それが、私には少し眩しかった。


「バスケやるの辛いか?」


 突然、再名生くんがふっと声を落としてこちらを見つめてくる。

 一瞬だけ息を呑んだ。

 さっきまで笑っていたのに、急に胸の奥を掴まれた気がする。


 なんで…?どうしてそこまで踏み込んでくるの?


「なんでそんなこと、聞くの…?」


 私は小さな声で答えた。苦笑いすら浮かばない。本当はずっと聞かれたくなかった質問。

 でも、彼は迷わずそこに触れてくる。


「そう見えるからな」


「……辛いよ。出来ない自分に気づかされるたびに、嫌になる」


 俯いて、視線を外す。


「……」


「練習しても、上手くいかなくて。周りはどんどんうまくなるのに、私だけが置いていかれる。そんな気がしてさ……」


 呟くうちに、声が震えてしまった。

 言葉にすればするほど、自分の弱さが露わになっていく気がして怖い。それでも、なぜか止まらなかった。


「私、バスケが好きで続けてるはずなのに……いつの間にか“やめたくないだけ”になってて」


 目を上げると、再名生くんは真剣な顔でこちらを見ていた。それを見ていると、不思議と少し楽になる。まるで、否定なんかされないと分かっているかのような、優しい空気を感じた。


「俺はさ、バスケ詳しいわけじゃないけど……思うんだ」


 再名生くんは言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。


「出来ないって、最高だと思う」


「……え?」


 何を言っているのか分からなくて、思わず聞き返す。

 彼は苦笑いしながらも、どこか自信のある声色だった。


「何でも出来たら、きっと人生は退屈だ。俺はゲームなんかやってると特に実感するんだが、強くなって、敵を簡単に倒せるようになると。一気に冷めるんだ。あれ?もうやることなくね?って。でも逆にさ、勝てなかったり、思い通りにいかなかったり、そういう時期ってさ、実は一番面白い場所にいるんだよな。だから、出来ないってのはさ――上達する楽しみを残した最高の状態なんじゃねーの?」


 私は、ぽかんと彼を見つめていたと思う。


 最高の状態。

  そんなふうに考えたこと、一度もなかった。


「……なんか、ずるいね」


「え?」


「そうやって、出来ないことも肯定できるの」


  思わず口をついて出た言葉に、自分で驚いた。


 苦しかった気持ちが、少しだけほぐれていく。まるで重たい荷物をひとつ降ろしたような、そんな感覚だった。


「俺は本当に不器用でさ、上手くやれないことの方が多いから……せめて、そこを楽しまないとやってられねぇんだよ」


  再名生くんはそう言って、また笑った。


「……うん。ありがとう」


 気づけば、私は少しだけ微笑んでいた。


  気休めかもしれない。きっとまた、思い通りにいかなくて悔しがる自分がいる。

 でも今だけは、負けそうな気持ちじゃなく、前を向いていたい。


「じゃあ、その最高の状態を活かして、ちゃんとディフェンスしてもらおうかな」


「えっ、ちょ、まっ、今の感動的な流れぶち壊すの!? 俺の名言をもう少し噛み締めてくれよ」


「はい、重心落とす! 動いて!」


「鬼か、君は!」


 ふふっと笑いがこぼれた。


さっきまでの重さが、嘘みたいに消えていた。まだ大丈夫。私は、バスケが好きだ。


  そして、今の状態も、悪くないと思えた。



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