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「なおとぉ〜、今日の試合さ正直勝てると思うか?」
越境高校へと向かう道中。バスの中で隣に座るチームメイトと話をしていた。
「できることを精一杯やるだけだろ」
「……かっこいい!」
「バカにしてんだろ!」
「バカにしてねーよ。……俺が女だったら惚れてたぜ」
「ウインクすんな」
そんな軽口を言い合っていると目的地に着いた。全員でバスを降り、越境高校の敷地内を歩く。
「やっぱ私立は広いなぁ。一体いくつグラウンドがあるんだよ!!」
「声がデカい」
そんな大きい声を出さなくても聞こえているというのに…。隣を歩くチームメイトに辟易しながらも、その広さには素直に驚いていた。部員の数もさぞ多いことだろう。全てにおいて俺達以上、試合前に圧倒されてしまう。
しかし、そんな中で俺はワクワクしていた。いつもなら緊張して腹が痛くなっているはずなのに、早く戦いたくてたまらない。
「楽しみだな」
しばらくして試合は始まった。
◇◇◇
強豪との激闘を終え、火照った身体を冷ますために、水飲み場へと向かった。反時計回りに蛇口をひねり、出てきた水は冷たいとはお世辞にも冷たいと言えず、ぬるいものだった。だが、仕方ない。夏場の外の水道はそんなものだ。俺達はぬるま水で顔を洗った。
時計回りの蛇口をひねり、その場を立ち去ろうとした時、少し遠くから聞き覚えのない声が耳に入った。越境高校の部員たちだ。
「あの再名生ってピッチャーすごかったな。一軍の先輩達が一点も取れないなんて」
「ストレートに変化球、おまけにコントロールもいいなんて、穴がなかったよな。あいつまだ一年だぜ」
「そうだよな。逆に2年の林道ってやつはダメだったな。3イニング持たずに打ち込まれて途中降板。ストレートはまあまあ速かったけど、速いだけだったな」
「先発だったからエースなんだろうけど、あれでエース?って感じだったよな」
小ばかにするような笑い声も混ぜて彼らはそう語った。俺が褒められていたのは嬉しいが、それよりも林道先輩だ。
「……行きましょう先輩」
隣に立つその身体は、硬直していた。蛇口を握ったまま動かない。俺はさらに言葉を続けた。
「気にすることないですよ。ただ調子が悪かっただけでしょ」
「……いや、僕はいつも通りだけど」
乾いた声は低く、鋭く。今まで聞いたことない声色だった。
「どうしちゃったんすか」
「これが僕の限界なんだよ。完璧に抑えた君と違ってね」
「林道先輩はもっとやれますよ。それに、俺が今日良かったのは、先輩が指導してくれたおかげで――」
夏休みの間、二人で汗を流したあの時間が、今の俺のピッチングを作った。それを伝えたくて言葉を重ねようとしたが、先輩の拒絶が遮った。
「そういうのいいわ。うざい」
「……え」
「お前に同情される筋合いはねえよ 」
いつもと違う乱暴な口調。まるで別人と話しているようだった。
先輩はそれだけ言い残し、去っていく。俺はただ呆然とその背中を見送ることしかできなかった。
◇◇◇
夏休み最後の練習日。今日は監督が不在だった。どうやら前回の練習後、熱中症で倒れてしまったそうだ。
「監督大丈夫かな」
俺の呟きに答えたのは同じ学年のチームメイトだった。
「まあ、こう毎日暑けりゃ熱中症にもなるわな。でも、何で監督倒れてるのに練習あるんだ!?わざわざ別の先生にまで代理を頼んで練習させるなよ!鬼か、あの監督は!」
どうやら目に前の彼は怒り心頭のようだ。相当に不満があるらしい。
俺も同じく不満はあった。練習自体は別にいい。ただ、代理の監督者となった人物がクラスの担任なのだ。
担任教師は嫌いだ。俺に対して財布を盗んだ犯罪者だと思い込み、糾弾し、人格否定を行なってきた大人の1人。思い出すだけで冷たい汗が頬を伝う。
「直人、集合だって。行くぞ」
隣のチームメイトに肩を叩かれ、俺は強引に意識を引き戻した。
「……ああ」
グラウンドの中央に集まる部員たち。その中に、キャプテンである林道先輩も当然ながら立っていた。 あの練習試合以来、先輩とはまともに会話をしていない。今日も目が合うことはなく、先輩の横顔はどこか生気を欠いているように見えた。
「よし、全員揃っているな。監督が不在だが、今日の練習メニューは林道から聞いている通りだ。各自、気を引き締めて熱中症に気をつけるように」
事務的で、平坦で、やる気がなく、力もなく、熱を感じない声が耳に入る。
その日の練習は軽めに終わった。
◇◇◇
「よし、そろそろ帰るか」
俺は少しだけだが残って自主練をしていた。今日の練習では満足できなかったからだ。
「みんな流石にもう帰ったよな」
グラウンド整備を行い、部室に向かう。
校舎の裏側に建てられている部室棟。左から3番目の扉の上には硬式野球部と書かれた表札がある。
「……誰かいるのか?」
微かに開いた扉から、カチ、カチ、と。静寂の中で、金属が噛み合う奇妙な音が響いており、人の気配を察知した。
電気くらいつけろよな。そう思いながら、部室へと足を踏み入れる。そして、すぐ横の壁にある照明のスイッチを押した。
「……先輩?」
そこにいたのは、林道仁志先輩だった。背中を丸め、棚の前に佇んでいる。その手元を見た瞬間、俺の心臓は凍りついた。
先輩が握り締めているのは、大きなハサミ。その刃先は、俺のグローブに深く突き立てられていた。
「何してんだよ!」
先輩の腕を掴み、グローブから引き剥がす。
吹き飛ぶハサミとこぼれ落ちるグローブ。いや、もうグローブとは呼べないかもしれない。こぼれ落ちたそれは、ズタズタのボロボロで、手に嵌めることすら出来なくなっていた。
引き裂かれ地面に落ちた革の破片を必死に集める。もしかしたら直せるかも、なんて思っちゃいない。もうどうにもならないことは分かっている。それでも手を動かさずにはいられなかった。
「そんなことしたって無駄だよ、直人」
まるで世間話をするような、普段と変わらぬ口調に寒気がした。
「直人、君が悪いんだよ。君がいなければ良かったんだ。君が練習試合で結果を残すから。僕が打たれたのは、まあしょうがない。相手が強かったからね。でも君が打たれないのは話が違うじゃないか。これじゃあ、僕が弱いと思われしまう。だいたい、君が嘘つきなのが悪いよね。僕は君にストレートのコツを教えた。そして君は、それをモノにした。だけど、代わりに君が教えてくれた技術は何の役にも立たなかった。全く時間を返して欲しい。けれど、君はクラスメイトに財布を盗んだ窃盗犯だったね。そして、『自分はやっていない』と嘘をついた。もともと嘘つきである君に、期待した僕が悪かったってことか。でも、それじゃあフェアじゃないね。君にも苦しんでもらわなきゃ。だから、このグローブをゴミに変えた…それでチャラにしよう。いいよね?」
気味が悪い。
「…なに言ってんだよ」
「ん?言葉の意味が理解できなかったのかい?ちゃんと日本語で話したつもりだったのに…これだからバカは困るね。話が通じない。君と僕が同じ高校だなんて信じられないよ。よく試験に受かったものだね……まあ、グローブはさ、また新しいのでも買いなよ」
林道先輩はクスクスと笑う。
頭の中がグツグツと煮えたぎっていく。熱く、熱く、沸騰し──やがて、何かが切れる音がした。
「おい」
「くっ……!」
胸ぐらを掴み、そのまま壁に叩きつける。鈍い衝撃音と短い喘ぎが耳を汚した。
「な、なにするんだ直人!やめ──」
言いかける先輩の顔に右の拳を叩き込む。
一発。鼻から鮮血が吹き出す。
二発。醜い涙で目を潤ませる。
三発。足の力が抜けたのか、尻もちをつく。
「あれは…あのグローブは!母さんが買ってくれたものなんだ!!あれじゃなきゃダメなんだよッ!!」
俺は体勢を変え、林道先輩に馬乗りをした。左手で彼の胸ぐらを掴み、地面に叩きつけ、空いた右腕で殴る、殴る、殴る──。
「あ、ぐ……っ、止め、て、くれ……なお、と……」
その後、しばらくして担任教師が俺たちの異変に気づき、慌てて部室へと飛び込んできた。
背後から強烈な力で抱え上げられ、俺は林道先輩の上から強引に引き剥がされる。興奮する俺を担任が必死に組み伏せ、止められた。
床にのびて動かない林道先輩と、その傍らに転がるズタズタになった俺のグローブ。担任から向けられる、かつての「事件」の時と同じ冷徹な目を受け止めながら、俺の高校生活最初の夏休みは最悪の結末とともに幕を閉じた。




