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保健室登校が最高なワケ  作者: 車屋旗魚
再名生直人 編
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「マジかよ……」


「本当に持ってやがったのか」


「信じらんねぇ、最低だな」


 無遠慮に放たれる言葉の礫が、容赦なく全身を打ちのめす。視界はぐにゃりと歪み、クラスメイトたちの顔が歪な化け物のように見えた。


「違う……。知らないんだ。なぜかカバンの中に入ってたんだよ!」


 必死に叫んだ。だが、上ずったその声は自分でも驚くほど頼りなく、空虚に響く。


「またその言い訳かよ」


「さすがに無理があるだろ、二度目だぞ?」


「じゃあ、なんで更衣室では『入ってない』なんて断言したんだ。嘘を吐いた事実は変わらないだろ」


 逃げ場のない正論が突き刺さる。確かにその通りだ。あの場で正直に打ち明けていれば、まだマシだったのかもしれない。


 いや、本当にそうか?  


 もしあの瞬間、正直に「あった」と話していたら、お前らは俺を信じたというのか?  

 

 どうせ「また盗みやがった」と決めつけて、今と同じように俺を吊るし上げたに決まっている。結局、たどり着く結末は変わらなかったはずだ。


 心臓が壊れそうなほど早鐘を打つ中、俺は唯一、この泥沼から引き上げてくれるであろう人物へ縋るように視線を向けた。


「阿久戸……! 阿久戸なら信じてくれるよな!?」


 彼ならば、きっと。あの時だって俺を信じてくれたんだ。だから、阿久戸なら──


「再名生くん……ひどいよ」


 期待していた言葉とは真逆の、拒絶の響きを孕んだ声だった。阿久戸は傷ついたように眉を寄せ、顔を歪ませている。


「まさか君がこんなことをするなんて。僕たちは友達だと思ってたのに……どうして?」


「っ! 待て、待てよ阿久戸! 俺は本当に盗んでないんだ、信じてくれ!」


 悲鳴のような俺の訴えを、阿久戸の鋭い一喝が遮った。


「信じられるわけないだろ! 現に、君のカバンから僕の財布が出てきたんだ!」


 いつもの温和な彼からは想像もつかない、激しい糾弾。クラスメイトたちの冷ややかな視線が、さらに密度を増して俺を包囲する。


「この前、僕は君をかばった。再名生くんがそんなことをするはずないって、心から信じていたからだ!だけど、こんなの見せられたら……あの時だって本当は君がやったんじゃないかって、疑わざるを得ないよ!」


 阿久戸の瞳に宿る深い失望を見た瞬間、俺の足元からガラガラと音が立てて崩れ落ちていくような感覚に陥った。


「……違うんだ。本当に、俺は」


 もはや、この教室に俺の言葉を拾い上げる者など、一人も残っていなかった。


 そう悟った時、ガラガラと乾いた音を立てて教室の扉が開いた。


「悪い、少し遅れた。……おい、なんだこの騒ぎは」


 場違いなほど平坦な声が、凍りついた空気を切り裂く。入り口には、出席簿を脇に抱えた担任が怪訝な顔で立っていた。


 掲げられた財布、力なく立ち尽くす俺、そして涙を浮かべて憤る阿久戸。その構図を目にした瞬間、先生の表情が強張った。


「再名生。……またお前か」


 その短い言葉には、もはや疑いすら含まれていない。ただの確認だった。


「話は生徒指導室で聞く。来い」


 言い訳を許さない強い力で、腕を掴まれる。 俺は抵抗する気力すら湧かず、引きずられるようにして教室を後にした。背中に突き刺さるのは、クラスメイトたちの視線。 向けられた眼差しは、もはや忌まわしいものを見るそれへと変わっていた。


 静まり返った廊下に、俺と先生の足音だけが虚しく響く。 カバンの中身を誰が入れ替えたのか。誰が自分を陥れたのか。 そんな怒りさえも、今は画面越しの出来事のように感じられた。


◇◇◇


 気が付けば、空は夕焼け色に染まっていた。


 生徒指導室という独善の檻の中に、いったい何時間閉じ込められていたのだろうか。


 担任、生徒指導担当、さらには教頭。代わる代わる俺の前に座る大人たちは、一様に「失望した」と言わんばかりの冷徹な視線を向けてくる。そこで行われたのは、事情聴取などという生ぬるいものではなく、ただ「罪を認めさせるため」の執拗な尋問だった。


「身に覚えがない? そんな言葉が通用すると思っているのか」


「現にカバンの中から財布が出てきたんだぞ。言い逃れができる状況じゃないだろう」


 俺の言い分は、ことごとく唾棄された。


 事実をありのままに話しているだけなのに、彼らにとっては、往生際の悪い嘘にしか聞こえないらしい。あまりにも俺が罪を認めないものだから、彼らの語気は次第に強まり、ついには人格を否定するような叱責へと変わっていった。


 やっていないものは、やっていない。


 そう主張し続けるしかないじゃないか。たとえそれが、火に油を注ぐ結果になったとしても。


「処分は後日、他の職員とも協議した上で決定する。今日はもう帰れ。ただし、自分が何をしたのか、家でよく考えておくことだ」


 最後まで俺を犯罪者と決めつけたまま、解放は告げられた。


 


 重い足取りで校門を抜けると、そこには夕日に引き延ばされた長い影がアスファルトに落ちている。


「ひどい顔してるね、再名生くん」


 聞き慣れた穏やかな声。阿久戸正だ。


 俺は彼と目を合わせない俯いた姿勢のまま、口を開く。


「悪かったな、阿久戸……でも、盗んでないってのは本当なんだ。本当に俺は何も知らなくて……いつの間にか、カバンに入ってただけで」


 別に信じてほしいとは思わない。それでも、言っておきたかった。


 そして、阿久戸の隣を隣を通り抜ける。あいつがどんな言葉を返すかなんて分かっている。数時間で考えが変わることはなく、俺を疑ったままだろう。だから、阿久戸の言葉を待たず、足を進める。一方的に告げて、その場を去る。


 そのはずだったのに…。阿久戸の言葉が俺の歩を止めた。


「うん、知ってるよ」


「……は?」


 意味の分からない肯定に、思考が停止する。


 俯いていた顔を上げると、阿久戸は表情ひとつ変えずに俺を見つめていた。


「だから、知ってるって。だって、僕が入れたんだし」


 心臓が嫌な音を立てた。耳の奥で、彼の言葉が何度も不快に反響する。


「何……言ってんだよ」


「いやぁ、やっぱり再名生くんは面白いよね。期待を裏切らないっていうか。表情といい行動といい、全てが最悪のタイミングで、悪い方に向くよね」


 阿久戸の口角が、見たこともないような歪な形に釣り上がった。夕闇に照らされたその瞳には、友達だと思っていた頃の面影など微塵も残っていない。


「あ、ちなみに君の悪い噂を流したのも僕だよ。おかしいと思わなかった? 一回盗みの疑惑をかけられて、それでも疑惑止まりで済んだ。それなのに、君を見る周りの目が明らかにおかしかっただろ? ごめんねぇ、全部僕のせいなんだ。……ねぇ、怒った?」


 あまりに軽薄で無邪気な問いかけが耳に届いた瞬間、俺は阿久戸の胸ぐらへと掴みかかった。


「阿久戸……ッ!!」


 そのまま力任せに奴の体を突き飛ばし、背後の壁に叩きつける。鈍い衝撃音が響いたが、奴は痛がる素振りも見せず、ただ愉悦に満ちた目で俺を見下ろしていた。


「あはは。そんなに怖い顔しないでよ、再名生くん」


 阿久戸は、まるで子供の戯れを眺めるような薄気味悪い笑みを浮かべている。


「こんなところで僕を殴るつもり? まだ今の時間は人も多い。ここで暴力を振るえば、また余計な罪を重ねることになっちゃうよ」


 脳が沸騰するような怒りの中、俺の理性がその言葉を肯定してしまった。


 今ここでこいつを殴れば、すべてが終わる。暴力という動かぬ証拠を自ら作り、今度こそ完全に抹殺される。その末路が瞬時に脳裏をよぎり、振り上げようとした右の拳にブレーキをかける。


「ふざけるな」


 目の前で俺の人生を嘲笑っているこの外道を、今すぐに叩き潰したい。なのに、リスクを計算してしまう自分自身が、阿久戸以上に疎ましく、吐き気がした。怒り狂っているはずなのに、理性を捨てきれない。


 歯が砕けそうなほど食いしばる俺の耳元で、阿久戸の声が響く。


「そう考えると、あの金髪のピアスの……えーと、鍵屋真くんは君より賢かったね。ちゃんと校舎裏で、誰も来ない場所を選んで僕を殴ろうとした。あの時はさすがにまずいと思ったけど、本当に助かったよ、再名生くん。絶妙なタイミングで、君が間に入ってくれたおかげでさ」


 阿久戸は、俺が胸ぐらを掴んでいる拳にそっと手を添え、指を解こうとした。


「感謝してるんだよ?…… でも、僕を救ってくれたあの日に、君を『おもちゃ』にしようって決めたんだ」



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