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「おはよう直人くん」
「おはようございます、透子先生」
保健室の朝は早い。というのも、俺が他の生徒となるべく会わないようにするため、人の多い時間を避けて学校に向かうからだ。つまり、ただ俺が早く登校しているだけなのである。以前は、少し遅れて学校に行っていたが、透子先生に怒られてしまった。だから、こうして早い時間に来ている。
「最近はずいぶん暑くなってきたね」
わざとらしく服をパタパタさせ、胸元を見せつけるような動きをする変態教師。
「痴女ですね」
「せっかく早く学校来てくれたんだから、御褒美だよ」
「インターネットで十分かなぁ」
「それはかなり危ない兆候だよ。私が治してあげなきゃね」
そう言ってノロノロと近づいてくる透子先生。
「生徒に手を出したら、先生続けられなくなりますよ」
手を突き出して彼女に「近づくな」と合図を送ると、足を止めた。
「それは困ってしまう。せめて君の卒業までは続けないと……約束したからね」
「約束…ですか。ちょうど一年前くらいでしたっけ?」
「まだ一年は経ってないよ」
それは俺がこの保健室に通うようになった理由にも繋がっている。
◇◇◇
高校に入学してから最初の数か月は、充実していたように思う。友達にも恵まれ、彼女だっていた。あと、野球部に所属していて、そっちでも上手くいっていた。
「じゃあな直人!」
「またね、直人くん」
「ああ、また明日な!」
放課後、何人かの友人と挨拶を交わす。すると一人の女子生徒、もとい彼女が俺の席に近づいてきた。
「直人、一緒に帰る?」
「いや、今日は用事がある。悪いな真里菜」
西遊真里菜。最近お付き合いを始めたガールフレンドである。女友達というわけではない。彼女、恋人、ハニー、パートナーといった呼び方もできる相手だ。こんな俺のどこがいいと思ったのか分からないが、告白された。好きというわけではなかったのだが、告白されて舞い上がった俺は即OKした。
「なんで?今日は部活ないでしょ?」
「自主練しようと思って」
「この前、試合で投げたばっかなのに……」
「投げたって言っても少しだけだしな」
それにほぼ勝ちが決まったような試合で、エースを温存するために投げただけだ。もっと競った場面で任されるようにならなければ。
「でも、すごいわよね。うちの高校って県内じゃそこそこ強いでしょ。なのに、一年でベンチメンバーに入れるなんてさ」
「まあ、俺だからな!」
胸に手をおき、冗談めかしてそう言った。褒められた時は大体このように対応していた。変に謙遜するのも悪いと思ったからだ。
「ほどほどにしなさいよ。怪我したら意味ないんだから。バイバイ」
手を振って去っていく彼女を見届けて、立ち上がる。
「さてと、俺も行きますか」
俺は足早にグラウンドへと向かった。
◇◇◇
まずは、準備体操だ。
実のところ、俺はかなり体が柔らかい。その柔軟性が、ピッチャーとして活躍する土台を作っている。
「今日は誰もいないから、伸び伸び練習できるぞー」
「直人、今日はオフのはずだよ」
「げっ!林道先輩」
林道仁志。俺より一つ上の二年生であり、うちのチームの二番手ピッチャーだ。とはいえ、3年生がエースの今、次期エースの座は彼の手にある。
爽やかな見た目とは裏腹にそのスタイルは意外と脳筋。速いストレートを武器に相手打者をねじ伏せるのだ。変化球やコントロールが強みの俺とは真逆のタイプである。
林道先輩はイケメンで背が高く、勉強もできる。だから、他の生徒や先生からの評価も高い。憧れの先輩ランキングなるものが存在すれば、上位に入るのは間違いなしだ。
「直人、せっかくだから一緒に練習しようか」
「え、叱りに来たんじゃないんですか?」
「いいや、実は僕も練習しに来たんだよ」
「林道先輩って意外と悪い人なんですね」
「結果を出せばいいんだよ。結果さえ良ければ許されるんだ……ルールを破ったとしてもね」
そう語る林道先輩に少しだけ恐怖を感じた。それだけの凄みがあるというわけだ。
こうして2人で部内のルールを破り、練習をした。
◇◇◇
「だいぶ遅くなっちまったな」
練習終わり。帰路に着いた俺は、誰に聞かせるでもない独り言を呟いた。
辺りはすでに闇に染まっている。季節は夏であり、日が長くなっているというのに、こんな時間まで自主練をしてしまった。だが、収穫はあった。林道先輩の練習する姿を見て、何か良いきっかけを掴めた気がしたからだ。
「腹減ったぁ。今日は夕飯は何かな~」
腹の虫が鳴る。家では夕飯が俺を待っていることだろう。両親も待っているかもしないが…。いや、最近の父は帰りが遅いから、母だけか。
心を躍らせながら、歩いていく。
夜道というのは日中とは違い、若干の非日常感を味わえる。それがいい。
空を見上げれば、星々が輝いているのもいい。
今日という日を振り返り、ノスタルジックな気持ちになるのもいい。
ふと、夜道を歩く二つの人影が目に入った。その距離感からカップルなのではないか、と推察できる。二人は別れを惜しむように身を寄せ合っていた。
これもまた、夜の醍醐味だ。別れたくないけど、帰らなければいけない。その相反する感情がより2人の愛情を深めて──
「……父さん?」
発した声は自分でも驚くほどに小さかった。
嘘だ。ありえない。父さんには母さんがいるんだぞ。最近帰りが遅いのはこれが原因なのか。いつからだ。今まで俺たちを騙しながら、生活していたのか。
そんな考えが頭の中を巡る。
しかし、見間違いという可能性もあり得る。彼らとは距離があるし、辺りも暗い。だから、眼を擦って再度見る。
父ではなかった。
そう思えたらどれほど良かったことか。はっきりと肉眼で捉えてしまった。確信してしまった。
あれは父である、と。
「いや、でも、待てよ。単に親しくしているだけなら大丈夫なんじゃないか?」
アウトよりのセーフ、またはグレーゾーンというやつだ。
「別に不倫というわけじゃな──」
思った矢先、唇を重ねた。
何度も何度も。時間をかけてゆっくりと。
「……っ」
たまらず俺は、その場から走り去る。
目を逸らしたとて、現実が変わるわけではない。そんなことは分かっている。でも、あそこから離れたくてしかたなかったのだ。




